第五章、その七
○月×日。約束の日。
いよいよ、『決行』の時が来た。
もう昼過ぎだというのに空腹のためか、
彼を起こさないようにこっそりと、抜き足差し足で忍び寄る。あとはあのか細い首を締め上げるだけで、すべてが終わりなのである。
……それとも何か刃物や鈍器を使ったほうが、確実であろうか?
寝息さえ聞こえないほどの、安らかなる寝顔。
あたかもこの座敷牢の三方の壁を埋め尽くす、古びて美しき少女人形そのままに。
呼吸に合わせてかすかに上下をくり返している、華奢なる胸部。着崩れた襟元からのぞいている、陶器のように白く
ごくりと鳴ったのは、僕の喉だろうか。
いつしか僕の中で、優先すべき欲望が、目まぐるしく変わっていく。
食べたい。一体化したい。──いやそれよりも、愛したい。犯したい。傷つけたい。嬲りたい。
……いったいどれが、僕の本当の望みなのだろう。
結局は僕も、『
──いやちがう。僕には彼に対する『愛』があるのだ。なぜなら僕は今、鞠緒を救ってやろうとしているのだから。
……『愛』? 殺して喰らおうとすることが?
いやいや、僕はあくまでも鞠緒を解放するために殺すのであって、けして喰ったりするつもりなんかはないわけであって──
本当に喰わないつもりなのか? せっかく殺してしまうのに?
そもそもこの里の掟自体が、『生き物を殺したらその生を無駄にしないためにも、亡骸は全部食べてしまうこと』だったではないか。
それなら構いやしないんじゃないのか、このまま僕が自分自身の欲望に従ったとしても。
──この少年を存分に犯し嬲り傷つけ殺してから、その屍肉をむさぼり喰おうとも。
心の中の『
もどかしく手荒に胸元をはだけさせると、臍の上までが露となった。
そしてそのふっくらとした腹部へと、
「ん? 『ふっくらとした腹部』って……」
急に冷静さを取り戻し、少年の体をまじまじと見つめ直してみた。
……………………………………………………………………(十分ほど経過)。
「おいっ、鞠緒、起きるんだ。おいったら、鞠緒!」
ネズミな男衆なら『びびびびびびびびび』と頬を平手打ちする勢いで、鞠緒を揺り起こしにかかった。
「痛い痛い痛い痛い、我は取り扱い注意だと言うておろうが。──何じゃ何じゃ。いよいよその気なってくれたかと思って、期待しておったのに」
てめえ、起きていたのか⁉
「そんなことはどうだっていい。鞠緒、どういうわけなんだ、この有り様は。おまえこの『全員参加強制ダイエット』期間中に、何でこんなにふくよかに太っていやがるんだ。まさかこっそりとどこかで、人肉でも喰っていたんじゃないだろうな!」
つかみ掛からん勢いで尋ねれば、むしろ腕の中の少年のほうがむっと眉根を寄せて、怒りの表情を発露する。
「何を言うのじゃ、『巫女姫』である我に二言はない。けして人肉など口にしてはおらぬわ!」
「え? じゃあ、女中さんたちの──『人魚の肉』とか?」
「ちがうわい! ナキウサギや野ネズミの肉じゃ!」
──へ?
あれ? え? それって。
「……ナキウサギや野ネズミ?」
「そうじゃと、言うておろうが!」
怒り心頭で膨れっ面となっている少年を見ながら、僕は大混乱に陥ってしまっていた。
……えーと。このゲームのルール上、小動物とかを食べてもよかったんだっけ。あ、いや。あんな馬鹿げたゲームのルールなんか、別に守る必要もないんだけど。
──あ、そうか。
この里には人間以外にも小動物とか山鳥とか魚とかがちゃんといて、別に今すぐ人間同士で殺し合って共食いする必要なんて、最初からなかったんだ。
お恥ずかしいかぎりだけど僕ってば、食糧庫で鞠緒が人の屍肉を食べているところを見てしまったショックで、いつの間にか人肉のことしか頭に入らなくなっていたようである。最初にちゃんとこいつが、
いかんいかん。これではミステリィおたくどもの視野の狭さを、笑うことなんてできやしない。僕だって同じようなものではないか。
すっかり
別に「さあ、今からゲームの始まりです。人間同士で殺し合いなさい」なんて、そそのかしたわけでもなかったのだ。
おのれ許斐め、人に『バトロワ』もどきを無理やりやらせようとしていたな!
「……そうか、そうだよな。別におまえ自身は、絶対に人肉を食べなきゃならないってわけでもないんだからな」
そうなのである。この純粋なる『
『
「何を今さらわかりきったことを言うておるのじゃ。だいたいおまえが勝手にゲームで倒した奴らの屍肉を持って帰ってきて、我に食わせたのがすべての始まりではないか」
「僕が?」
──ああ、叔父さんのことか。
「それで我を無理やり女の体にして、いろいろと楽しんでおったくせに。まったく、どこまでも天然素材に自分勝手なやつじゃのう」
何だよその、『天然素材に自分勝手』って。まるであの人でなしの叔父が、
「あっ」──そうかそうか──「そういうことだったんだ!」
「な、なんじゃいきなり。……おぬし、本当に大丈夫なのか?」
突然の天啓のひらめきにまさに小躍りすらしかねない僕の様子を見て、怪訝な表情で顔をのぞき込んでくる鞠緒。あらら、元祖『天然少年』におつむの心配をされてしまったようである。
しかし屈辱なんか感じはしない。たしかに僕は、とんだ『愚か者』だったのだ。
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