8 平和な日常とも言えなくもない幕間

 ん、にゃ、ふう。

「いい加減にしろって言ってるのだけれど?」

「むう、ノイジはけち、いけず、わからずやです」


 クリエと出会ってから1週間。

 以降、特にこれといったトラブルも無いノイジは今クリエに抱きかかえられていた。

 ――湯たんぽ代わりに。


 事は数分前。

 起きてこないクリエを起こしに来たノイジは、そのまま半身を起こしたクリエにベッドに引き釣りこまれたのだ。

「寒い、冷たい、出るの辛いです」

「……だからって私を巻き込む事無いでしょうが」

「でも、ぎゅっとされる、抱っこ、ノイジ嬉しい、ウィンウィンです」

 蕩けそうな声で宣うクリエ。

「別に嬉しくなんか……」

 言いながらも、ろくに抵抗していないのは、ノイジ自身抱きしめられるのが嫌いでは無いからであった。

 クリエの身体は柔らかくて、温かい。

 その上、嬉しそうにされると、もう抵抗できないのだった。


 ――昔、師匠に不思議がられてたっけ。

 師匠の知り合いの魔術師によく抱きつかれた事をノイジは思い出す。

 綺麗なその人は、大の可愛いもの好きと公言してしていて、あろうことかノイジもその対象だったのだ。

 だから、しょっちゅう抱きしめられた。

 出会うたびにぎゅーっとされて。

 可愛いと言われてこそばゆくて、でもそれよりも嬉しくて。

 ぽかぽか温かい気持ちになるのだ。

 だから、ノイジは抱擁が嫌いでは無かった。

 何回抱きつかれても嬉しくて、何度だって受け入れてしまう。

 師匠は、そういうのが苦手だったので、私が好んで抱きしめられる役を受け入れるのを理解できないものを見る目で見ていたけれど。

 

「はあ。でも――朝ごはん冷めちゃうわよ」

 頃合いを見て、魔法の言葉を呟いたノイジ。

 その言葉は効果てきめんで、あれほど起き上がるのを拒んでいたクリエは勢いよく飛び起きた。

「うん、起きます、起床。おはようございます。ノイジ」

 その変わり身の早さに苦笑しつつ、ノイジはおはようと返した。


 クリエは食べるのが だった。

 ノイジが彼女としばらく一緒に居てわかったことの一つである。

 無表情なのは相変わらずであるけれど、これで意外と感情豊かな奴なのである。

 クリエが黙々と頬張るのは最近のお気に入りの魚の油漬けシーチキンのサンドイッチ。

 マヨネーズと混ぜてレタスと一緒に挟んだそれはノイジも結構気に入っていた。

「朝からよく食べるわね」

 言いながら、ノイジもサンドイッチを小さく齧る。

「だって、美味しいです」

 その声は淡々としているようで、喜色に染まっていた。

 それに気づくと、黙々と咀嚼する姿も可愛らしく思えてこっちもなんだか嬉しくなる。

「スープも美味、美味しいです」

「そ、良かったわ。口にあったみたいで」

 美味しいと言われると作ったノイジも悪い気はしない。

 昨日の夕食のあまりのベーコンと人参じゃがいもを使ったシンプルな塩のスープは優しい味わいで、口をつけると、ほっと身体が落ち着いた。

「ノイジ、料理上手、良いお嫁さんになれますね」

「……あんまり褒めないでくれる? 調子に乗っちゃいそうになるから」

 少し気恥ずかしくなったノイジは頬を朱に染めてそう答えるのだった。


 ノイジとクリエは で借家を借りていた。

 星繋の街シュアートベルクの宿泊施設は何れも高価で長期滞在するには不向きだったのだ。

 元々ヨシミを拠点にするつもりではあったので、ノイジとしては予定通りではあるのだけれど。

 そして、その方が であると判断したからで。

 ――とはいえ。

「今の所、なんにも無いけど」

 ぼんやりと呟きながら、ノイジはお行儀よく椅子に座っているクリエの髪を梳かしていた。

 心地良いのか、クリエの口元は僅かに、緩んでいた。

 一見仏頂面の分かりづらい変化。

「何がです?」

「ううん、何でも無い。でも、クリエも変わってるわよね、髪梳かれるの好きなんて」

「そうですか? ちょっとこそばゆい、でも気持ちいい、心地良い、それが好きです」

 目を瞑って口にするクリエの声は僅かに弾んでいて。

 確かに少しくすぐったいかもしれないけれど。

 クリエの説明にノイジはいまいち共感できなかった。

「私は――ううん、なんでもないや」 

 そう言えば、そんな が無かったと思い出しかけて――止めた。

 今その事を思い出すのは得策では無いと心がストップをかけたのだ。

 切り替えて、ノイジは優しくクリエの髪を梳く。

 確かに心底気持ち良さそうに身を任せてくれる(わかり辛いけれど)クリエの様子は梳きがいがあるというものだ。

「そろそろ髪、纏めるね」

「わかりました」

 丁寧に髪の外側半分を上の方で縛ってハーフアップで纏める。

 最近のお気に入りの、柔らかい色合いの柳染のクローバの髪留めで止めて出来上がり。

「よし、完成」

 今日も美人さんに出来たと、ノイジは満足げに見つめていると、クリエが振り返って微笑む。

 正確には口元を少し不自然に釣り上げた形の大分ぎこちないものだけれど。

【笑う練習しなさいよ】と気まぐれに言ったノイジの言葉を律儀に守っているのだ。

「うん、ありがとうございます、ノイジ」

 そのストレートな感謝の言葉に、どこか、くすぐったく感じながらも、ノイジは澄ました顔で、どういたしましてと答えるのだった。


「今日は、どうしよっか」

 指輪から取り出した合せ鏡の前でいつものように、ドレスを着込んで、背中の編み上げ紐を結びながら、ノイジはクリエに問う。

「美味、美味しいを、探す旅をしましょう」

 彼女らしい返答だと、ノイジは思わず苦笑する。

「貴方って華奢な見た目と裏腹に随分食いしん坊よね」

「変ですか?」

「ううん、全然。じゃあ美味しいもの探しにいきましょうか」

 不思議そうに首をかしげるクリエに、ノイジは笑顔でそう答えた。


 遺跡探索は思った以上に精神を消耗する。

 通常、探索にかけた日数と同数か、少し多めの休暇をとるのが冒険者のスタンダード――らしい。

 ノイジとクリエはその定石をことごとく無視して、気の向くままに探索を続けていた。

 そのことに気づいたのは、9層を突破した時、ファに呆れた風に指摘されたからで。

 そんな訳で今日からしばらく二人は休暇を取ることにしたのだった。


 ふ、ん、ふう。

 ヨシミの商業区画は、朝早くだと言うのに盛況のようで、活気に溢れていた。

 木瓶に詰まった香辛料に、色とりどりの野菜、敷物、雑多多種多様の商品が大通りを左右で囲む赤レンガの店舗群これでもかと陳列される光景は圧巻で。

 ノイジが覚えている幼少の頃に住んでいた街の小さな商店とは比べ物にならなかった。

 売り買いするもの、ノイジ達と同じく食べ歩きするもの、とにかく人で溢れていた。

「相変わらず、凄い活気よね」

 小さな紙袋に入ったクッキーを齧り、飲み込んだ後ノイジは呟く。

「目、回りそうです」

 同じく、油で揚げたらしい棒状――チェロスと言うお菓子を咥えながらクリエが頷く。

 二人共、その手には幾つかの甘味抱えられていた。

 

 街の名物らしい花売り娘――と言う名の売り子から買ったもので、彼女達は歩きながら代わる代わる甘味を勧めてきて――それが、少量で安価なものだからついつい言われるまま購入してしまって。

「……店巡る前に結構買っちゃったわね」

 抱えた紙袋の山を見て少し失敗したな、とノイジは呟く。

 これでは、買い物どころではない。

 収納する手も無いでは無いけれど、手間を考えると割に合わない。

「そうです? もぐ。――全然、大丈夫ですが」

「……クレーエさんのとこいっこっか」

 首をかしげながら、クリエは頷いた。


 商業区の中程にあるこじんまりとした煉瓦造りの店舗。

 雑貨屋パルシェ、最近ノイジ達が足繁く通っている店である。

 小さいながらも高価な硝子の小窓が取り付けられた扉を開けると小さくからんと鐘の音が聞こえた。


「いらっしゃい」

 出迎えたのは、小柄で目つきの鋭い女性。

 雑貨屋パルシェの従業員のシグだった。

「邪魔します。もぐもぐ」

 饅頭を食べながらクリエが右手を勢いよく上げて、口にする。

「もう、食べながら喋らない。――あれ、シグさん、クレーエさんは?」

 辺りを見渡しても店長であるクレーエの姿が見当たらなかった。

「ああ、店長なら星繋の街シュアートベルクの方に行ってるよ。何か用でもあった?」

 ちょうど帳簿をつけている最中だったのか、紙の束にペンを走らせながらシグが問う。

「いえ、お菓子を多く買っちゃったからいつものお礼に一緒に食べようかと」

 言いながら手に持っていた菓子の入った紙袋の山を掲げる。

「あー、つい買っちゃうよね、あの娘達商売上手だから」

「ええ、こう、にっこり笑顔でおすすめされて、気づいたら……」

 ノイジがそういう押しに と見抜いたのかどうか、花売娘達の圧は結構すごかった。

 にこにこと、笑顔で商品を差し出してきて――ちなみにクリエは食いしん坊なのでそれを止めはしなかった。

「そういう人多いみたいね。――そういう事なら休憩にしようか」

 言いながら、シグは唇の端を吊り上げて、休憩中Closeの小さな看板を手にとった。


 木製の折りたたみの椅子と机を出して簡易なお茶会が開かれる。

 お茶請けはノイジ達が買ってきたお菓子の山。

「それで、今日は探索はしないの?」

 シグが、ノイジとクリエにお茶の入ったカップを差し出しながら問う。

 お礼を言ってノイジはカップに口をつける。

 ほんのり柑橘系の香りが混じったそれは、甘味で満たされた口にちょうどよく、ほっと一息。

「ええ、お休みしようかなって思ってます」

「食べ歩き、ショッピング、買い物――予定っ」

 クッキーにぱくつきながら、クリエも首肯する。

「良いと思うよ、クレーエもちょっと心配してたし。二人共毎日のように に来るから」

 言いながら、何処か苦笑するようにシグは言う。

「そうなんですか?」

 その言葉に若干驚きながら、ノイジは聞く。

 ノイジの記憶の中のクレーエは、明るいお姉さんで、いつも笑顔で、ついでにハグ魔で。

 いつもにこにこしていたから、気づかなかった。

「あの人結構心配しいだから。まあ、私はそこまで心配はして無いんだけどね」

 クレーエに比べ、クールな印象があるシグはそっけなくそう口にする。

 けれど、ノイジは眼の前のこの人も結構なお人好しであると、何となく感じていた。

 ノイジに対し、 接してくれるのだから。

「ふむ、それはどうしてですか?」

 クリエの問いに何処か可笑しそうに微笑んで、クッキーを一口。

「だって、二人共楽しそうに星繋の塔に向かうもの。まるで遊びに行くみたいにさ」

 言われ、少し のあったノイジは顔を朱に染める。

 実際クリエとの探索は少々 になる位楽しかったから。


 ちょうど、その時からん、と扉の鐘が鳴り、扉の小窓が淡く

 やがて開いた扉の先はノイジ達が入ってきたヨシミの商業地区のそれでは無くて。

「あれ、二人共どうしたのそんな所で」

 やがて入って来たのは、モノトーンの従者服を来た少女、星繋の塔管理組合ギルドの受付嬢のファだった。


「あれ、珍しいファさんが来るなんて」

「うん、ちょっとこっちの領主さんとの会合にね。ここ《簡易門ゲート 》が一番近いから」

 シグの言葉にファが答える。

 彼女の右手には紙の束が抱えられていた。

「あ、クレーエさんはうちの子の採寸にもうちょっと時間がかかるみたい。ごめんね拘束しちゃって」

「了解です、まあ今日は特に急ぎの仕事も無いですし、大丈夫ですよ」

「会合?」

 クリエが不思議そうに首を傾げる。

「ああ、うん。星繋の街ウチだって、都市国家と無関係ではいられないんだよね。――やっぱり色々ゴタゴタがあるんだよ……。その調整」

「ファって、そんなに偉い地位の人だったのね」

 ノイジの言葉に、半目になりながら、ファは首を横に振る。

「ウチのメインAI――こほん、 が適当に決めたらしいよ? おかげで権限は他の自動人形より大きいけど正直面倒ばっかりだし良いことは無いよ」

 その言葉に憂鬱の色を感じ取ったノイジはなんと言っていいかわからず、クリエが何故かクッキーを差し出した。

「良いことある、クッキーあげます」

 言いながら、口に押し付ける。

「ああ、ありがとね。――もぐ。うん、いい塩梅の甘みをしてる」

 自動人形に普通は、消化機能は無いはずなんだけれどな、そう思いながら、ノイジは重い足取りのファを見送る。

 ファが入ってきた扉を開ける。

 そうして の町並みへ消えていった。

「……それにしても未だに信じられないわね、その扉」

 ノイジは扉に付いてる、小さな鐘を見ながら口にする。

 星繋の街シュアートベルクへと繋がる簡易門ゲート――要は、空間を 機能を持った過去の技術の一つ。

 初日にノイジに手渡された鍵板パスカードに反応して起動するそれは、以前聞いたファの言葉を信じるのであれば、交易都市ヨシミに約 程設置されているらしい。

 その殆どが、ヨシミの古くから店を構える老舗で、星繋の街にも店を出している。

「まあ、ここが、都市連盟国家クシマートの中でも を維持できてる大きな理由だしね。資源を供給する代わりに、その加護を与える――実際過去の戦役でも星繋の塔の戦力が貸与された実績があるみたいよ」

 言いながら、棒状のチョコレートを口にするシグ。

 勿論、そんな情報は街の歴史書に 類のもの。

 旧文明の兵器の使用は とされている筈だから。

「……その情報って、知ってるとまずいものですよね」

「うん、漏らしちゃったら投獄ものじゃない?」

 さらりと、とんでもない事を口にするシグ。

 けれど、それは の話でもあるからだ。

 星繋の塔に挑む時点で、既に で。

 改めてノイジは自分の関わっている物がどういうものか再認識するのだった。


 過去の技術の採掘、収集及び再発見は原則

 例外は特別な許可を得た場合――一般的には遺跡管理組合ギルドに所属すること。

 ランクに応じて遺跡管理組合ギルドが管理する遺跡群を探索する

 ノイジはDランク――遺跡群の中でも当たり障りのない、とっくに踏破済み掘り尽くされた施設しか立ち入りが許可されていない。

 本来そういった旨味を持つのは――Bランクからで、しかしとある事情でノイジは昇任が いなかった。

 だから、遺跡管理組合ギルドが管理していない遺跡を探す必要があった。

 自分の目的を達成するにはそれしか無かったのだ。


「そう言えば、クリエはどうして星繋の塔に挑戦しようって思ったの?」

 店を出て、腹ごなしに二人で街を軽く散歩をしながら、ノイジは口を開く。

「どうしました、急に」

「何となく――少し気になったの」

 クリエに を犯すような切羽つまった事情があるとは思えない。

「……何となくです?」

 んー、と軽く言葉をまとめてるのか空を眺めて、クリエはそう口にする。

「……何となく?」

 あまりに適当な理由にノイジは目を見開く。

「はい。何となく。……トッシ達が、誘ってくれました ――楽しそうでした、から」

 だから、それ以上の理由は無かったとクリエは言う。

「……そっか」

 その言葉に含まれる音で 事情を察したノイジ。

 嬉しかったのだろう。

 生まれて初めて出来た仲間が。

 きっと、仲間の夢がそういうもので――だから、一緒に居たかったのだ。

 その実只のクズ野郎達だったのだけれど……クリエは多分今もそう思ってないみたいで。

 その気持ちは、ノイジは誠に遺憾なから

「はい。私駄目駄目で、見限られた、解雇? されましたけど」

 その言葉は何処までも寂しそうで――だから、思いっきりデコピンしてやった。

「痛っ!?」

「馬鹿言ってんじゃないわ。クリエは立派な魔術士よ――私の隣に立っても文句なしな位の――あいつらの目が節穴なだけで。わかった?」

「……ん、わかりました」

 そう言って、に、っと口元を釣り上げるクリエに、ノイジも微笑み返す。


「ノイジはどうして?」

 いつの間にか、中央広場――街の名物である時計台の近くにあるそこにたどり着いた二人は、設置されているベンチに腰をかける。

 まだお昼には少し早く、皆商業地区に居るのか人はまばら。

「私?」

 ノイジは一瞬迷う。

 明確な目的はある。

 けれど、それを伝えていいものか、ためらいがあった。

 クリエは良い子だ。

 自慢するべきパートナーだ。

 けれど、 くれるだろうか。

 ――信じたい気持ちはある。

 けれど、もし……村の皆と同じだったら、出会った人みたいに離れていったら――そう

「私は――」

 言葉が出ない。

 勇気が出ない。

 クリエは不思議そうにノイジを見つめて。

 しばらく静寂が満ちて。


 ――今にして思うと早く口にしていれば良かったとノイジは思う。

 そうすれば、この時、少なくともクリエに伝える事が出来たのだから。


「あら、こんな所に居ましたか」

 けれど、そんな未来は無く、その問いはその言葉と共にしばらく闇に消えることとなった。


 




 


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