フライデーナイト・フォーエバー

 カードキーの機能も持つ学生証をリーダーに翳せば、その部屋の扉が開く。国立星港大学理工学部応用化学科岡本ゼミの研究室だ。フラスコからプログラムまで、あらゆるツールを使いこなす科学者の養成という体で日々研究に勤しんでいる。

 岡本ゼミは学年に10人もいないゼミで、1人に1台のマシンが割り振られて席がある。今世紀最後の天才ことこのオレ、林原雄介も3年に進級し、いよいよ本格的に自分の席を持つことが叶っている。机の上にはパソコンと、キーボード。

 キーボードと一言で言ってもパソコンのキーボードとは別に、楽器の方のキーボードが置いてある。理系の研究室というものは、その部屋を寝床にしたり溜まり場にしていることが多く、先人たちもそのようにしてきたのだろう。この部屋で生活できるだけの設備や娯楽が整っている。


「リン、来たのか」

「ああ」

「バイトはどうした、繁忙期だと言ってなかったか」

「時間を見ろ、夜の9時だ。いくら繁忙期でもこれくらいの時間になれば閉めの業務も終わる」


 煙草を吸いに行っていたらしい石川がゼミ室に戻って来て、オレの存在を確認したようだ。オレは学内のパソコン自習室、情報センターという施設でバイトをしていて、学期初めの今の時期は繁忙期。開放されている時間はセンターに缶詰になっている状態だった。


「石川、何か食うものはないか」

「俺が食う予定のドーナツはあるが、あくまで俺が食う前提だ。残念だったな」


 この石川徹という男は、パッと見は優等生だ。成績優秀、運動もそれなりに出来るらしい。人当たりがいいため友人も多く、場に応じた真っ当な意見や決断力を持ち、頼りにされることも多々。

 しかし、実際は他者を腹の中で哂い、捻くれた視点を持ち人を人とも思わない言いぐさをする。性格が捻じ曲がっていると言うには歪みすぎていて、オレに代表される善良な一般市民からすれば考えもつかないようなことを平然と言ってのけたりする男だ。

 その一方で、幼馴染みの美奈など近しく信頼のおける(と言うか一方的に庇護する)存在というのも存在するのだから一概にああだこうだとも言えんが、デミサイコパスくらいには思っておいてもいいかもしれない。


「しかし、そのドーナツは未だ無記名だ。オレが食う権利も残っている」

「冷蔵庫の掟か。甘いな、袋には既に名前を書いてある。お前みたいな意地汚い奴に食われないようにな」

「では、一戦交えてオレが勝てばそれをよこす。これでどうだ」

「勝っても負けても俺にメリットがないのにやってられるか」


 そんなことをやっていると、扉の方からまたピーと電子音。誰かがこの部屋の鍵を開けたのだろう。扉が開けば、静かにやってきたのは福井美奈。パーマのかかった焦げ茶のロングヘアーに華美な服装と化粧。見た目こそ派手だが寡黙で、性格は控えめだと思っていた時期がオレにもあった。

 無表情と物静かな佇まいに対して非常に負けず嫌いな性格だ。悪乗りもする。オレと石川が騙し合っているその横で漁夫の利を得ることも多々あった。麻雀やポーカーをしているときも、表情からは手が読みにくいことこの上ない。


「……リン。来てたの…?」

「センターはとうに閉めてきた。ところで美奈、何か食うものはないか」

「……冷蔵庫に、焼きそばが……」

「自分で炒めねばならんタイプの物か」

「炒めて粉末ソースをぶっかけるだけだろ。何が面倒なんだ」

「椅子から立ち上がるのが既に面倒だ」

「バカか。餓死しろ」

「……わかった……今、作る……」

「美奈、コイツを甘やかすな。付け上がるぞ」


 美奈はこの岡本ゼミ唯一の女子で、事実上台所の主のような存在になっている。いくらゼミ室で生活が出来ると言っても料理の材料をそれらしい物に変えられるのは美奈くらいのもので、オレなどは出来合いの物を食うのが常だ。

 さっそく水場ではまな板の上でキャベツやニンジン、玉ねぎなどの野菜が刻まれている。正直に言えば、ゼミ室生活でちゃんとした野菜の入った料理を食うことは稀だ。このように、美奈が何かをしてくれなければありつくこともない。

 その様子を見ながら、石川はぶつぶつと文句を垂れる。元はと言えばお前が今食っているドーナツをオレに寄越さなかったのが悪いのだ。決して美奈がオレを甘やかしているのではなく、お前にはない良心というものがあるのだろう。


「おお、いい匂いがしてきた」

「お前ホントに強欲クソ狐だな」

「性悪狸に言われたくはないが」

「……徹は、食べる…?」

「あ、少しもらう」

「食うのではないか、散々人に文句を言っておきながら」

「それとこれとは別件だ」


 夜は長い。まだまだこれからだ。飯を食い終わったら干してある白衣や服を畳んで、ある程度身の回りの片付けをせねばならん。この部屋に泊まり込んで早4日。一応はゼミ室を、オレの生活感で満たしてしまっては。

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