貝は殻を残して中身だけ食べられる

都々丸@牛の歩み

朝日か夕日か、現か夢か

切った髪は床に落ちて

 暖かさの中にまだ寒さが残る春のはじめ。無事に高校を卒業し大学の入学式を控えた私は、桜の花びらが散りばめられた道を、美容室に向かって歩いている。

 美容室に行くのだから、やることは決まっている。髪を切るのだ。だけど、別に「おしゃれになって大学デビューして、彼氏を作りたい!」っていう、キラキラした動機じゃない。

 これはけじめだ。今までの私から変わるために、髪を切るのだ。

 階段を上がり、美容室の入り口の前に立つ。ひとつ大きな深呼吸をして、銀色の取っ手を自分の方に引き寄せる。

 カランカランと心地の良い重みを持ったウィンドチャイムが鳴って、カウンターの中にいた金髪の若い男の人が顔を上げた。

「お、らっしゃいませー」

 そう言ってニヘラっと笑うと、彼は入り口の脇にある靴箱を指差した。

「そこに脱いだ靴入れて、スリッパ履いて上がってください。荷物はこっちねー」

 言われた通りにスニーカーを脱ぎスリッパを履いて、カウンターの前にある三人掛けのソファーのはじっこに荷物と上着を置いた。

「えっとぉ、お客さん、予約してきたコ?」

「あ、はい、3時に予約した、卯辰山夕湖うたつやまゆうこです」

「ウタツヤマさんね、オープンしてはじめてのお客さーん」

 慌てて答えた私に、彼は嬉しそうに言った。

「そ、そうですか」

 そう口に出してから、私はあっと思った。こういうとき、もう少し気のきいた、なんというかノリの良い…そんな返しをするべきなのに、私はたった一言ですませてしまった。

 ……こういうところが、いけないのだろうな。一線を引いてしまうところが。

「今日はどんなカンジにしますかー?」

 静かに落ち込む私を椅子へ案内しながら、彼はまたヘラリと笑った。

「えっと、バッサリ。あの、肩にかかるくらいまでに…お願いできますか……?」

「はーい、お任せください」

 彼のふんふんという鼻歌を聞きながら、倒れていく背もたれに体重を預ける。私の腰辺りまであった髪が洗面台の中にするんと入り、お湯でじわじわと濡らされて、ふわりと不思議な香りのするシャンプーに包まれるる。地肌を指でマッサージされる感覚に、顔にかけられたタオルの下で、私はゆっくりと目を閉じた。

「かゆいところあったら、遠慮なく言ってくださいねー」

「はーい……」

 彼のゆったりとしたしゃべり方と不思議なシャンプーの香り、そして指の感触の心地よさで、私もゆったりとしてきた。

 しばらくして私の髪はしっかりとすすがれ、背もたれがゆっくりと起き上がった。

「はぁい、終わりましたよ。こちらの椅子に移動してくださーい」

 頭にタオルを巻いて少し重いまぶたのまま、私は彼に手を引かれて鏡の前に座る。

「お客さん、髪切るのご無沙汰ですねぇ。ずいぶん長い」

「はぁ…。長いほうが、女の子らしいのかなって……ずっと切ってなかったんです」

 頭をタオルで拭かれる揺れに合わせて、のろのろと答える。

 なんだか、お昼ご飯の後の退屈な授業中のような、寝てはいけないのに眠気が襲ってくる時の心地よさを感じる。そのおかげか、初対面の彼と特に緊張せずに話をしていた。

 全体が軽く拭き終わると、彼はタオルをカゴの中に入れ、代わりに櫛とハサミを手にした。そのハサミを鏡越しに見たとたん、さっきまでの心地よさが強風にさらわれたようにどこかへ行ってしまった。

「んん? お客さん、このハサミが気になるの?」

 閉じかけていた瞼をパッと開いてハサミを凝視している私に気づいたのか、彼はシャキシャキとハサミを鳴らした。

 そのハサミは真っ黒だった。照明による照り返しで色が明るい所があってもいいはずなのに、まるで雲が重くのしかかった夜のように真っ黒だ。

 しかし、私の目を惹いた理由はそれだけではなかった。眩惑的な、言葉に表せない……まさにこの世のものではないような恐ろしさを感じたのだ。

 言葉を失っている私の肩に、彼がそっと手を乗せる。

「きれいでしょ、このハサミ。僕の大切なものなんだー」

 その手にはまだあのシャンプーの香りが残っていて、私の鼻をその香りが撫でた。

「使うのは久しぶりなんだけど、だいじょぶ。うまくやるから」

 また妙な心地よさが襲ってきて、見開いていた瞼がゆっくりと下がる。

「お客さん、バッサリ切っちゃいたいんでしょ? まかせて。ちゃんと切ってあげる」

 「いいよ、いいよ」と言う彼の言葉が遠くの方で聞こえ、私の視界は、あのハサミのように黒くなっていった。



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 おお、何かが始まりそう……! この先どうなるのかはよくわかんないけど、男装女子のために頑張ります。

 読んでくださり、ありがとうございます!

  

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