第二章、その五

 その宴はまさに、竜宮城の酒池肉林もかくやといった豪華絢爛さであった。


 館のほぼ中央に位置し最大の占有面積誇る大広間にて、館の住人と宿泊客総出演で、僕と夕霞ゆうか嬢の歓迎の祝宴が設けられていた。

 もはや日も暮れ切ったというのに、屋内の無数の灯燭と庭に設置された大きな篝火が、夏場の昼間の明るさと暑苦しさを演出している。

 縁側の延長上に急きょ設けられた演舞台では、女中さんたちが優雅に舞い踊っている。まさにその様は竜宮城の鯛や平目のミックス・ダンシングを、彷彿とさせるものがあった。


 そして僕はといえばなぜか、上座の特等席にて『乙姫様(ただし少年)』と並んで座らされ、『浦島太郎』の大役を仰せつかっていたのである。……おいおい、勘弁してくれよ。


うしお、楽しいか。我はいくぶん退屈だぞ」

 おお、口調だけ聞いていると、十分竜宮のあるじなお方が声をかけてこられた。

 それには答えぬまま、再び周囲に目を巡らす。

 僕と鞠緒まりおが座らされている一番奥のいわゆるお誕生日席を起点に、豪勢な料理の山を載せた長大な宴席が縁側までのびている。

 その僕らから向かって右側には、宿泊客であるミステリィ業界『人魚愛好会』の(多士済々ならぬ)有象無象の顔ぶれが雁首を揃え、そして左側には夕霞嬢をはじめ館の女性陣が、現在最高潮クライマックスのダンスが終了次第華やかなる御尊顔を並べてお座りになられる予定である。

 さらに僕らの面前にずらりと並んでいるのが、まさにこの宴の真の主役とも呼べる、質量とも絢爛豪華に贅と手間ひまをつくされた、山のような料理の数々であった。

 さすがにこの山奥の隠れ里では、山海の珍味とか京風懐石料理とかフランス料理のフルコースとかというわけにはいかないが、この悪条件に比してその味と量と種類の豊富さは、こちらの予想を大きく上回るものであったのだ。

 特に驚きを隠せなかったのは、メインの肉料理であった。こんな山奥でのことであり期待はまったくしていなかったのであるが、量の多さもさることながら単純に焼いて塩胡椒を振りかけられているだけだというのに、素材そのものの風味が極限まで生かされ芳醇で馥郁たる香りがこちらの食欲を際限なく引き出し、一度口に含めば肉汁の甘さと意外にもあっさり目の肉本来の味が絶妙にブレンドされて、まさに頬をも落とすおいしさとはこのことかとまざまざと実感させられた。

 ただこれって、何の肉なんだろうな。普通の牛や豚や鶏の肉とは全然違うし。名産の山鳥か何かを飼育しているのかな。まさかナキウサギだとかいうオチだけは勘弁してくれよ。


「──お粗末さまでした」

「いやいや、眼福眼福」

「やんややんや」


 歓声だか野次だかわからない男性陣の声に迎えられながら、今し方踊り終わったばかりの女性陣が宴席へと戻ってくる。……ていうか、何で夕霞さんまで参加していたの?

 ということで、ここで改めて饗宴の仕切り直しが行われることと相成るわけであるが、真っ先に立ち上がり乾杯の音頭をとろうとするのは、なぜだかあのミステリィ評論家の許斐このみ漱恋すすごい氏その人であった。どこにでもいるよね、こういった仕切り屋体質の人って。


「では、ミステリィ界にその人ありと讃えられる俊英綿津見わたつみうしお先生の甥御様であるみつる氏並びに新進気鋭の編集者である久我山くがやま夕霞女史の御来訪と、この栄えある伝統と古式ゆかしき人魚伝説の里のますますの御発展を祈って、僭越ながら私『人魚愛好会』代表幹事許斐漱恋めが、祝宴の挨拶を述べさていただきます。乾杯ー!」


「乾杯!」

「乾杯!」

「乾杯!」


 ほとんど男性陣ばかりがノリノリの様相で、高らかに酒杯が交わされていく。

 それと同時にお酌や料理の運搬のためにさっそく席を立っていく、何人かの女性たち。先ほど心尽くしのエンターテインメントを務めあげたばかりなのに、誠にご苦労様なことである。

 しかしこうしてこの全員集合な状況を見渡してみても、先ほど泉の前で言われた通り鞠緒以外の館の人って、全員が全員いかにも歴史と伝統ある和風旅館の中居さんそのものの人ばかりだよな。どう見てもいわゆる館の御主人や御母堂様や御隠居様といった、鞠緒の両親その他保護者に当たるようなお方はお見受けできなかった。──いやだからこそ、叔父と養子縁組みができたのだろうけど。


「さあさあ、あなたもまずは、御一献」


 あれこれと考え事にふけっていたら、目の前に御ちょこを突き出された。……あの僕、未成年なんですけど。

 当然それは真横に座っている巫女姫様ではない。宴が正式に始まる前は何かとじゃれついてきてはいたのだが、闘いのゴングが鳴るやいなや、今は目の前の肉の塊との格闘に夢中となっておられるようだ。

 おかしいな。先ほど高山動物を生で一頭丸かじりしていたのは、生き別れの双子の弟さんのほうだったのか?

「おや、烏龍茶かオレンジジュースのほうがよろしかったですか。今時の学生さんにしては、随分お堅いようですなあ」

 ……そういう偏見はよしなさい。いかにも年寄り臭いから。

 声の主はもはや言わずとしれた、ミステリィ評論家(というよりオタク論客)の許斐漱恋氏。僕らは嫌なはす向かいのお隣同士。

 どうでもいいけどこの人の名前って、普通にペンネームなのかな。もしかして「夏目漱石先生に恋しているの♡」という意味で『漱恋』だったら、ちょっと──いや、かなり怖いけどな。

 さっきから僕が一言も応答しないのは、別に人見知りの恥ずかしがり屋さんだからではない。オタクに持論を展開させるチャンスを与えることがいかに危険であるか、身にしみて理解しているだけのことである。けしてこのシーンでは特段役割が与えられていない、傍観キャラに指定されているからではありません。


 それを見かねたのか、斜め向こう(つまりは宴席を挟んで許斐氏の真正面)に座っていた夕霞さんが、助け船を漕ぎだしてくれた。


「まあまあ許斐さんたら。宴もまだ序盤だというのに、さっそくかわいらしい男子高校生にちょっかいを出してくださったりして。そっちの御趣味でもあるんですか。それよりサイドワークというかそれこそライフワークというかの『人魚伝説御探究』のほうは、何か御成果はありましたかしら」

 若干(?)皮肉めいた口調で評論家を牽制する編集者。どこか「自分の獲物に手を出すな」といった感じの、女豹か何かに見えてしまうのはうがち過ぎか?

「いやいや、我々がこの里に来てからまだ一月ひとつきあまり。焦りは禁物ですぞ。それに私は最初から確信しているのです。この旅において長年追い求めてきた謎が必ずや解明され、すべては大成功を収めると」

「あらあら、その夢のようなたわ言──いや失礼、お話の根拠は、(あなたの脳内電波宇宙の)どのあたりに存在なさっているのでしょうか」


「そんなこと最初から決まっているのです。すべては昔から小説界にとうとうと受け継がれてきたセオリーに、ただ従っていればいいのです。我々ミステリィ関係者のいるところにおいて常に必ず大事件が発生し、我々が追い求めれば謎がむこうから自然と引き寄せられてきて、我々がこうであると決めつければ謎も犯人も完全密室トリックもあっけなく解明され、すべてが白日の下に晒されるようになっているのです!」


 うわっ、何だそりゃ。それってまるで金○一の子孫がいるところに、無意味に惨殺事件が頻発し無益な死体の山が築かれるという、少年マンガ等の世界の論法じゃないか。もはや本格ミステリィ評論家の弁では無いというか、むしろこれこそが本格だったりして。

「おやまあ、とても業界きっての常識派の許斐氏のお言葉とも思えませんね。何か小説の中のお話と現実世界の出来事とを、混同なされている御様子で」


「あなたこそ辣腕編集者にして新進の出版社の共同経営者にしては、何をおっしゃられることやら。小説こそが事実をつくってきたことは、まさに歴史的真実ではありませんか」


 はああああああ? この人、とんでもないことを言い切りやがった。何なのこの電波中年は。もはやオタクの御託の域を逸脱し始めたぞ。

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