第二章、その十
「……どういうことなんだ、いったい」
時はすでに真夜中過ぎ。僕は今度こそ本格的に布団の中に横たわり、激しく自問自答に明け暮れていた。
あれからもちろん
『だって我にこの傷を付けたのはすべて、
──って、いつ僕がそんなことをしたと言うのか。あ、いや。『潮』ということは、つまりは叔父さんだというわけか。そうか、それならほっと一安心……なんてできるわけないだろ!
『
まあ、
──叔父──。自分に最も近しき血族。しかも鞠緒なんかからすると、区別もできないほどに、似ているらしい存在。
そんな人間がいたいけな少年というカンバスに残していった刻印。それをまざまざと見せつけられて感じるこの罪悪感とえも言われぬ自己嫌悪は、彼と僕との間のいまだ知られざる相似形という絆ゆえであろうか。
ふと見上げれば、開けっ放しの中庭に面した障子口から、わずかに欠けた十六夜月が輝いているのが見えた。
「そうだ、昨夜は満月だったんだよな」
ふいにそのとき、あの少女の
──月に一度の、夢の中だけの逢瀬。失われた過去の記憶から抜け出してきたような、けして物言わぬ月の化身のごとき乙女。
まあ、いいか。自分の叔父とはいえ顔さえ記憶に残ってない人間のことを、あれこれ思い悩んでいてもしかたがない。いくら血がつながっているからといって、僕と彼とはあくまでも別の人間なのだ。僕は僕なりに鞠緒と付き合っていけば、それでいいのである。
こうして自分自身を納得させながら、僕は雑念を振り払うかのようにごろりと身を横たえ、布団を頭からかぶろうとした。
その刹那、思わず体が固まった。何かが自分の足元で、うごめいていることに気づいたのである。
なんだなんだ⁉ とっさに布団を引っぱがしたとたん目の前に飛び出してきたのは、たった今想像したばかりの瞳とは色違いの、
「……おまえ、いったい、いつの間に……」
その一糸まとわぬ痩せ細った体はけして少女のものではなく、おうとつや丸みのほとんどない、すらりとした少年独特のものであった。
しかし、月明かりを背に僕のほうを覆いかぶさるように見つめているのは、昼間のようなあどけなく無邪気な瞳ではなく、まさにあの夢そのままに僕の心臓を直接射ぬくがごとく、挑むように睨みつけるように蒼白く輝いていたのだ。
いったい僕は何をしているのだ、寝込みを襲われているんだぞ。なぜしかりつけようとも起き上がろうともしないのだ。
──そうか、あの瞳だ。あの瞳に見据えられて動けないのだ。
まるで月明かりの夜空のような、澄み渡った青の瞳。その神々しくも妖しくみだらな輝きが、僕を捕らえて放さないのだ。
すると、まさにその二つの
うわっ、何だか生暖かい蛇のようなものが口の中でうごめき始めた。ああっ、たった今舌にからみついてきた。ちょ、ちょっと、今度はどこを触ろうとしているんだよ⁉
その少年は、唇、舌、指、膝、そして股間と、自分の体のすべてをこすりつけるようにして、僕を愛撫し始めた。
心の中では理性が『だめだだめだ』と叫んでいる。しかし、彼の
容赦のない足蹴が少年のどてっ腹に決まり、布団と一緒に吹っ飛んでいく(笑えよ)。
あぶないあぶない。つい雰囲気に流されて、官能小説を紡ぎだしていくところだった。
しかし何ちゅうテクニシャンなんだ、こいつってば。
「……ううう、いきなり何をするんじゃ。驚いたではないか」
畳の上で尻餅をつき痛む腹を押さえつけながら、涙目で恨みがましく睨みつけてくる少年。
もちろん同情の余地なぞ、今の僕には微塵もない。
「驚いたのはこっちだ。突然人の寝込みを襲いやがって。まさかこの里には年齢性別を度外視した、無差別級異種格闘技戦的な夜這いの風習でもあるのかよ。一応ここも日本なんだから法律を守れ──つうか、そもそもまず第一に相手の同意を確認しろ!」
それを聞いて目をどんぐりのように丸くして、まじまじと見つめてくる暴漢少年。
「おかしいぞ、潮!」
おかしいのは、おまえのほうだ。
「おかしい、おかしすぎる。あの潮が、我の夜の御奉仕を拒むどころか、法を守れとか相手の同意を確認しろなぞと言い出すなんて!」
……何が『夜の御奉仕』だ。ていうか、いったい僕の叔父さんて、どういう人だったのだ。
「あのさあ。いちいち言うのも面倒だからずっと流していたんだけど、最初から言っているように、僕の名前は『潮』じゃないから。彼の甥で『
「潮は潮で潮だから潮なのだ! 我がおまえのことを潮と呼べば、おまえは潮に決まっているのじゃ!」
何の活用形なんだ、それは。
「なぜじゃ、何が不満なのじゃ。我はすべておまえの望み通りにしているのだぞ! さあ、我のことを誉めてくれ。我に『褒美』を与えてくれ!」
「……ほうび?」
「おお、そうじゃ。我はおまえが教えた通りにちゃんと御奉仕をした。おまえが刻み込んだ傷にも耐えてきた。すべてはおまえから『褒美』をもらうためなのじゃ」
「おいっ、褒美とは何のことだ。いったい叔父はおまえに何をしていたんだ!」
思わず少年の首を締め上げるようにして、まくしたてながら詰め寄った。
だんだんと、不吉な考えが脳裏を支配していく。
幼い体に刻み込まれた無数の傷痕。まるで入念に仕込まれたペットのように、父親に『御奉仕』をしようとする義理の息子。
──ホラ。キレイニぱずるガ、ハマッタヨ──。
「潮どうした。どこに行く気だ。また我を独りぼっちにしないでくれ。何でも言うことを聞くから。我の体を好きにしていいから。うしお。うしお。うしお。うしお。うしおー!」
僕はその少年の哀願の声を振り切るように、夜の中庭へと飛び出していった。
もうこれ以上、自分の叔父の『生きた背徳の証し』を、見てはいられなかったから。
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