散る星の残像

「朝霞、来たぞ」

「どうぞ。片付いてませんけど」

「いや、たまには外で飲むか? なあ」


 部屋にやってきた先輩を迎え入れようとすると、逆に外に出ないかと誘われる。たまには飯でもという連絡が来たのは今朝のことだ。今日はバイトも入れてなかったし、部活は……まあ、謹慎中だし。ファンフェスの打ち合わせも、定例会もない。

 羽織りの下はタンクトップ。厚い胸板に、太い腕。筋骨隆々と言うのが正しいだろうか。背は俺とそう変わらないのに、体の質が全然違うと言うか。このいかにもな体育会系風の人が、越谷雄平さん。俺の前に流刑地と呼ばれる場所の班長だった人だ。

 越谷さんの提案で、今日はいつもとは違う店へと行くことにした。いつもは山口がバイトをしている“玄”という店で、顔パスじゃないけど、山口割みたいな物を利かせてもらっている。ただ、越谷さんの昨日の夕飯が玄だったらしい。飲まずに飯だけとかも全然アリな店だ。


「生二つ」


 適当に入った串カツ屋のカウンターに、2人並んで腰を下ろす。越谷さんは左利きだから、隣に座られても箸とかペンを持つときに気兼ねしなくていいのがいい。ただ、今の俺には左手があまり自由には使えなくなっていた。


「さすがに、ジョッキは重いか」

「……ですね、はい」


 星ヶ丘の放送部がファンフェスにステージで出るという話を聞いた瞬間、頭に血が上って沸騰した。その話を聞かされていなかった俺は、どうして朝霞班にステージの話をしなかったのかと部長に抗議をして。両立する、あの時はそう思った。抗議の結果が謹慎だ。

 怒りに任せて壁を殴った左手は、折れてこそいなかったもののなかなか酷い打撲だという診断を受けた。見るからに痛そうな包帯を巻かれている。今ではペンを持てるようになったけど、左手で重い本や買い物袋、それからジョッキを持つとまだ痛みがある。


「朝霞」

「はい」


 乾杯でもするのかなと、顔を越谷さんに向けた瞬間だ。頭の前で星が弾けた。バチンという音がして、ピンポイントでデコが痛む。デコピンだ、それもかなり強めの。越谷さんは、笑うでも怒るでもなく、ただ俺の事を見ている。


「ってえ…!」

「飲むか。はい。……ほら」

「お疲れ様です。乾杯」

「乾杯」


 右手の肘が伸び切らない少々窮屈な乾杯をしてビールを喉に通しても、デコの痛みが消えることはなかった。

 これまでの経験でわかっているのは、越谷さんは無意味にデコピンをする人じゃないということだ。これまでのデコピンには、必ず何らかのお叱りがセットで付いて来ていた。焦り過ぎだとか、台本を書くにも休みを挟めとか。

 だけど、今回は何もないのだ。……いや、敢えて触れないのかもしれない。今の俺が越谷さんに何かを言われる覚えなんて、痛む左手の他にない。定例会じゃやらかしてないはずだし。えっ、やらかしてないよな? 急に不安になって来た。


「……越谷さん」

「ん?」

「何も、聞かないんですか」

「聞いてどうなる」

「そりゃそうですけど」


 今から思えば、2日連続で玄に行くくらい、俺や越谷さんにとっては何らおかしくはないことだった。それなのに敢えて場所を変えた理由だ。少なくともあの店でだったら、デコピンはされてなかっただろうと思う。“店員”の目のあるところだし。

 デコピンをするからには何もかもを知ってるんだろうけど、「聞いてどうなる」に嘘はないんだろうなと思う。俺がそれを話したところで謹慎が解かれるでも、朝霞班としてステージが出来るようにもならない。ましてや、越谷さんの何を動かすでもない。


「朝霞、食わないのか。冷めるぞ」

「わかってて言ってますよね? 食わないんじゃなくてまだ食えないんです。あっ、盗ってかないでくださいよ!?」

「盗らねーよ、多分」

「多分? それ盗るって言ってるじゃないですか。うずら串……食えるかな、まだ絶対熱い……」

「猫舌も大変だな」

「ふーっ、ふっ、ふっ。……いただきます」


 食べ始めてしまえば、口はもう咀嚼するだけで喋ることをしなくなる。こうなると俺はもう越谷さんの話を聞くだけになるのだ。4年生らしく就職活動の話や、水鈴さんがどうしたとか。野球や、近くに出来た店のことなんか。話題は多岐にわたった。


「朝霞、俺次頼むけど、お前何か頼むか? あっ、卵フライなんてのがあるじゃんな。頼むか?」

「食います。でも、じゃこたまごかけごはんが恋しいです」

「何だ、最近食ってないのか」

「ちょっと、山口と顔を合わせにくいと言うか。迷惑かけてる手前」

「なら、尚更顔見せとかないとな。よし、2軒目は玄だ」

「マジですか」

「マジだ」


 確かに、頭も冷えた頃合いだ。

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