馬鹿は語る。

1.ただ、現実から逃げたかったんです。

 妄想とは、現実から逃走するための手段である。


 ――なんて、カッコいい言い方をしてみたけど、結局は言い訳だ。

 明日提出のはずの課題に全く手をつけていないとき。テスト前日で、徹夜で勉強をしてるとき。

 現実から逃げ出したい、と思うことは幾らでもあって、その度に妄想を繰り広げて浸る行為は、最早やめることはできない私のクセであり、毎回それで勉強とか失敗している私のある種の才能だった。

 じゃないな……これ、もう病気だ。


 小学生の頃からそうだった。某少女戦士の真似がしたくて、地球儀にハサミをぶっさして振り回してたのは今では良い思い出だ。後で母から二、三発の拳骨を頂いたけど。


 しかし、毎回毎回その酷い妄想に浸りすぎて失敗してるんだから、私もいい加減やめればいいのに……何故か、今でも出来ないでいる。

 時々、どうしようもなく馬鹿みたいに願ってしまうのだ。本当に起きたら良いのに、と。


 ――それが、いけなかったのだろうか。


 どうか、途中で切らずに最後まで聞いてほしい。

 私の、馬鹿みたいな話を。



♢♢♢ 



 ある日のことだった。何時ものようにパソコンに噛り付き、オンライン小説や漫画を検索して、某小説サイトまで触覚を伸ばそうとしていたところで、一つのバナー広告を見つけた。


『なろう、主人公育成計画――プロジェクトS』


 イベントの名前だった。コンセプトは「アニメ主人公のようになりたい人たちへ」――つまりは、私のような願望を持つ人間を対象にしたものらしい。


 会場は舞浜アンフィシアターで、昼と夜の部がある。ちょっと遠出にはなりそうだが日帰りできない距離ではない。


 個性的なネーミングに不思議と惹かれた私は、気が付けば初めて、イベントのチケットを購入していた。


 興味本位で覗いてみたイベントのホームページも、某SF映画を連想させるデザインを模していて、「好みのタイプだな」と胸を弾ませながら当日まで過ごした日々を今でもよく覚えている。

 きっと楽しいイベントになるだろう。アニメイベントだろうか、それともゲームイベントだろうか。どんな催し物になるのだろう。声優さんとか出てきたりするのかな……なんて、楽しい妄想を膨らませる。

 そうやって思いを馳せながら、碌にイベント内容を確認せず、家族にでさえちょっとした恥ずかしさでイベントへ行く報告もせず、初イベントの妄想に浸っていた。


 だけど、それは間違いだった。

 それは決してアニメイベントではなかったし、また、私の想像していた物でもなかったのだ――。



♢♢♢ 


 ――あれ、意外と人少ない?


 イベント当日、踏み入れた会場は閑散としていて、あまり人が集まっているようには見えなかった。

 100人くらいは私が来場した時には既に居たが、それ以上増える気配はない。


 意外と少ない参加者の数に首を傾げながら、左側の前方部分の席へと移動し、腰を下ろした。右側、左側の観客スペースと比べて、真中の方が人で埋まっている。それでも、何となく今座っているこの位置が心地よくて、どこか異様な光景に疎外感を覚えながら、イベントの幕が上がるのをそのまま待った。


 初めてのイベント故か、或いは、この無駄に広く感じてしまう会場のせいか、心臓がトクトクと早鐘を打っていた。


 それから十分ぐらいは経っただろうか。照明が前触れもなく落ち、前方のモニターが青白く発光する。


『ご来場の皆さま。本日は当イベント《なろう、主人公育成計画――プロジェクトD》のためにお越しいただき、誠に有難うございます』


 女性の声がアナウンスを通して空間に響き渡る。たったそれだけのことで、私の単純な頭は今から異世界へと飛び立つような錯覚を覚え、心臓の鼓動を加速させる。


『まずは当イベントの立案者、プロデューサーの土方錬次郎の挨拶から始めさせていただきます』

『はい、どうもどうもー。皆さんこんにちはー、プロデューサーの土方錬次郎でーす』


 紹介と共にステージ上に登場したのは、紺色のスーツに黒縁の眼鏡をかけた男だった。

 歳は30半ばだろうか。妙に軽薄そうな笑みは、彼を胡散臭く見せていた。そしてその後に続く何人かのスタッフが生真面目な雰囲気を漂わせているせいか、その軽やかさは更に浮き彫んで見えた。


 ヘコへコと軽く会釈しながら、男が言葉を紡ぐ。


『さて、皆さん。此処に来たということは少なからず"主人公”のように、何かの中心になりたい。或いは、特別な存在になりたい、と思ったということで宜しいでしょうか?』


 その問いに、こくりと小さく頷く自分が居た。

 と言っても、だからと言って本当になれるとは思っていない。恐らくこのイベントはVRのような疑似体験とかが出来る、そういうお遊びのようなものなのだろう。


『もし本当に主人公のように、特別な存在になれると知ったら、あなたたちはどうしますか?』


 そんなもの決まっている。なれるものなら、なりたい――その“特別”な存在とやらに。

 誰もが圧倒するような、驚いて注目するような、尊敬されるような人物になれる方法があるのなら、どんな手を使ってでも私はなりたい。特別な力が欲しい、素敵な恋だってしたい。


 平凡な日常とか、そんなものはいらないから、私は、“非日常”が欲しいのだ。


『ここで、僕は君たちにそのチャンスを与えたいと思います』


 男、土方錬次郎が大袈裟にその腕を掲げると、背後のモニターに何やら設計図が展示された。


(なに、あれ?)


 表示されたそれはロボットの設計図のようだった。図の隣には写真が載っている。おそらく、作った機体の画像だろう。機体の見目は人間とあまり変わらなかった。

 人形のように作りめいた美しさはあるが、同時に妙にリアルだ。どこか非現実的めいた、浮世離れした雰囲気がその画から伝わってきた。

 例えるなら、“ファイナル”という単語が付く某ファンタジーゲームを連想させるような容姿――幻想と現実が合い混ざった理想だ。


『ゲームをしましょう』


 ――ゲーム?


 新しいゲームソフトの宣伝だろうか?

 予想だにしなかった言葉に僅かに瞠目した。同時に胸の高鳴りを覚える。


 『なろう、主人公育成計画』なんて言うものだから、もっと別の、何か違う物を想像していたわけだけど、まさかゲームの宣伝だったとは――。ちょっとした落胆もあったが、それはそれで面白そうだった。


 『育成計画』というネーミングからして、アバターを使うオンラインゲームのようなものだろうか。

 どういうストーリーで、どういうキャラクターが登場するのか知りたい。長らくゲームの類はしていないので、少し楽しみだ。


(育成とかだから、もちろん外見とかスキルとか、自分で選べるんだよね)


 まだ、ゲームが自分の想像している通りのものだと決まったわけではないが、それでも妄想を繰り広げてしまうのは、残念な妄想女子故か。

 壇上の男を見上げれば、彼は嬉々として口を捲し立てていた。


『君たちは、何が主人公を“主人公”にさせているのだと思いますか?

 人に好かれる要素? 諦めないと言う信念? カリスマ性? 特殊能力?』


 カツンカツン。男がステージを歩く度、無機質な靴音が響き渡る。


『答えは、物語ストーリーだ』


 くるり。こちらに背を向けていた男はまたもや大袈裟な動作で振り返ると、断言するように言い放った。

 両手を広げ、拍手喝采を浴びる演説者のようなポーズを取る男の顔は誇らしげに見えるのに、口調は静かで淡々としており、ちぐはぐな印象を受ける。

 脚光を浴びる男と反して、観客席はしん、と相変わらず静まりかえっていた。


『誰もが驚くストーリー。その中心に立っているからこそ、その人物はになれるんですよ』


 何が楽しいのか――高揚したように頬を赤らめると、男はやっと本題へと移る気になったのか、ステージの壁に設置されたモニターを指さした。


『だから、僕は差し上げよう。君たちに“設定”を、誰もが振り向かざるを得ない絶対的な“物語”を、ゲームという名のストーリーを』


 ニタリ。逆三日月に唇を歪めたその顔を、一瞬だけ気味悪く感じてしまった私は悪くないはずだ。

 精神病者を思わせる笑みを前にして、今更ながら不安を覚えた。先程まで上がりかけていたテンションがひゅっと下がる。


(……大丈夫か、この人?)


 さながら、マッドサイエンティストのようだ。

 演技には見えないそれを若干怪しむが、変な演出だなと直ぐに頭の隅へと追いやり、感慨無くステージを眺めた。他にも役者を雇っていないのだろうか。


 壇上の男がパチンと指を鳴らすと、今度はステージの下から一人の“人間”が現れる。

 プシュー、なんて音を立てながら浮上してくるソレは一見生きてるように見えるが、そのあまりの綺麗さと無機質さのお蔭で瞬時に人形だと分かった。

 モニターに映っていた奴と同じだ。不覚にも興奮してしまった。

 わくわくわく。面白そうなことになると、脳が直感している。

 壇上に立つそれは、正に"アンドロイド"だったのだ。


『さて、此処に試作品の人形が一つある』


 ポン、と見目麗しい――どう見ても人間にしか見えないそれの肩を、男は叩いた。


『この人形の頭に、君たちのを入れます』


 どくり。先程までの歓喜から一転して、心臓が一瞬だけ、怯えたように大きく跳ね上がった。

 唯の演出だと分かっているのに、何故だか嫌な予感がして、ふと会場の中を見渡す。

 恥ずかしながら、どこぞのグロテスクでサイケデリックなアニメとか、そういう小説を連想してしまったのだ。そんなこと、現実にあるはずがないのに。


 大丈夫、これは公式のイベントだ。だからこそ、舞浜アンフィシアターという立派な会場で行われているんだ。


(そうだ、幾ら人数が少ないからって……)


 その瞬間、ふと違和感を感じて、私の思考はそこで留まった。


(人が少ない……? なんで?)


 ――そうだ。何故、気付かなかったのだろう。


 舞浜アンフィシアターなんて、こんな大きな会場でやるんだから、イベントは大手会社が開くような大規模なものであるはずだ。例え、それが新しいゲームの宣伝のためだったとしても、沢山の人に知れ渡っているはずだし、100人なんてそんな小規模な人数より、もっと大多数の観客が居たって可笑しくない。


 ――それなのに、何故、この会場はこんなに空っぽなんだ……?


 思い返せば思い返すほど違和感が胸中で膨らみ、私は身を震わせた。


 ――このイベントのことを知っている人間は、どのくらい居る? 


 このイベントに来ること自体、家族や友人には伏せていたので、その答えは分からない。たらり、冷汗が頬を伝った。


 他の客席に座る観客はこの不自然な事実に気付いていないのか、黙々と男の演説に未だ耳を傾けていた。何人かは、あのに完全に魅入られて、思考を置き去りにしているようだ。


『大丈夫。例え、脳味噌を取り出されたからと言って、君たちは死にません。そうですね、まあファンタジー風に言うなれば、魂を取り出して別の肉体に入れる、みたいな感じですかね』


 それはまるで夢物語だ。最近のオンライン小説で良く見る“転生”のような話。前世の記憶を持ちながら全くの別人に為り変わる話。私が、憧れたシナリオ。


『とりあえず、今は君たちの脳味噌をコールドスリープさせるとして……舞台は100年後。世界も文明も発達した未来、になっているかは分かりませんが、とりあえずそんな感じの場所でどうでしょう?』


 ――いや、どうでしょうって、何が?


 ニコニコとやたらと非現実めいた話を繰り広げる男は本当に楽しそうで、不安が一層膨れ上がっていく。なのにどうしてか――その一方で、私は心のどこかで歓喜めいた感情を覚えていた。


『そこで、君たちには


 パチン。再度、鳴らされた指音に反応してモニターが切り替わる。その瞬間、私の思考は停止した。


『この機体はとても頑丈で強く、また個体によっては与えられる機能も違います。武器だってあります。殺傷力は、まあ……個体によりけりですね』


 朗らかに笑う男に、口がひきつった。これは、冗談だよね? 本気で言ってるんじゃないよね?


『まあ、あれです。とりあえず何か君たちがよく読むVRMMOものの小説だと思ってください。で、君たちはその主人公! あ、○○日記のようなものだと、考えても良いですよ!

 正に、S〇〇的なデスゲームを現実世界でやるんですよ! ね、想像してみたら楽しくなってきたでしょう?』


 ――否、現実で流石にそれはやりたくないかな。っというか、無理だ。私がやりたいのは、そんなデスゲームじゃなくて、ラノベのテンプレ的な逆ハーレム主人公とか、乙女げー系の転生系とか、そんな感じだから。


 べらべらと冷静に頭でツッコミを繰り出しながら、膝の上でぎゅっと手を組んだ。男の発言に恐れ戦く心とは別に、妙に落ち着いた自分が居る。

 いや、違う。単に冷静を装うとしているだけだ。


『衣食住の方はご心配なく! ちゃんと戸籍も何も新しく作れるようにしておきますからね! 

 もう一度学校生活を送りたい人は高校生! 或いは小学生でも何でも好きな年齢の個体を差し上げます! ただし、それを決めたら最後、一生その姿で過ごすことにお忘れなきよう! あ、もちろん他の方の機体を奪ったら話は別ですけどねー!』


 ありえないのに、ありえるはずがないのに、それでも男の口調はどこか本気のように聞こえて、全身に鳥肌が立った。それでも会場を立ち去る気にはなれず、心のどこかで“日常の変化”を求める想いが、自分をこの座席に引き留める。


『まだ正確な予定は決まっておりませんが、君たちが目覚めた時に、このゲームのルールを改めてさせていただきたいと思います。

 とりあえず、いま確定していることは、喰らいあうというルール。生き残れるよう頑張ってくださいね。脳を破壊されれば死にますから、頭のガードはしっかりね! 他のプレーヤーをヤればヤるほどポイントが加算されるシステムになってるんですが、実は特典とかももらえるんですよー。まあ、これはまたゲームが始まるときに説明するとして――あ、そうそう。

 参加者は君たちを入れて、1000人です。人数は少ないですが……』


 どきどきどき。恐怖と興奮が混じり合う。どうしよう、この男の言っていることは本当なのだろうか?

 それともこれは唯のイベントの余興なのだろうか?

 どっちなのか分からず、それでも私は何故か懸命に男の言葉に耳を傾けていた。


『――あと、これ、もう逃げられませんから』

 

 そんな不穏にも聞こえる言葉を口にして、男はパチンと指を鳴らした。すると白いユニフォームを着た女性スタッフたちが、白いタブレットを客席に配り始める。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 浅く頭を下げて、スクリーンを受け取った。画面にはアンケートのようなものが表示されている。


『そこにお名前やご希望の年齢、住所、外見などを選択していってください。そしたら、ご希望通りに全て用意しますので。あ、でも能力とか武器はこちらで勝手に決めさせてもらいますんで、其処はご了承くださいねー』


 ニコニコと、あの怪しい笑みを浮かべながら指示をする男に従うように、私は次々と空欄を埋めていった。そうやって、黙々と入力してはコンテイニューボタンを押していると、最後に『本当にこれでよろしいですか?』と言う質問が、YesとNoボタンと共に表示された。


 それを見て、少し逡巡する。

 なんとなく、自分で設定とか選ぶ気になれなくて、殆ど『おまかせ』ボタンを押してしまったが、確かにこれで良いのだろうか?


 顔の設定とかは『今のままで』と選択し、歳も『小学生以上、30以下』と何ともアバウトなこと書いたが、まあ良いか。ああ、でもスタイルの設定は一生変えられないし、やっぱり其処だけ『引き締まったスポーツ体系』とだけ入力しておこう。うん、そうしよう。


 粗方、満足の行く設定が出来た私は一つ息を吐いて、『完成』ボタンをタッチした。


(これで、よし……)

『はーい、皆さん出来ましたねー? それでは之にてセッティングは終わり! 此処からは我々の仕事ですので、皆さんにはゲームの準備が出来るまで眠っていてもらいまーす!』

「……え?」


 眠る、というのはどういうことだろうか。

 ヒュッと背筋に悪寒が走る。

 早まったのではないかと、後悔の二文字が思考の片隅で浮き上がり始めていた。


『目が覚めた時には多分もう、何十年後か百年後の未来になってて、僕たちは居ないだろうけど大丈夫です! それまでにはちゃんと住居も戸籍も新たに用意しますし、お金もたーんまり、こちらで用意しておきますからねー。ルール説明とかもしてくれる人用意しておきますんでー、心配ありませんよー』


 妙にテンションが上がりまくってる男は、大袈裟に身振り手振りジェスチャーをしながら、私たちに語り掛けていた。鼻息を荒くしながら、明らかに興奮している男を見て、私はいよいよ現実味を帯びてきたこの話に対して猜疑心を覚えた。


 ――これは、逃げた方が良いのではないのだろうか?


 どうするか迷う私を置いて、男とスタッフたちがガスマスクを被りはじめる。


『それではみなさーん、良い旅を! ご武運を祈っております! 頑張ってくださいねー!』


 その言葉を最後に視界が霧で埋め尽くされ、思考が停止した。鼻から、口から侵入してくるガスのせいか、頭が徐々に微睡へと落ち、瞼が重くなっていく。


 ――そうして訳も分からず、私の視界は暗転した。

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