7. SUCH A MORON 2



「私が逆らうときは、貴女を殺すときだと思うんですけど」


 ひどく真剣な口調で、そう言ったかさねの言葉の後に続いたのは、沈黙――ではなく、非常に楽しげな、心底可笑しそうな笑い声だった。


『――あははは! やだ、かさねちゃん面白ぉい! え、それって強がり? それとも素?』

「……」


 ――そんなもの、強がりに決まっているだろう。

 きゃらきゃらと独特な笑い方をしはじめるピクシーの声を聴きながら、かさねは苦々しげな顔で、唇を噛んだ。


 それ・・は、今のかさねに出来る精一杯の虚勢だった。馬鹿なことをしたと、自身でも分かっている。

 本当に、本当に可笑しそうに、まるでこの世で一番まぬけな話を聞いたとでもいうかのように、爆笑しつづけるピクシーのお陰で、かさねは自身のちっぽけさを嫌というほど自覚させられた。

 羞恥心で、涙まで湧き上がりそうだ。

 ひぃひぃ言いながら、ピクシーがやっと笑いを収めた。


『まぁ、どっちでもいいや。とにかく、『憑依ライド』頑張ってね。人形へのウィルス注入ついでに、機体のコントロール練習することを忘れずに。

 機体に乗り移るのは、プレイヤーの基本スキルだからね……今のうちにいっぱい練習しときな。これから必要になるよ。

 あ、もちろん警察とかに捕まる前に、機体から降りるんだよー。捕まったら、そこでジ・エンドだから!

 大丈夫! 機体から離れても、注入したウィルスが勝手に機体をコントロールしてくれるし、うちらも遠隔操作できるから! 計画が狂うことはないよ!

 頑張れ、私たちのBotボット!』


 苦虫を嚙み潰したような表情が、かさねの顔を飾った。

 握っていた拳が、ぎちりと悲鳴を上げる。

 Bot――主人の命令通りに動くRobotロボットの略称。このデスゲームのゲーム用語だというそれは、ひどく残酷な皮肉に聞こえた。

 あの銀色の少女――『レイ』の声が、かさねを苛むように、耳奥で何度も蘇る。


 ――"あなたは私のBot――私の意志通りに動く人形"


 感情が見えない、無機質な声。

 そう言って銀色の少女はかさねに、今日のフェスティバルに参加する機械人形のコントロールを、全て奪うことを命じたのだ。

 まるで最初から、かさねの役目を決めていたかのような口振りだった。


通路ルートは私が指示する通りに。貴女は人形にこのプログラムを送り込んで――コントロールを奪って』


 細かな指示と共に送られた『ウィルス』という名のプログラムファイル――思考性画面を使って確認したそのコードの羅列をかさねは、揺れる瞳で見つめた。


『これ、私に仕込んだウィルスと、同じ……?』

『いいえ。そこまで意思を奪うものを私は仕込んでいないわ』


 少なくとも逆らう意思は与えている、と語った『レイ』にかさねは少なからず怒りを抱いた。

 一晩経った今でも、胸に潜む苦々しい気持ちは消えていない。


 ふざけるな――命を人質に取っておいて、何が「逆らう意思」だ。

 頭部を失った男性プレイヤーの姿がかさねの記憶に何度もちらついた。

 きっと、彼もかさねと同じBot――『レイ』の人形だったのだろう。

 逆らえばかさねも彼のように命を失う――その現実を知らしめるために、薄紅美少女ことピクシーはあの日、かさねをあの現場へ連れ込んだのだ。

 かさねをBotにすることに決めたのは、前のBotが使い物にならなくなり処分したため――その欠員を埋めるスペアとして、使い勝手の良さそうな『かさね』を選んだ。

 ――Botボット

 思考をする知能はあっても、誰かからの指示が無ければ動けない『ロボット』――皮肉なことに、その名称はかさねによく似あっている気がした。

 

(……どこへ行っても結局、同じなんだな。私)


 意思がない。周りの意見を聞かなければ動けないポンコツ。

 逃げて逃げて逃げて、逃げた先に待っていたのが『犯罪』とか……全くもって笑えない話だ。

 ずきずきと刺された首元がかさねを責めるように、疼痛を訴えている。がんがんと他にも頭を襲う痛みを振り払うようにギュッと目を瞑り、かさねは再び口を開いた。


『……ピクシーさん。他の機体への侵入ルートは』

『あー、手順は同じで良いんじゃなぁい? あんまり難しく考えすぎない方が良いよ。こういう《憑依ライド》みたいな電子ハックって、あんまり理論とかそういうの意識すると逆にドツボにハマって自由に動けなくなるらしいから』

『そういう、もんなんですか』

『そうそう。細かい処理とかサポートは、プレイヤーのレベルや《サポーター》にもよるけど、ウチらの中に搭載された《システム》が勝手にやってくれるからさ』

『はぁ……』

『とりあえず、かさねちゃんはレイに示された通りのルートを辿って、言われたとおりに動けば良いから。ああ、でも基本としてハックを仕掛ける時は、海外のサーバーとかを経由することも、自分で意識した方が良いかも。どこでしくじるか、分かんないしね』

『……海外、サーバー』

『あれ? わかんない?』

『いや、まあ……つまり、あれですよね。警察や他のプレイヤーに、自分たちの居場所――つまり《本体》が見つかったり、正体を特定されないように、乗っ取りたい目的の機械を狙う時は、直接そことネットを使って繋がろうとせず、他の人の機械ばしょをいくつか通って、目くらまししながら侵入しろってことですよね』

『そうそう! なんだ、わかってるじゃん。ちなみに、そのハッキングに利用するための機械はね、「踏み台」っていうんだよ』

『踏み台……』

『そ、踏み台。

 「踏み台」のおすすめはさっき言った海外サーバーね。

 海外のものを踏み台にされると、日本警察は殆ど動けないんだよ。特にロシア辺りだと情報公開はそうそうしてくれないからね』

『はぁ……』


 つきりと、今度は胃に痛みが走った気がした。ぐっと腹を抑えながら、かさねは自身の未来を想像して、深いため息を吐いた。

 ――益々、危ない匂いがしてきたな。

 日本警察が動けない、とか。そういう話を聞けば聞くほど神経がガリガリと削られていく。

 どうしよう、これ降りること出来ないのかな。ちょっと考えてみたが、直ぐに頭を横に振った。

 降りたらその時点で脳味噌パァンで、ジ・エンドにされてしまう。無理だ。


 なんと言葉を返せばいいのか分からず、蒼白な顔でハクハクと口を開け閉めしながら、かさねは沈黙を通した。

 それを何を勘違いしたのか、ピクシーが相変わらず陽気なトーンで無邪気な言葉を続ける。

 

『まあ、んなゴチャゴチャ難しく考えてもアレだよね。とりあえず、今はこのゲームを楽しめ楽しめ!』

『……ゲーム』


 ――これが・・・か。

 かさねの思考性画面に映る光景。機械人形の持ち主であっただろう人たちの、悲痛な顔。

 前触れもなく大事にしていた相棒マシンドールを失ってしまった彼らは、きっと相当なショックに打ちひしがれているのだろう。

 涙を浮かべる男性まで居たのだ。

 盗みを働くことにも、人を傷つけることにも慣れていないかさねは、目の前で起きている痛ましい光景に戸惑いを隠すことが出来なかった。

 その戸惑いを「ハッキングに関する知識」に対するものだと誤解をし、平気で笑い飛ばすピクシーは、やはり考え方からして、全てが違うのだろう。

 その思考を理解することは一生できない、とかさねは心の底から感じていた。


「――でも、それを感じていながら現状に抗おうともせず、付き従おうとしているかさねちゃんも、かさねちゃんだよね」


 ――ひやりと凍てつくような寒気が、かさねの背筋を襲った。

 ふっと思考性画面を閉じ、自身の周囲を見渡すが、そこには暗闇しかなく、誰も居ない。 

 

「……気の、せい?」


 ぽつりと、肉声のつぶやきを落とす。

 先程のかさねを嘲笑うような声の主は、通信で繋がっているピクシーではないだろう。

 あれは、ピクシーの陽気な、この世の悲しみも苦しみも痛みさえも知らない明るい声ではなかった。

 温度のない、冷淡な銀色少女の声でもない。


 きゅっと、かさねは唇を引き締めた。


 今のは、かさねがよく知っている、かさねが最も苦手としていた――否、今でも苦手としている人の『声』だ。

 

(――え、さん)


 艶やかな黒髪が。誰もが羨むしっとりとした白い肌が。真っ赤に映える唇が。美しく整った顔が、一瞬だけ見えた気がした。

 かさねは、いつもその人の背中を見ていた。見ていることしか、出来なかった。

 どんなに頑張っても、必死に走っても、届くことのなかった背中。かさねとは全く違う――凛とした、自立した女性の後ろ姿が、亡霊のように頭に浮かんでは消えた。

 忘れようとしていたものを、忘れたふりをしていたものを、この世界に来て初めて思い出した。

 ふるりと、唐突に湧いた余計な感情と思考を振り払うようにかさねは頭を振った。

 すると、相変わらずなピクシーの声がかさねの耳へ滑りこむ。


『それじゃあ、かさねちゃん。あと、よろしく! 出来るだけ人形をいっぱい奪って、せいぜい警察に捕まらないようにねぇ!』


 きゃぴきゃぴと話すこの薄紅美少女は一体いくつなのだろうか、とかさねは馬鹿みたいな疑問を抱いた。

 外見はかさねと変わらない15、16に見えるが、中身は上なのか下なのか。

 答えによっては――かなり、痛々しいぞ。なんて、どうでも良いことを考える。

 果たしてかさねのその思考は余裕からか、あるいは自暴自棄になっているからこそ湧き出ているものなのか、定かではない。


 じっと、暗闇の中で座り込んだまま黙るかさね。

 置物のように沈黙する彼女に、ピクシーは最後にくすりと嘲笑うように言葉を紡ぐ。


『――指、また・・失いたく・・・・ないでしょう・・・・・・?』

「……っ」

 

 ぴくりと、首元を押さえる掌が、無意識に反応した。

 揺れる少女の黒い瞳が、自身の意思と反して勝手に膝へと視線を落とす。

 首に当てている右手とは別に、膝の上に置かれた左手。――その陶器のような白い掌の先には、二本・・しか指が無かった。


『大丈夫大丈夫。全部終わったら、私のカプセルちゃん貸してあげるから! ――あ、そういや渡した義指ちゃんと嵌めてる? あれ、安物だからホンモノみたいに動かないけど、一般の目は誤魔化せるから嵌めといた方が良いよー。かさねちゃん、目立つのあんま好きなタイプじゃないでしょ?』


 ぺらぺらとまあ、飽きずによくもこんなに喋れるものだ。

 かさねがピクシーに初めに抱いた印象は間違っていなかった。――この少女は、やはり狂っている。

 きゃらきゃらと笑いながら、ピクシーとの通信がやっと切れた。


 ふっと息を吐きながら首を押さえていた右手で、今度は左手を自身の視界から、かさねは隠した。


「――なにやってんだろ、わたし」




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