File1:水先案内人

「面会? それも、ダリオ・・・にですか!?」


 ロサンゼルス市警。ローラは上役に当たるネルソン警部から伝えられた内容に素っ頓狂な声を上げてしまう。ネルソンは重々しく頷く。


「ああ。ロドリゲス刑事の知り合いだと言うんだが、彼は、ほら……今はいない・・・・・だろう?」


 言い難そうな様子のネルソン。ダリオの失踪に関しては今の所外部には伏せられている。と言っても病院から脱走したという事もあり、病院の関係者達の口をどこまで封じておけるかは甚だ怪しい所で、漏れるのは時間の問題だろう。


「だが、ただ追い返す訳という訳にも行かん。君は彼の相棒だっただろう? 一度会ってみて貰えないか?」  


(会ったって、私が何を言えばいいのよ)


 警部はとにかく厄介払いしたいだけだろう。で、その面倒な仕事を、元相棒という理由を付けてローラに押し付けようという算段だ。そう思ったが警部の命令とあれば応じない訳にはいかない。勤め人の悲しい所だ。


(でも、ダリオの知り合いか……。もしかしたら何か手がかりが掴めるかも?)


 そう考えれば悪い事ばかりではない。ダリオの安否やその行方に関してはローラもずっと気掛かりだったのだ。 


「……解りました。とりあえず話だけでも聞いてみます。向こうが私に話す気があればですけど」


「ああ、それで構わんよ。それじゃロビーに待たせてあるから早速行ってくれるか?」


 ネルソンは露骨にホッとしたように頷くと、そそくさと自分のオフィスに戻って行ってしまった。ローラは溜息を吐くと椅子から腰を上げたのだった……





「あー……お待たせしました。ダリオ・ロドリゲス刑事の相棒の、ローラ・ギブソンと申します。今ダリオは不在で手が離せないので、私が替わりに用件をお伺いしますが宜しいでしょうか?」


 受付に教えてもらった人物の所へ行き、ローラはそのように切り出した。話しながらローラはちょっと意外な心持ちになっていた。面会者は女性であった。それも……若いラテン系の美女である。その美女が立ち上がった。


「相棒……ですか? ロドリゲス刑事が手が離せないというのであれば仕方ありません。代わりに聞いて頂けますか?」


 案外すんなりと進んだ。話を聞いてもらえるならダリオでなくともいいようだ。とりあえず面談用のブースに移った2人。女性が頭を下げて名乗る。


「ヴェロニカ・ラミレスです。市内の大学に通っています」


「ヴェロニカさん、ね……。話を聞く前に、失礼ですけどロドリゲス刑事とはどういったお知り合いで?」


 これは職務上当然の質問であった。決してローラの個人的好奇心を満たす為ではない。……その気持ちも多分にあった事は否定できないが。


「その……お恥ずかしい話ですが、高校の頃は私とても荒んでいたんです。家は難民上がりで碌な仕事もなくて、そんな環境に嫌気がさして、つい悪友達に誘われるままドラッグに手を出してしまったんです」


「…………」


「中毒になり掛けていた時に逮捕されて、そこでロドリゲス刑事に会って……。自分も難民二世だから境遇は良く解ると言ってくれて、それから何かと相談に乗って貰ったりしていました。今の大学に入れたのも、彼が矯正してくれたからなんです」


(……ダリオの奴、ちゃっかりこんな可愛い娘と知り合いになってたなんて隅に置けないわね。しかも随分信頼されてるみたいじゃないの) 


 そんな事を思うローラであった。尚更ダリオの安否が気に掛かる。一体彼に何があったのだろうか。


「なるほど、恩人という訳ですか。彼との関係は解りました。それでは実際のご用件を伺いましょうか」


「は、はい……あの、先日からニュースで報道されている『ディープ・ワン』の事はご存知でしょうか?」


 ローラの眉がピクッと吊り上がる。


「それは……ええ、勿論知っていますよ。ただ『ディープ・ワン』は基本的に隣のロングビーチ市警の管轄で、ウチはタッチしていないんですよ」


「ええ、それは勿論解っているんですが、まずは私の話を聞いて頂けますか?」


 そう前置きしてヴェロニカが話し始める。彼女の話を聞いている内に、ローラは妙な胸騒ぎがしてくるのを感じた。


 ヴェロニカはアルバイトでビーチのライフガードをしている事。そしてある日、水難者の救助の為に同僚と海に潜った所、先に水難者を発見したらしい同僚が大慌てで引き返してきた事。そして、彼を追い掛けてくる……異形の人影のような『モノ』。


 『ソレ』が同僚の方へ手を伸ばすと、彼の身体がビクンッと跳ねて動かなくなった事。それを見たヴェロニカはやはり死に物狂いで浜に逃げ戻った事……。


 ただ彼女の話だけを聞いていたら笑い飛ばしていた所だろう。実際にロングビーチ市警はそのような反応で、まともに取り合ってくれなかったらしい。それが普通だ。だが、ローラは……今までに普通でない・・・・・体験を何度かしてきている。


 それらの体験がローラに冷静で客観的な思考を与えていた。そして気になるのがその異形の『モノ』の外観……。海中であった事と、ヴェロニカが冷静でなかった事もあって詳細な外見までは良く覚えていないそうだが、それでも聞いた大まかな外観には奇妙な符合があったのだ。


(大きな背ビレ……体を覆う鱗……)


 その特徴に聞き覚えがある事を思い出したのだ。今は亡きマイヤーズの言葉が脳裏に甦る。ローラが彼の罠に嵌る原因ともなった情報……。あの情報自体はローラを誘き出す為だけの出まかせという訳ではなかった。


 ダリオの脱走。その直後、に向かって走る不審な人影。人間離れした外観の目撃情報。そして今回海から現れて人々を殺害する『ディープ・ワン』という新たな殺人鬼の出現。ヴェロニカの目撃した『モノ』……。


 断片的であったパーツが一つに繋がっていく。ローラは猛烈に悪い予感に囚われた。


「で、では、ロドリゲス刑事を探していた理由は……」


「……ロングビーチ市警ではまともに取り合ってもらえませんでした。でも私は確実に見たんです! あれが『ディープ・ワン』の正体に間違いありません! だからロドリゲス刑事に個人的に相談しようと思ってきたんですが……」


「…………」


(そのダリオこそが……『ディープ・ワン』の正体かも知れない)


 それは何と言う皮肉であろうか。あくまで状況証拠からの推論に過ぎないが、ローラにはどうしてもその推論が間違っていると思えなかった。


「……なるほど。話は解りました。先程も言ったように管轄が違うので確約は出来ませんが、なるべく善処する事をお約束します」


「ほ、本当ですか!? は、はい、是非宜しくお願いします!」


 ダリオがいなかった時点で、てっきりここでも笑い飛ばされると思っていたのだろう。ヴェロニカがビックリしたような表情で顔を上げる。現時点で彼女には明かせないが、事はダリオの安否に関わる問題でもある。ローラとしてもこのままには出来なかった。


 ヴェロニカと連絡先を交換し、何かあったらまた連絡するという事で彼女と別れた。


 ローラは今後の予定について思いを馳せた。ネルソンにこんな相談をしても無意味だろう。彼は事なかれ主義だ。お隣のロングビーチ市警の管轄に干渉するような捜査を許可する筈がない。しかしこうしている間にも情報は古くなっていく。迅速な解決を求めるならすぐにでも行動しなければならない。


(だったら……)


 ローラは携帯電話を取り出し、とある番号に掛けた……



****



 明くる非番の日、ローラは喫茶店で昨日電話を掛けた人物と待ち合わせをしていた。幸い大きな仕事は入っていなかったようで、すぐ次の日に会える事になった。


「待たせたかしら、ギブソン刑事」


 そう言ってローラに声を掛けてきた、眼鏡にスーツ姿の知的な女性……FBIのLA支局のクレア・アッカーマン捜査官だ。


「いえ、そうでもないわ。ありがとう、アッカーマン捜査官。急な電話だったにも関わらず……」


 するとクレアは自嘲するように笑った。


「いいのよ。今は余り重要な案件を任せて貰えない状態だから結構暇なのよ」


「…………」


 彼女はしばらく前にこの街を恐怖に陥れていた連続殺人鬼『ルーガルー』の事件を任されていたが、とある作戦に失敗し10人以上のFBI局員が死亡する多大な犠牲を出してしまった。その一件で局内での信用は失墜し、未だに干されたような状況であるらしい。


「それで? 耳寄りな話があるのよね?」


 クレアが務めて明るい声で場の空気を変えるように言う。ローラもそれに倣う。


「ええ……FBIは例の殺人鬼、『ディープ・ワン』の事をどれだけ把握しているのかしら?」


「……! 現状では何とも言えないわね。保留中と言った所かしら」


 用件を察したクレアの表情が真剣味を帯びる。その言葉に嘘は無いのだろう。つまりFBIとしても『ディープ・ワン』の正体・・に関する決定的な証拠を掴んでいる訳ではないという事だ。ならば興味を引けるかも知れない。


「現段階では状況証拠のみの推論になるのだけど、もしかしたら『ディープ・ワン』には超常犯罪が絡んでいるかも知れないわ」


「……何かあったの? 詳しく聞かせて貰える?」



 ローラはヴェロニカの来訪を含めて彼女の目撃した『モノ』、マイヤーズの情報、ダリオの脱走などを説明した。クレアは顎に手を当てた姿勢でそれらの情報を吟味していた。



「……なるほど。それでウチFBIに連絡してきたという訳ね」


「ええ、私達市警は他所の管轄には入れないから……」


 状況によっては協力し合う事もあるが、今回のようなケースでは難しいだろう。強引に入り込もうとすれば余計な軋轢によって捜査に支障を来すのは目に見えている。そもそも本部長がそれを許可しないだろう。


「……半人半魚の怪物、ね。いいでしょう。私に出来る事はやってみるわ」


「ありがとう。恩に着るわ」


「いいのよ。私は名誉挽回のチャンス。あなたは同僚の安否の確認。どちらにもメリットがある事なのだから遠慮はいらないわ」


「そうだけど、それでも感謝しているわ。私一人では手詰まりだったし……」


「ふふ、そんなに感謝を形にしたければ、今度あなたの『恋人』を色々調べ・・させてくれるかしら? 彼女・・の身体は非常に興味深いわ」


「そ、それは……」


 即座にローラの頭の中に愛しい人物の姿が思い浮かぶ。そして思わず動揺したように言葉に詰まる。そんなローラを見てクレアがクスッと笑う。


「冗談よ。さっきも言った通り私にとっても降って湧いたチャンスなんだから、むしろ私があなたに感謝したいくらいよ」


「アッカーマン捜査官……」


 するとクレアが再び苦笑する。


「ねえ、前から思ってたけどそろそろお互いに他人行儀な呼び方やめない? 呼びにくいでしょ?」


「……!」


 実はローラ自身そう感じてはいたのだ。彼女とは『ルーガルー』事件を通して、それなりに気心が知れる間柄にはなってきている。今回もこうして電話で待ち合わせたりしているのだ。ただ切欠が無かっただけだ。クレアの方からその切欠を作ってくれたようだ。ローラも苦笑する。


「そう、ね……。じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ、クレア・・・。調査の件、宜しく頼むわ」


「任せて、ローラ・・・


 2人の女は改めて固い握手を交わすのであった。

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