File1:黄昏の邂逅

 アメリカ合衆国カリフォルニア州にある巨大都市ロサンゼルス。


 世界有数の巨大都市として多くの人口を有し、また経済・文化の中心地点としても華やかな繁栄を誇っている都市でもある。


 しかし光が強い程、また闇も深くなる。


 世界中からあらゆる人間の集まるこの都市は実に様々な犯罪の温床ともなっており、その治安を守る職務を負っている者達に安息の二文字は無かった。




****




 時刻は夕暮れ時。場所は街の郊外。今は使われていない朽ちた倉庫の入り口からやや離れた場所に、一台の車が止まった。



「……ここね。『サッカー』と思しき人物の目撃情報があったのは」



 車の運転席に座るローラは、艶のあるブロンドヘアをかき上げて、倉庫跡を睨み付けながら呟く。


 ローラ・ギブソン。ロサンゼルス市警に所属する刑事で、階級は巡査部長だ。



「先輩……やっぱりマズいですよ。応援を呼びましょうよ。本当に『サッカー』がいたとしたら僕らだけじゃ……」



 相棒のトミー・フラナガンが弱気な声でローラを諭そうとする。だがローラは聞く耳を持たない。



「あんた、ここまで来て何言ってるのよ? まだここに『サッカー』がいるとは限らないのよ? いたとしても大勢でゾロゾロ駆け付けたら、絶対に気付かれて逃げられるわ。まずは私達で『確認』をするの。理に適ってるでしょ?」


「そりゃまあ、そうですけど……」


「刑事が殺人犯を怖れてどうするのよ!? こんなチャンスそうそう無いんだから、つべこべ言ってないで行くわよ!」


「……結局それが本音じゃないですか……」



 トミーがもごもご言っていたが、ローラは聞こえないふりをして車を降りる。そう、確かにそれが本音だ。巷を騒がせ、マスコミにもセンセーショナルに取り上げられている凶悪殺人鬼、通称『サッカー』。



 もしこの殺人鬼を自分の手で逮捕する事が出来たら? それは誰にはばかる事のない、ローラ自身の実績・・だ。それも非常に大きな手柄だ。きっとマスコミにも報道されるに違いない。



 ローラはまだ20代半ばの若い白人女性であり、客観的に見て容姿にも優れていた。まだ巡査だった頃に警察雑誌に彼女の写真が掲載されて話題になった事もある程だった。そんなローラがこの若さで警部補一歩手前の立場まで昇進した事に口さがない噂が立つのは、ある意味では必然であったのかも知れない。


 本部長と愛人関係にあるだの滑稽無糖なものはまだ笑い飛ばせるとしても、ローラが我慢ならなかったのは彼女の上司に当たるリチャード・マイヤーズ警部補との仲を疑われている事である。


 確かに彼女を取り立ててくれたのは事実だが、そこには決して不純な関係などは無かった。このままでは尊敬する上司にまで風評による迷惑を掛けてしまう。その事もあって余計にローラは、目に見える実績を求めていた。



(手柄を立てて、周囲を見返してやるんだ! そうすれば下らない噂なんかすぐに収まるわ)



 トミーは未練がましく、まだ車の中でもたもたしていた。ローラは怒鳴り付けたい衝動を堪えて、努めて優しい口調で相棒の尻を叩く。



「トミー? まさか私に1人で行かせる気じゃないわよね?」


「ああ、全くもう! はいはい、解りましたよ! 僕は先輩の相棒ですからね! でも僕は反対したって事を忘れないで下さいよ? どっちにしろ警部補は、きっとかんかんに怒るでしょうからね」


「今、彼の事は言わないで頂戴。さあ、行くわよ!」





 2人は拳銃を構えると車から離れ、慎重に倉庫へと近付いていく。倉庫は不気味に静まり返っている。やがて倉庫の外壁まで辿り着くと、立て付けの壊れた窓から中の様子を窺う。廃材と柱だらけの一階部分には誰もいない。階段が付いていて、二階部分に行けるようだ。



「……私は表から入るわ。あなたは裏口から回って頂戴。私は2階を調べるから、その間に1階部分を固めておいて」


「了解です。……くれぐれも気を付けて下さいよ?」


「ええ、あなたもね」



 トミーが倉庫の裏手に回っていく。1人になったローラは、ふうっと息を吐くと意を決して、慎重に中へと踏み込んでいく。薄暗い倉庫内には人影は見当たらない。やはり何かあるとしたら2階か。1階はトミーに任せて、ローラは銃を構えながら、錆びた階段を昇っていく。古い鉄板の階段はどれだけ足音を殺そうとしても、一段踏み抜く度に異音が鳴り響いてしまう。



(……もう少し動きやすい格好の方が良かったかしら)



 ローラはグレーのスカートスーツ姿であった。靴も踵は低めだがヒールタイプの靴であったので、足音を殺すのには尚更向いていない。どうせ隠れる意味がないなら、とローラは多少大胆に昇るペースを速める。


 なるべく速く、それでいて慎重に。2階部分に上がったローラの目に、積み上げられた木箱の影に半分隠れるようにして床に投げ出された、誰かの足が目に入った。



「……ッ!」

(誰か、倒れてる!? 被害者!? それとも……)



 咄嗟に駆け寄ろうとしたローラの視界を、人間大の黒い影が横切った。



「ッ!! 警察だ! 動くなっ!!」



 だが影は構わず2階部分の窓を割る様にして、突き出た屋根の上に飛び出した。



「ちっ!」



 舌打ちしながら追い掛ける。倒れている死体? が視界に入るが、今は容疑者確保が先決だ。窓枠に足を掛けて、自らも屋根の上に飛び出る。その際にタイトスカートがずり上がって際どい格好になるが、気にしている余裕はない。


 血走った目で周囲を見渡すローラ。屋根の縁に人影が立っているのが見えた。



(居たっ!)

「ロサンゼルス市警よ! 無駄な抵抗はやめて大人しく投降しなさいっ!」



 身体の前で銃を水平に構えて、人影に向かって突き付けながら怒鳴る。人影がゆっくりと振り向いた。長く黒い髪が、頭の動きに合わせてたなびいた。



(……お、女?)



 黒いロングコートのような物を着ていたので解りにくかったが、その人影は女性であった。それも……



(な……なんて、綺麗……)



 全ての光を吸収するような漆黒の髪に、一見して東欧風の顔立ち。その非常に整った造作は、まるで神が予めそのように設計したかのような、完璧なる美を体現していた。


 同性ながら一瞬見惚れかけたローラだが、状況を思い出してすぐに気を引き締める。



「う、動かないでっ! ……あなたが『サッカー』なの?」



 思わず口走っていたその質問に、黒髪の女がクスッと笑う。蠱惑的なその微笑に再び気持ちが蕩けかけるが、嘲笑の響きを含んでいた事も敏感に感じ取って激昂する。



「な、何がおかしい!?」 


「そう聞かれて、はいそうですと答える者の方が少ないのではなくって? それを調べるのが警察の仕事ではないかしら?」


「……っ!」



 まるでベルを奏でたような澄んだ音色の声で紡がれる侮蔑の言葉に、ローラはギリッと歯噛みする。



「はぐらかすな! 重要参考人として、署まで同行してもらうわよ? そこでお望み通り、徹底的に調べてやるわ」



 女が再び笑う。



「……一つだけ教えて上げるわ。もし本当に『サッカー』と鉢合わせしていたら、今頃あなたは中にある死体と同じ運命を辿っていたでしょうね」


「な……!」


「血気盛んなのは結構だけど、行き過ぎれば自分の寿命を縮めるだけよ、可愛らしいお嬢ちゃん?」


「ッ! ふ、ふざけないで! あなた、何を知って――」



「先輩っ!」



 そこに騒ぎが聞こえたのだろう、トミーが駆け付けてきた。と、それと同時に信じられない事が起きた。女がこちらを向いたまま、後ろ向きにひょいっと屋根の縁から飛び降りたのだ。地面までかなりの高さがある。人間が……ましてや女性があんな体勢で飛び降りたら、大怪我する可能性が高い。 



「馬鹿……!」



 咄嗟に縁に駆け寄ったローラは、更に信じられない事態に目を剥く事になる。



「い、居ない……!?」



 ローラが縁に駆け付けるまで精々3、4秒だ。無事に地面に着地し、かつ他の建物の陰に身を隠すには短すぎる時間だ。だが現実として、たった今までローラが言葉を交わしていた女は、忽然と消え去っていた。まるで幻か何かだったかのように……



(げ、幻覚!? いや、そんなはずないわ! 確かにあの女はここにいた。そして言葉も交わした……。でも、じゃあ一体何だって言うのよ?)



 ローラが訳も解らずに混乱していると、駆け付けて来たトミーが声を掛けてくる。



「先輩、こんな屋根の上に出て一体どうしたんです? まさか、本当に『サッカー』が居たんですか!?」


「解らないわ……。居た事は確かなんだけど……」



 女の言葉が脳裏に甦る。本当に『サッカー』と鉢合わせしていたら……それはつまりあの女は違うという事だ。勿論鵜呑みにする訳にはいかないが、何故かローラにはあの女が嘘は言っていないという、確信にも似た思いがあった。



「居た? で、そいつはどこに行ったんです? まさかここから飛び降りたとか言いませんよね?」


「そのまさかよ。……で、慌てて駆け付けた時には、影も形もなかったって訳」


「ええっ!? ……先輩、何か怪しいクスリとかキメてないですよね……?」



 トミーは極めて疑わし気な目つきだ。無理もない。かく言うローラ自身が未だに信じ切れていないのだから。



「そんな訳ないでしょ! ……でも自信が無くなってきたかも」


「はぁー……しっかりして下さいよ、先輩。とりあえずいつまでもここにいたら危ないですし、中に戻りましょう。死体の事もありますし」


「! そうね……すぐに署に連絡して、鑑識を呼んで頂戴」



 あの女の事はともかく、中にある死体は紛れもない現実だ。ローラは気を引き締めると、その場を後にしたのだった……。

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