File9:吸血鬼

「『サッカー』との関わりについては解ったわ。でも、まだあの……グールだっけ? あれについて聞いてないわよ? あなたの異常な力の事も含めてね」


「それを聞いたら、あなたは本当に後戻り出来なくなるわ。それでも知りたい?」


「……何度も言わせないで。私はもう見てしまった・・・・・・。忘れる事なんて出来ない。私はもうとっくに後戻り出来なくなってるのよ」


「……そうね」



 ミラーカは、ハァ……と気だるげに嘆息した。それからおもむろにローラを正面から見据えた。絶世の美貌とその吸い込まれそうな瞳に、ローラは再び胸が高鳴り、息が苦しくなる感覚を覚えた。



「私の年齢が……500歳を超えている、と言ったらあなたは信じるかしら?」


「……は?」



 一瞬何を言われたのか解らないローラが呆けた瞬間だった。目にも止まらない素早さで、気付いたらローラの両肩をミラーカの手が掴んでいた。本能的に逃れようとするが、凄まじい力で押さえ付けられて動けない。驚くローラの目の前で、ミラーカがその口を大きく開く。そこには……



(え……き、牙……?)



 そう、人間の犬歯に当たる部分に、明らかに犬歯というには長過ぎる、鋭い『牙』が生えていたのだ。ローラはこれと同じ物をつい最近見た事があった。あの3人のギャング達だ。だがミラーカの目は妖しい美しさを湛えながらも、それまでと変わらない目であり、あのギャング達の不気味な黒目とは全く違う。



「ミ、ミラーカ、あなた……」



 ローラの呆然とした声と同時に、ミラーカがローラの肩から手を離す。圧力から解放されたローラがハッとしてミラーカを見ると、もうそこには先程の牙を生やした怪物然とした姿は無く、元(?)のミラーカに戻っていた。



「これで解ったでしょう? 私は人間ではないの。いえ、正確には彼によって人間ではなくなったの」


「もし違ってたら笑って頂戴。……あなたは、いわゆる吸血鬼ヴァンパイアって訳?」



 ミラーカは笑わなかった。



「本当の真祖は彼だけで、私達はあくまで彼によって変化させられた第二世代ではあるけどね」


「は、はは……嘘でしょ? そんなもの、小説や映画の中だけの話じゃなかったの?」


「あのアイルランドの小説家が書いた有名な小説は、まさに彼をモデルにしたものだったのよ。そこからフィクションの世界へ伝播していったのね」


「ッ!? ちょ、ちょっと待って! とすると、あなたの言ってる『彼』ってまさか……」 


「……ワラキアの『串刺し公』ヴラド・ドラキュラその人よ」


「……!!」

 余りにも想定外のスケールに、ローラは一瞬気が遠くなった。まるで自分がたちの悪い伝奇小説の中に迷い込んでしまったような錯覚を覚えた。


 だが今しがた見た牙を生やしたミラーカの姿も、そして昨日の裏路地のギャング達も紛れもない現実だ。自分達が知らないだけで、その世界はすぐ隣に存在していたのだ。


 ミラーカはそんなローラの様子を、ちょっと面白そうに観察している。



「それで? この話を聞いて、あなたはどうするの? 上司に報告してみる?」


「……出来る訳ないって解ってて聞いてるでしょ」



 当然ながら、今聞いた話をそのまま警部補に報告した日には、間違いなく捜査から外されて精神科医の受診を勧められるだろう。ギャング達の死体もボロボロに崩れて消え去ってしまったので、証拠は残っていない。ある程度ボカして報告するのも駄目だ。どこでそれを知ったという話になり、ミラーカの事を話さざるを得なくなる。



「あの……参考人として捜査に協力してもらう事は出来ないかしら? 勿論吸血鬼の下りは話さなくていいから」



 藁にもすがる思いで聞いてみたが、案の定ミラーカは首を横に振った。



「警察に解決できる話なら、最初から通報しているわ。ただでさえ街の人達が殺されているのに、これ以上犠牲を増やしたくないの。相手が人知の及ばない怪物だと言う事を認知しない限り、警察の手に追える相手じゃないわ」


「…………」

 これまでに起きた数々の暴動や凶悪犯罪を経て、警察の装備や人員にはかなりの予算が割かれている。SWATがそのいい例だが、このロス市警に於いても警備部などは、ちょっとした軍隊並みの規模である。例え相手が本物の怪物であっても、決して引けを取らない武力を保有している。


 だがそれは相手の脅威を正確に認識した上で、その総力を挙げれば、という条件付きだ。当然だが太古の吸血鬼が跋扈しているなどと言った所で、まともに取り合ってもらえるはずがない。


 先程ローラが提案したように、ある程度の情報を隠した上で捜査に協力する事自体は可能だ。だがそれをやると警察は「人間の」犯罪者相手を想定した通常の捜査を行う事になり、結果として戦力を小出しにする形となって、無駄な犠牲者が増える事になる。



「あなたにこの事を話したのは、これ以上首を突っ込んで欲しくないからよ。このまま関わればあなたも死ぬ事になる。あなたのような可愛い女の子が死ぬのを見るのは悲しいわ」


「……っ」

 面と向かって可愛いなどと言われ、ローラはまるで思春期のティーンのようなときめきに似た感情が湧き上がるのを感じた。その動揺を押し隠すように質問する。



「で、でも、それじゃあ、あなたはどうなるの? このままじゃいずれ……」



 相手は複数いるようだ。ミラーカの関係した人間が殺されている事からも、『捜索』の範囲は徐々に狭まってきているはずだ。ミラーカが捕捉されるのも時間の問題だろう。ミラーカが微笑む。



「その時は500歳生きた老婆が1人死ぬだけよ。少なくともこの街から『サッカー』はいなくなる。あなた達にとっては喜ばしい事でしょう?」


「……ッ!」

 その微笑みを見たローラは、再び形容しがたい感情に翻弄される。死ぬ……? 目の前の美女がこの世からいなくなる……? その事実にローラは何故か激しく動揺した。



「わ、私は……」


「いいのよ、仔猫ちゃん。それが誰にとっても最善の選択よ。勿論私も黙ってやられるつもりはないわ。死ぬ時は彼等も道連れにして共に逝くわ。私達はこの世に存在してはいけなかったのよ」


「ミラーカ……」


「さあ、私の話はここまで。もう夜も遅いわ。女の子は寝る時間よ」



 そう言うとミラーカは、コートを手に取って立ち上がった。行ってしまう。ここで別れたらもう二度と会えない。そんな予感を強く感じたローラは、何とかして引き留めようとする。



「ま、待って。何か……何かいい方法が……!」



 ミラーカが再び微笑む。優しい笑みだった。



「ありがとう、心配してくれるのね? でもどうにもならないの。解って頂戴」


「……ッ」


「最後に……ヴラド自身が表に出てくる事はまず無いわ。実行犯は2人の愛妾……シルヴィアとアンジェリーナよ。淡い金髪か赤毛の絶世の美女を見たら気を付けなさい」



 自らも絶世の美貌を誇る黒髪の女はそれだけ言い残すと、ローラが止める間もない内に、振り返る事なく出口に消えていった。


 後には、ただ呆然とした表情のままミラーカが去った出口を見つめるローラだけが残されていた……

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