母の味は忘れない

 向舞祭が終わればバイト先の会社の方も本格的な繁忙期に入って、俺にとってはここからは正念場。ここから9月末まででいくら稼げるかというのが学費を捻出するという意味でも、自分の好きに使うお金を増やすという意味でも本当に大事になって来る。

 食費や光熱費といった家のお金に関しては兄さんの収入から出してもらっている。それから、大学の学費も。親のいない学生向けの制度を使って少し安くはなっているけど、それでも大きなお金であることには変わりない。だから自分でも少しは出さなきゃなって。


「おー、ちかちゃんのお弁当美味しそう」

「今日は出荷が多そうな気がしたんでガッツリとした丼物にしてみました」


 日々のお弁当も、コンビニとかで買ってると何気に高くつく。だから極力家で作って持ってくるようにはしている。今日のお弁当は三色丼。そぼろ玉子と鮭フレーク、それからほうれん草のおひたしを乗せるのが大石家流。

 早起きしてお弁当を作るのは慣れているとは言え、荷下ろしで7時半から出勤の日だと少ししんどい。だから前の日のうちから具を作っておいて、朝に炊けたごはんと組み合わせて持ってくるっていう感じ。お弁当はね、高校の時から作ってるからね。ノウハウは少しある。


「ちかちゃんの三色丼はおひたしなんだね。うちはそぼろ玉子と鮭と肉、その上にネギが乗ってるかな」

「4色になってますね。でも美味しそうだなー」

「うちって薬味好きだからね」

「カズもよく言ってる気がします」


 夏休みには俺も1日いることが多いし、派遣で来ている伊東さんは元々1日入れる日に来るような感じになっている。歳も近くて良くしてもらっていることもあってお昼は一緒に食べるような感じになっていた。

 伊東さんは俺の三色丼を覗き込みながら、おひたしバージョンも美味しそうだよねとコンビニで買ったらしいネギトロののり巻きにかじりつく。やっぱ姉弟だなあ、カズも向舞祭の休憩中にネギトロののり巻き食べてた気がする。


「でも作る人によって三食丼の具って変わるよね。鮭のピンクが桜でんぶだったり。どうやってその具に辿り着いたんだろ」

「うちの場合は、丼だとなかなか野菜を食べないですしせめてものバランスでって感じなのかなーとは思うんですよ」

「ぽいね」

「でも、母さんが生きてるうちに聞けなかったんでちょっとよくわかんないんですよ」

「あー、聞きたかったね」

「そうなんですよ。あとこのおひたしなんですけど、兄さんが言うには母さんはどこかから取り寄せた特殊な調味料を隠し味みたいにしてたらしいんですよ。でもその隠し味がわからなくて俺も兄さんも母さんのおひたしの再現は出来てないんです」


 自分たちで作るおひたしも美味しいけど、ちょっと違うよねっていう話はよく兄さんとしている。母さんが取り寄せてた調味料がわかれば一番いいんだけど。俺と兄さんの味の記憶が消えてしまう前に、これだっていうモノに出会えたら。


「でもさあちかちゃん、バランスと言えば、バランスも何もない人がいるよね、オミさんとかいう」

「あー……塩見さんてどうしてお昼はゆで卵しか食べないんでしょうね。あっでも塩見さんのゆで卵美味しいですよね」

「こないだ、「オミさんのゆで卵が塩味なのってシオミだけに?」って聞いたら「馬鹿なこと言ってんな」って怒られたよ」

「えっ…!? って言うか伊東さん度胸ありますよね。俺だったら絶対塩見さんにそんなこと言えないですもん」

「でも、ゆで卵しか食べないのは、「卵はそれ自体がニワトリになるから骨だの内臓だの細胞を構成する全ての物が入ってる完全栄養食だ」的なことを言ってたよ」

「何かそれに近しいことを焼肉の時に言ってたなあ……」

「え、オミさんと焼肉行ったの?」

「はい、こないだ。塩見さんて焼肉では本当に肉しか食べないんですよ。野菜は肉になる前の肉が食べてるから食べないって」


 こうして見てみると塩見さんて結構な偏食だ。好き嫌いが激しいとかじゃなくて、それ単体しか食べないタイプの。俺もどっちかって言うとそういうタイプなのかなあ、何でもかんでも丼にしたがるって朝霞に言われたよね。でも豚キムチは普通丼にするもん。

 そんな話をしながら楽しくご飯を食べているとあっという間に食べ終わってしまう。気持ち多めに乗せていた自分の味のおひたしであっさりと最後の一口を。周りの人たちはまだみんなご飯を食べてる。もっとゆっくり食べなさいって昔からよく言われるけど、なかなか治らないや。


「伊東さんはこれっていうお母さんの味ってありますか?」

「あー、味を度外視して一番インパクトが大きいのはぜんざいかな」

「ああ、おしるこの仲間の」

「そうそう。あっまいの。カズはあれで小豆とかあんことかダメになってさ」

「へ、へー……強烈なんですねー……」

「おいしいおひたしみたいな優しいのじゃないのようちのは」

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