第71話 氷室辰巳、最後の手段

 体育館を後にした俺は、敗北濃厚なこの状況からの逆転勝利宣言を現実にするために、とある人物の下へと向かっていた。


コンコン


 俺は、その目的地である教室に辿り着くと、内心ドキドキしながら扉をノックした。

 ドキドキしている理由は、これから会う人物が酒々井を逆転するためのカギを握っているからだけではない。

 そのこれから会う人物というのが……


「…どうぞ」

「失礼します」


 中から気だるげな聞き覚えのある声が聞こえ、俺はその部屋――職員室の扉を開ける。


「氷室、休憩中の私に話しかける…その度胸だけは買ってやろう」

「はは…その度胸に免じてちょっと相談に乗って欲しいんですが…」


 目を細め、不機嫌そうな表情で睨みつけてくる女教師……。

 相変わらずの威圧感を放つ大井先生に、思わず乾いた笑い声がこぼれる。


「ああ。酒々井との勝負のことか?どうやら私が居なくなった後いろいろと状況が変わったらしいな」

「そうなんですよ。いやぁ、十分対策も警戒もしてたはずなんですけどね」

「ほう…。なんだ。負けてる分際でやけに余裕そうじゃないか。――何かムカつくから軽く一発いいか?」


 先生が拳をポキポキ鳴らしながら笑っている。


 (先生…全く冗談に聞こえないんですが…)


「い、いやいや!別に余裕じゃないですよ?実際状況は――」

「それで?」


 相変わらずの先生の威圧感に思わず声が上ずり、さらに俺の言葉は先生の言葉に遮られ……


「御託はいい。この状況でわざわざおしゃべりに来たわけじゃないだろ?」


 先生の目が一層鋭さを増し、一瞬にして空気が変わった。

 そして、大井先生は不敵に笑う。

 ようやく本題だ。


「いえ…ちょっと先生にお聞きしたいことがありまして…」


 俺もそんな先生の放つ雰囲気に若干圧されつつニヤリと笑い返す。


「聞きたいことだと?残念ながら私も審判という立場上、あからさまにお前に協力はできんぞ?」

「いえいえ、そんな大げさなもんじゃありませんよ。ただの教師と生徒の雑談です」


 そう言って、俺は一旦そこで言葉を切る。


(ここが最初の賭けだ。もしこの時点で俺の読みが外れていればこの後の展開が厳しくなる…)


「いやぁ、先生は酒々井と同じ職場ってことになると思うんですけど、実際アイツのことってどう思ってるんですか?」


 俺は本命の質問の前に一旦ジャブを打つ。


「言ったはずだぞ。私は今、お前らの勝負の審判だ。ここで下手なことを言うわけにはいかん」

「なるほど。さすが大井先生。ガードが固いですね。じゃあ少し質問を変えます」


 そして、本命の質問をぶつける。


「酒々井は奴と同じ”上の方々”から好かれてますか?」

「ほう?」


 先生は俺の質問を受け、ニヤリと笑う。

 恐らく俺がどういった意図でこの質問をしたのか気付いただろう。


「悪いがその質問についてもノーコメントだ」


 やはり審判の立場上、酒々井が絡む質問には答えられないらしい。

 しかし…


「――だが、質問の答えは恐らくお前が思っている通りだよ」

「!!」


 先生は言葉自体は濁しつつも、俺が欲しかった答えを口にした。

 同時に、俺は無事最初の賭けに勝利し、ほっと胸を撫で下ろす。


(まずは第一関門突破だな…)


「先生、ありがとうございました。先生のおかげで逆転勝利に少し近づきました」


 俺はしっかりとお礼をし、次の目的地へと向かうべく踵を返そうとする。

 すると…


「氷室!」


 先生に呼び止められ、振り返る。


「言っとくが、お前がこれから会おうとしてる人も一筋縄ではいかんぞ」


 そう言って、先生はニヤリと笑う。

 どうやら先生は先程の質問から、俺がこれから誰に会いに行き、何をするか予想がついているらしい。


「覚悟の上です。でも、彼を説得できなければ僕の負けは事実上確定ですから」


 俺は苦笑交じりに返す。

 別に大げさではない。俺にとっては、次が勝敗の分かれ道で、逆転勝利のラストチャンスなのだ。


「まぁ、いろいろと策も準備してきましたし――成功させて見せますよ。何が何でも」


 俺は先生にニヤリと笑う。


「フン、まぁ、頑張れよ。手助けはできんが、一応期待はしておいてやる」

「ありがとうございます」


 そして、俺は大井先生なりの不器用なエールを受け取り、再び最後の大勝負の場――理事長室へと向かった。



※※※※


「何度も言いますが、これは『お願い』じゃありません。『取り引き』です。ーー勿論断って頂いても構いません。ですが、その時はお互いに失うものもあるということをお忘れなく」

「あぁ、分かっておる」


 俺の言葉に理事長は少しイライラした様子で返事を返す。


「――と、まぁ、これが僕の精一杯ですかね。――先ほどお話した”追加条件”、俺の力量も踏まえて判断していただけると助かります。まぁ、将来の先行投資と思えば十分価値はあると思うんですけどね」


 そんな理事長に、俺は自信あり気にニヤリと不適に笑いながら手を差し出す。


「ふっ、酒々井といい貴様といい…最近の小僧は食えん奴ばかりで敵わんわ」

「それはお互い様ですよ」


 それに対し、理事長は苦笑混じりに握手に応じる。


「それでは、当日はよろしくお願いします」


 そして、俺は丁寧に挨拶して退出すると、静かに扉を閉めた。


「どうだった?上手くいきそうかい?」


 俺が理事長室から出てくると、そこにはどこで俺の行き先を聞いたのか、葛西寛人が待っていた。

 そんな葛西に冷ややかな目を向ける俺…。


「…何でお前がここにいるんだよ。全くお呼びじゃないんだが?」

「やれやれ、辰巳くんはホント照れ屋なんだから」


 だが、葛西はそんなことお構いなしの様子。


「でも、どうやら僕が手を貸す必要は無さそうだね」

「当たり前だ」


 そして俺たちは不敵に笑い合う。


(やれることは全部やった。あとは…)


 後は明日の結果発表を待つだけだ。


「まぁ、見てろよ。俺の本気…そして、俺の最後の逆転劇を」

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