第32話 会長の利益論
「ううむ…」
ハンブル商工会の日中の営業終了後、俺は故障が原因で引き取ってきたルーシャを前に唸っていた。
「想定内といわれればそうかも知れないけれど、思った以上に早かったね……」
まあ一概に悪いこととも言えないけれど、とニアは付け足しつつ苦笑する。
冷たい果実酒が引き起こしたレストロの大混雑は現在も続いている。もちろんそうなってほしい、という願いも込めてルーシャテーブルとルーシャは納品されたのだが。
現在そのルーシャの半分は回路がすり減って使いものにならなくなり、ただのカップと化してしまった。
理由は単純で、設計時点で予想した以上に使用されてしまったからである。
回路は可能な限り強度を意識して用意をしたつもりではあった。もちろん繰り返し使われるものである、ということも含めて設計をしているのは言うまでもない。
しかしそうであっても短期間に予測していた以上に使用されることによる、ルーシャそのものへの負担というのは大きかった。また使用する人によって魔素の流入用が激しく上下したことも負担の大きさを助長することになった。
結果として修理や調整が追いつかなくなり、ルーシャの半分は使い物にならなくなってしまった。現在はトレラさんがなんとか回しているが、遠くない未来にその状態も維持することができなくなるだろう。
「それでリアン、君はこの難局をどう乗り切るんだい?」
我が商工会の会長はこんなときでも機嫌が良い。むしろいつもよりさらに調子が良さそうである。
それはともかく今の現状が難局なのは間違いない。冷たい状態で飲むことができるようになったことで、レストロの目玉として定着した果実酒。
そんな中、今後夏を迎えるサンライニの気候は、売上を考えれば心強い味方といえるだろう。ところがルーシャからすれば恨めしい敵とも言える。暑さにまかせて今後も注文は増える一方だ。それはつまり今回の問題は、時間とともに深刻化するということを示している。
「ううむ…」
そんなわけで俺はもう一度唸るしかなかった。
「困りましたね…」
次の日の営業終了前、リゼさんが新しいカップを持ってきてくれた。とはいえ彼女も今回の件に関しては困り顔であった。回路の設計が甘かったのは俺の責任なので、リゼさんが気にやむ必要はない。しかしそこは彼女の優しさというべきか、何かと気にかけてくれている。
商工会の一階でカップを俺が受け取っていると、ルーさんが彼女用のお茶を用意してくれていた。はじめは遠慮していたリゼさんだったが、愛想のいい兎族に案内され、用意された席にちょこんと座っていた。
リゼさんとよく話をしているニアは今日は休日なので、ここにはいない。おそらくレストロの手伝いをしていたのではなかろうか。キュリオさんと俺は朝のみ手伝いをしているが、朝ほどでないにせよ昼以降も混雑は続いているようだ。
「私も父のようにルーヴを使えればいいのですが…」
ルーシャは木材で作られたカップを作る工程と、そのカップに回路を刻む工程に分かれている。前半をリゼさんが、後半を俺が担当しているのだが、リゼさんの父親はこういった魔法道具を一人で手がけていたらしい。
「リゼさんのお父さんは木工職人だったんですよね?むしろどうしてルーヴが使えたんですか?」
魔法技師としての勉強で手一杯だった自分からすれば、木工の技術を磨きながらもルーヴも使えるというのは到底想像できない領域だ。尊敬に値するのはもちろん、どうしてそんなことが出来たのか疑問は尽きないところでもある。
「父は本当は魔法技師になりたかったようなんです。けれどサンライニで魔法学を勉強するにはまとまった金銭が必要ですから、はじめはお金を用意するために家業の木工を手伝っていたと言っていました」
魔法回路を学ぶ主な方法はいくつかあるが、ノースモアで最も一般的な方法は魔法学園に入学することだ。それはここサンライニでも変わらないらしい。
「学校にはいるにはお金がかかりますからね…。国としても支援はしていますが、希望者全員が支援を受け取れるわけではありませんし、そもそも入学できなければ支援を受けることもできませんし…」
ルーさんが苦い顔で補足する。国の役人として思う所があるようだが、なかなか難しいということだろう。何かを学ぶための最初の関門として、魔法学は金銭的問題にぶつかるのはどこの国も同じなのだろうか。
ノースモアの魔法学園でも入学してからの支援はあるが、入学する前の支援はない。入学するにあたっては試験に合格する必要があるが、その試験を受けるためには知識が必要だ。そしてその知識を得るためには、決して安くはない書籍が必要になる。
貴族や裕福な家庭では、幼い頃から家庭教師をつけて勉強することが一般的だ。しかし大多数の庶民の家庭ではそんな贅沢はできないのである。となればまずは資金を用意することから始めなくてはならない。
リゼさんの父親が資金のため家業を手伝うことにしたのも、当然のことと言えるだろう。
「ただもともと凝り性だった、ということもあって木工にも熱を上げるようになったらしく…。途中で放り出すことをしたくなくなって、結局木工家業を本格的に継ぐことにしたと言っていました。それでも魔法回路への興味は変わらなかったので、稼いだお金の一部を使って書籍を集めていったらしいんです」
確かにリゼさんの工房には木工の本だけでなく、魔法回路に関連する本もあった。おそらくその際に集めていったものなのだろう。
「もちろん本職の技師さんの足元にも及ばない技術だったようですが、木製の簡単な魔法道具なら修繕はできたんです。私が物心つく頃には、友人からもらったというルーヴを使っていました」
ルーヴを使い回路を彫り込める技術を身につけるとなると、それが簡単な回路であってもそれなりの時間と努力が必要になる。リゼさんの父親には、本業を続けながらもそれを実現するだけの情熱があったということだ。学園に入学し工房にも所属できたのに、へそを曲げたことを深く反省するべきだと改めて思った。
「リゼさんも魔法道具づくりには興味があるんですか?」
「いえ…父ほどではないと思います。ただ、やれることが広がるのはいいことかな、と」
確かに魔法回路の知識があることが、木工職人の仕事の足を引っ張ることはないだろう。
「まあ一朝一夕では身につかない技術でしょうし…いづれにしてもルーシャ不足はどうしましょうか」
ややしゅんとしてしまったリゼさんを励ますようにルーさんは明るめの声色で話す。
確かにリゼさんがルーヴを扱えるならルーシャの生産速度自体は上がるかもしれないが、今からそれを求めるのはルーさんの言う通り現実的ではない。
「現状一番の問題はルーシャの使用頻度が高すぎることでしょうか」
リゼさんは気持ちを少し切り替えたのか、真剣さが増した様子で聞いてくる。
「確かにそうですね…。価格の都合から木製とした時点で、強度に関しては多くは望めません」
自分で言ってみて改めて今のルーシャの問題点を再認識する。
今回回路を設計する時点で、大量の魔素が流れ込みすぎないように様々な工夫を施した。もちろんその効果が出ていないわけではない。テーブル側にアケイトをつけたことによる効果は確かに出ているし、実際初期の水差し型から比べれば飛躍的に長持ちするようになったのは間違いないのだ。
では何が予想外だったのか。
魔素流入量の差が回路への負担を増やし、その増加分が想像以上だったということだ。
アケイトを使ったことによって、回路の効果を誰が使っても同じようなものにすることはできた。しかしだからといって流入する魔素量は、個人によって違うことを制御できるわけではなかった。
大量の魔素が流れた後の回路は、やや膨張する。そしてゆっくりともとの大きさにもどっていくのだ。これは木製だろうとアモーリテ製だろうと変わらない。問題はこの収縮が短期間に、不規則に頻発することだった。
「確かに魔法道具をあれだけ大量の人が、又貸し…というか共有して使うような状況って今までなかったですから…。アモーリテ製の魔法道具を持つような貴族は、魔力の使い方も勉強してますし」
「確かに私達が使うときは本当になんとなく…で使っちゃいます」
ルーさんの指摘に、申し訳なさそうに語るリゼさん。
魔力の使い方を勉強していなければ、ぐっと取手に力をいれるような感覚で回路を使う。むしろはじめから器用に調整している人などいないだろう。サンライニの庶民が触れるような木製魔法道具は発動しにくいし、多めの魔素が流れるのは間違いない。
「極端な話ですが、同じ人が同じルーシャをずっと使う…という状態なら問題ないんですか?」
リゼさんが顎に手を添え、少し首を傾けながら言う。可愛らしい仕草は、彼女が考え事をする際の癖らしい。
「まったく劣化しないと言うわけではありませんが、今よりずっと長持ちすると思います」
極端な回路の収縮は起きにくくなるし、同じものを使っていれば無意識に回路に慣れていく可能性も高い。今よりはずっと長持ちするだろう。
「同じ人が同じルーシャをずっと使う…。ううん…レストロにはたくさんのお客さんが来ますから、一人ひとり用のルーシャを用意するっていうのは現実的ではないですよね。管理が大変そう…」
ルーさんは言いながら想像をしたのか顔をしかめている。奔放な貴族を一人「管理」している彼女から、管理が大変そう、という言葉が出るとその重みが違うような気もする。
そこまで話をしたところで、結局3人揃ってううん…と唸る結果になった。
「管理しなければいいんじゃないかな?」
と、聞き慣れた声がした。どうやら公国の機関から帰ってきたらしいファリエ会長である。その顔には得意満面といった笑みが浮かんでいる。
「ようやく法律が施行になりそうだよ、まったく国ってのは腰が重くてしかたない」
困ったように言ってはいるが、ファリエ会長の声色と表情は明るいままだ。その苦労に見合った成果が得られたようである。
「ファリエ会長のように国がふらふらとされては国民としては困りますから。腰が重いくらいがちょうどいいんですよ」
ご機嫌な様子のファリエ会長にお茶を出しながらルーさんは言う。本来は管理官だったはずなのに、商工会の表向きの運営をほとんど任せられている彼女とすれば、皮肉の一つも言いたくなるだろう。
「まったくルーくんは手厳しいなあ。我が商工会の従業員たるもの、柔軟な発想と素早い行動は必要不可欠だと思うけどね」
「私は従業員じゃなくて管理官ですからね?」
部屋の温度が下がったように感じるほど冷たい眼差しを向けられ、さすがの会長も押し黙った。しかし目が笑っているのでおそらく反省はしていないだろう。
「リゼくんもいらっしゃい。相変わらずいい仕事をするね」
「いえ、そんなことは…。お邪魔しています…」
急に褒められて居心地が悪そうにするリゼさんにくすっと笑うと、ファリエ会長はルーシャの基になるカップを手に取る。
「それで、管理しなければいい…っていいっていうお話はどういうことなんでしょうか」
ルーさんは訝しげに聞く。言葉どおりに受け取れば、面倒なことを放り出しただけのような気がする。
しかし、ファリエ会長のことである。おそらくそのままの意味ではないだろう。
「そうそう、それの話ね」
リゼさんの隣に腰掛けたファリエ会長は、ニヤリと笑い話を続けた。
「ルーシャを個人向けに販売するんだ。大勢の人が少ないルーシャを使うのが問題なら、一人ひとり自分のルーシャを持ってもらえばいい」
簡単でしょう?と彼は得意げな表情をする。
「冷たい果実酒を楽しむために今必要なものは、ルーシャとルーシャテーブルとレストロだ。この3つが揃わなければ、美味しくて冷たい果実酒を飲むことはできないわけだ。
つまりそのうちの一つを売り渡してしまっても、残り二つをレストロが確保していれば客を引き止めることはできると思わないかい?」
確かにそのとおりではある。現状ファリエ会長の言う三つの要素が揃う必要があるのは間違いない。
しかし…
「けれどそれだと回路が真似されてしまって、他のお店でも冷たい飲み物を楽しむことができるようになってしまいませんか?」
そう、リゼさんの言う通りなのだ。
もちろん、そう簡単に模倣できるとは思わないが、サンライニにも教育を受けた魔法技師はいる。ある程度の期間研究を進めれば似たようなものを作ることはできるだろう。
「そうだね、普通ならそうなる。すぐとはいかないけれどね。だからこそ法律が必要だったわけだよ、リアンの回路をお金にして、レストロが優位性を保ち続けるために」
ルーさんがはっとしたような表情になる。
「回路の権利…!それで最近いつにもまして飛び回っていたんですか…」
彼女が漏らした言葉を聞いて、会長は笑みを深める。
「そう。ようやく回路の権利を確立することができるようになった。というよりむしろリアンの回路を保護することが第一例となる。
自由な競争を阻害し発展を遅らせることになるのか、それとも権利を保護して利益をある程度保証することで、より向上意欲の高い技師を生み出すことになるのか。
結局有能な貴族の説得によって、公国は後者の可能性を模索することになったわけだね」
自慢気に語るファリエ会長はさらに続けた。
「まずはルーシャに関連する回路の権利を保護してもらう。回路の流用や、ルーシャの模倣などがあった場合は公国に取締を要請することができるようになるよ。
そして同時にこれらの回路を利用したい技師や商工会は、使用料を納めれば使えるようになるのさ。その使用料はハンブル商工会に入ってくる仕組みだね」
彼は、もちろん権利を主張できるのは期間があるよ、とも付け加えた。裏を返せば一定の期間は、ルーシャを売ったとしても得のほうが大きいということだ。
「いずれリアンの回路とは違う方法で、ルーシャを再現する技師はでてくるだろう。今回の法律は流用を防ぐだけだね。けれどもこの法律によって、我が商工会とレストロは一つの特権を保証されたことになる。それが何なのかわかるかい?」
弟に秘密の遊び場を打ち明ける兄のような表情で、ファリエ会長は俺に問いかけた。
ルーシャの技術はいずれ別の方法で実現される時がくる。これは当然だろう。むしろノースモアで貴族向けの魔法道具に関係すれば日常茶飯事と言っていい。
何しろ貴族たちは同じような効果を狙った回路でも、少しでも他人との違いを求めるのだ。細工だけならまだしも、最近では効果を発現する回路の形を気にする貴族もいる。
中途半端な知識で口を出してくる貴族は、どんな工房でも煙たがられているのは常識である。当然表にはださないようにしているが。
いずれ真似どころか、別の方法で実現されるルーシャが得た特権とはなんだろう。
回路のことばかりで、そういった商品としての視点がかけている自覚があるとはいえ、無知ではいられない。俺は可能な限り考えを巡らせるが、なかなか答えは見つからない。
「…最初に商売を始められる権利…ってことでしょうか」
俺が答えに窮していると、リゼさんが躊躇いがちに意見を述べた。その言葉を聞いた会長は嬉しそうに頷く。
「そう、この回路を利用した商売を最初に始められる権利だよ。信用も実績も、レストロと我が商工会が一番最初に築きあげることができる。だからこそ慎重にやらなくてはならないけれどね。
けれど信用はお金ではなかなか買えない。実績も機会を逃せば積み重ねられないんだ。私達は絶好の機会に恵まれたわけだよ。リアンもルーヴの修理が終わったみたいだしね」
確かにそのとおりだ。
どんな業界でも、すでに出来上がった評判の中に入っていくのはとても難しい。後ろ盾のない技師が、仕事を得られないのはそのためだ。信頼も実績もない存在に、早々簡単に物事を任せる人はいないのだ。
しかしルーシャの回路が先行して保証されれば、その回路の信用と実績はいわば強制的に積み上がることになる。多くの人が効果をもとめれば、ルーシャに触れざるを得ないからだ。これには回路を真似しようとする技師や、後追いを狙う商工会の人間も含まれる。そうなれば今後ハンブル商工会の関わる商品には、はじめから各方面からの期待や信頼を寄せてもらえるだろう。当然これは販売数、ひいては利益に直結する。
逆にここでよくない印象を与えてしまえば、あっという間に役に立たない道具を作る所として評判は広がるだろう。慎重にやる必要がある、というのはそのことを指している。
ルーヴについてはリゼさんから加工済みの木材をもらった後、スタンレイの親父さんに修理してもらった。部品を交換したばかりなのでまだ馴染みきってはいないが、作業を進めることはできるだろう。
ファリエ会長は考えを話した後、少し沈黙するともう一度口を開いた。しかしその言葉は、先ほどまでとはうって変わって冷たく、それでもどこかいつもどおりの鋭さを持ってその場に響いた。
「ということで、リゼくんには遠くないうちにルーシャの制作からは外れてもらおうかと思ってる」
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