第9話 邪教は暖かな晴天の下
「…は?」
俺は目の前の変わった貴族様が何を言っているのか全く分からなかった。
合格って何でしたっけ、とファリエ会長に問い直すほどであった。思い出しても恥ずかしい。混乱の極みである。
ともかく…どうやら会長は、俺より先に真夏の水浴びを済ませていたらしい。
俺がそのことを飲み込めたのは。
場所を1階に移し、会長と改めて対面した後。ニアが淹れてくれたお茶のおかげだった。
「エクセシオス嫌いでしょ?」
少し時間を置いて、ファリエ会長は楽しそうに言う。
まだ戸惑いの表情がはっきりと浮かんでいるだろう俺を、ニアも楽しそうに眺めている。
「あ、あんまり好きではない…というか、いや立派な方だとは思いますが…」
しどろもどろになりながら、なんとか言葉を絞り出す。正直今更誤魔化しても意味がない気はするが、そこはあれだ。条件反射みたいなものだ。
「尊敬する魔法技師を、あんなに苦い顔で言う人初めて見たよ」
ククク…と意地悪そうな、それでいて子供のような表情を見せるファリエ会長は最初からお見通しだったようだ。
あの印象的な目を見せた時にはもう、正体を見抜かれていたんだな、と肩の力が抜けてしまう。
「お見通しだったわけですね…」
「いや、見通さなくてもあの表情みたら分かるよ。隠してるつもりだったの?」
「…まあ、表に出さないようにしていたつもりなんですが…」
「嘘つくの下手すぎだって!」
あはは、と声を上げて笑いだす彼の隣では、
「…心の声も口に出ちゃうもんね…ふふっ…果実酒…くふっ…」
玉の輿を狙う女性が口を抑えていた。この受付嬢も大概である。
「でも、どうして合格なんですか?木製だし、売れても大して利益でないと思います」
商工会は会員とよばれる、所属商店や技師、職人から納められる会費が利益の大半を締める。
その会費は彼らが出した売上に応じて納められる額が変わってくる。当然稼ぎのいい会員のほうが商工会としては嬉しいわけだ。
木製の腕輪を製作し、僅かな利益しか生み出さない技師など必要とはされないだろう。
「ま、普通に考えればそうだね。一度にたくさん作れるならともかく、木製のものは成形機も使えない。売上的には厳しいな」
少し真面目な表情になったファリエ会長は、もっともだ、と頷く。
「ただね、それは短期的に見たらの話さ。魔法道具は今、貴族達がほとんど独占してると言っていい。それはそうだ、高いもんね。貴族にしてもいざという時売り払う資産として考えている節もある」
お茶に口を付けながら、更に続ける。
「そこへ登場する庶民が使いやすい魔法道具だ。貴族より圧倒的大多数に売れる。確かに一人じゃ数は作れないけど、その回路、供給をうちで権利化したらどうなると思う?」
にんまり、という表現がぴったりな笑顔を浮かべる銀髪の美形。
「その道具を取り扱って利益を得たい商店から発注が入るだろう。
開発した技術に対する権利を主張して、うちの商工会からしか出さないわけ。
これでも貴族だからね、立法に対しても顔が効く。予め仕込みもしてあるんだ」
誇らしげに胸を張る商工会長は、ここへ来てようやく貴族の顔を見せはじめた。
「簡単な話さ。まだ誰も手を付けていない市場に、目玉商品を持ち込む。そして話題になれば、それを仕入れて利益を得たい商店が現れる。応用して道具をつくりたい技師が現れる。その両方からお金をもらうんだ。
商品を仕入れたい商店からは受注料と、売った品数に応じての販売権利料、応用した技師からは技術使用料をもらう。放って置いてもその人達が売ったり作ったりして、利益を上げてくれる。
数を用意したければ、うちの商工会が技師を雇って作らせればいい。
真似した魔法道具は後で告発して権利料を貰えばいいしね。勝手に並べた商店からもお金を取れる。
権利の管理は面倒だから立法して、国に協力してもらう。そのうち法を破るやつは出てくるから早い段階で何件か見せしめにすればいい。工房に責任をとらせる形にすればかなり効力があるはずだよ」
ある程度儲けたら次の商品に取り掛かる必要はあるけどね、と会長は言う。
俺は彼の策士ぶりに言葉を失っていた。
そうは見せていなかっただけで、この人はやり手の商工会長だ。貴族としての特権的な力も利用しつつ、利益を上げる方法を準備していたのだ。
「既存の工房は、貴族との少数で高額な取引を基準に考えてる。だから、技術を独占して利益を得ようとしても旨味がない。
ほとんど一点ものだし、エクセシオス式とか伝統だとか言って、すでに似たようなものを作ってしまっているという状況もある。今更あのあたりで回路の権利を主張したら大騒ぎだよ、この仕組みをねじ込むのは大層骨が折れるだろうね」
なんとも悪そうな笑みを浮かべていらっしゃる会長様。初めてここを訪れた時の爽やかな表情はどこへ行ったのだろう。
同時に隣のニアも満面の笑みだ。この二人は似たもの同士であると確信した。
「そしてうちの商工会が君に支払うのは、適宜依頼をこなしてもらった際の報酬だけ」
こんなに儲かりそうなのに、経費が全然かからない!
そう心底嬉しそうに言う商工会長を見て、目眩がした。
ああ、これは上手いこと載せられて買い叩かれたのだ。まったく大損だよ。要は商工会側から金になりそうな魔法道具を随時要求され、その対価は一度きりの報酬のみというわけだ。
「とでも言うと思ったかい?」
頭を抱えそうになっていると、楽しげな声はまだ続く。
これ以上何を言おうというのか、賢い理論を並べられ頭が破裂しそうな庶民は泣きそうなのだ。一息つかせてくださいよ。
「そんなことしたら、この仕組みを理解した他の商工会にあっという間に技師をとられてしまう」
先程までの様子が嘘のように真剣な表情になった会長は、はっきりした声で金額を述べた。
貴族のお得意様を1年で大量に抱えても稼げないであろうその額は、俺を商工会に専属として雇う際の報酬だと。
目眩を通り越して、俺の心臓は止まったようだ。
「君を独占する価格だ。他の商工会になんかくれてやるものか」
ニヤリと笑いながらテーブルに契約書を出す策士。
これは誑かされているのではないか。この貴族は庶民をからかっているのではないか。
しかし、契約書は貴族が使う本物だ。
王室に届け出をして作られる、魔法的な拘束力もあるインクが使われている。正式な手続きは王国直轄管理の場で行われることを示している。
その文面には先程提示された金額を支払うこと、それによって技師としての俺と独占的に取引を行うことが書かれている。
俺の口はぱくぱくと動くだけだった。
金額は聞かされていなかったらしく、ニアは若干震えながら金額の桁を指を指し、何度も確認している。その目は書類を見ているようで、その実焦点があっていない。
計算高い彼女も限界を迎えたらしい。
他人が動転しているのを見ると対照的に落ち着く、というのは本当のようだ。
幸い、俺の心臓はまともに動き始めたようだ。
「しょ、所属じゃなくて…せ、専属?」
「そう、君はうちを通さない仕事はやっちゃダメってやつ」
「商工会を掛け持ちはしないし…それは普通なんじゃ…」
「これは貴族からの直接指名も受けちゃ駄目。とにかくリアン印の魔法道具はうちからしか出さない。商工会の移籍も契約中はまず認めません!どんどん新しい道具を開発してほしいしね」
かなり乱暴な契約ではある。貴族からの指名をさせないということは、商工会側で俺の名前を隠すのだろう。人脈も作れないので、紹介状もなく今後工房に入ることはできない。
実質商工会の飼い犬だ。
しかし、俺には選択肢がない。
ここ以外雇ってくれるところはないのだ。
「これは悪魔の契約だよ、リアン。私は今、後のない若い技師につけこんで騙そうとしている」
そう言うファリエ会長はクスクスと楽しそうだ。
端正な顔立ちに銀髪、女性を騙す悪魔だと言われてもしっくり来るかもしれない。高額な契約金をちらつかせるあたりも悪魔っぽい。
しかしながら契約書は魔法道具である。不当に破棄したり反故にすると、貴族位は取り上げられ、最悪死罪だ。力のある貴族が法を侵すとその罰は非常に重い。貴族のいる国では常識だ。
銀髪の悪魔はどうして高額な契約金を払ってまで、俺を独占しようとするのか。
死罪の危険を背負ってまで。
商売に絶対はない。会長の思う策も失敗の可能性は大いにある。木製の腕輪にそれを覆す力があるとはどうにも思えない。
「どうして…俺に?同じことを別の技師に持ちかけてもいいとは思うんですが…」
よくぞ聞いてくれました、と悪魔はらしからぬ笑顔である。
「技師って、いつも価値を図られるよね。学園でもそうだし、工房でもそうだし、もっと行けば貴族にもそうだし」
「まあ、要求に答えるのが大事ですし。お金も貰いますから」
そう、フラドの理屈は間違ってはいない。むしろ揺るぎない正論だ。
「確かにそうだね。むしろ支払われるお金の量がその技師の価値だとされてる。
だから高収入の技師が評価される。要求する側の評価こそすべてだ。その要求に答え続け、結果を残していく技師は素晴らしいし、讃えられてしかるべきだよ」
俺はあっという間に若手筆頭になっていくフラドの活躍を思い出していた。
要求に答えるために努力し、伸びていく彼はやはり才能に溢れ、技師として尊敬できる。その人格も融通が効かない所はあるが、決して悪人ではない。
「でも要求は時代とともに変わるし、その変容は大胆だ。そうでなくても魔法道具にだって競争があって、急に評価されなくなる技師もいるよね」
フラドに追い越されていった技師もたくさんいた。
長く装飾の中心を担っていた先輩技師はフラドに席を譲った後、一気に覇気がなくなり回路の一部を担当していたのを覚えている。
「評価っていうのはさ、簡単に変わるんだ。人間は勝手だから、去年と今年で褒めるものが変わる。昨日と今日で変わることだって珍しくない。見る人によっても大きく違う。
好みの問題、気分の問題。要求から逸れてしまった瞬間忘れ去られ、姿を消す。どれだけ懸命に挑んだ人間でも。選んでくれる人に出会えていないだけかもしれないのに。
でも当然なんだ、要求をする人間は挑んだ他人とは関係ないからね。見つけてあげる義理はない。お金を払うんだもの。選ぶ側に優位性があると考える人もいるだろう」
会長は努めて冷静に語る。
話す内容は残酷だが、当たり前に繰り返されてきた現実だ。
「そうやって私達は常に評価に振り回され、いつ見放されるともしれない慢性的な恐怖を抱えながら暮らしていく。
評価に寄り添う嗅覚や協調性と、個を抑える忍耐が支えだ。
評価の可能性がなければ努力は顧みられず、多くの挑戦は破れる。君もそうだったよね?」
悪魔にはすぐわかったよ?と、会長は笑う。
これから誑かす獲物に向ける視線にしては、どうにも優しげな気がした。
「個を無くした人間は他人の評価だけに縋る。そこに自分の価値を見出すんだ。周りの様子に敏感に反応し、自分を作り変える。
そしてその流れについていけなくなった時、その人間はあっさりと折れる。身近な評価に殺されるんだ」
評価に殺される。そんな表現を聞いたのは初めてだった。
それでも、意味は理解できた。なぜなら俺はそうして試作を諦めたからだ。技師として死んだのだ。
「でもさ、矛盾するようだけど、人間褒められなければ頑張れないよね?
だから私は個を評価する。
流されない個を持っている人を評価して、悪魔の囁きで仲間にすれば、今まで無かった利益がだせると思ってるから」
最近の悪魔は随分と野心的で、計画的で、思想家である。
その辺の人間より情熱を感じるのは俺だけだろうか。
「過度に他人の評価に依存すれば、ある時限界が来る。人はそう強くできていないからね。
でも、どこかに個を見つけていれば、そこからまた始められる場合がある。
自分自身の納得という形で、自分の行動を認め、決められる。受け入れられるものを作るのではなく、自分の個を受け入れてもらえるように工夫できる。
だから、折れず、迷子にならずに歩いていける」
いつの間にか金額から目を離したニアも、静かに話を聞いている。
「ある意味、自己中心的であることが不可欠なんだ。新しい価値を生むには」
もちろん、行き過ぎは駄目だよ?と補足する会長。
「リアン、君の中には確かな中心が見える。自覚していない人も多い自身の中心だ。そしてこの木製の腕輪には、そのことがよく現れている」
ファリエ会長はひょいと俺が作った腕輪を持ち上げる。
「ローエンが好きで、エクセシオスが嫌い。魔法道具はもっと広く受け入れられるはずだ、という君の個が見て取れる。まずはちゃんと自己中心的だ」
ニアが目で私にも見せて!という意思を伝える。彼女に腕輪をまじまじと見つめられるのは少し恥ずかしかった。
「君には自覚的な個がある。評価されなかったにせよ、個があるんだ。
君だって人間だし、提供される側も人間だ。どこかで共通項がある。
工夫もしているし、君がいいと思ったものを欲しがる人間に、まだ出会っていないだけじゃないかと思う。
そして私の見立てではそういう人が大勢いて、その人達に君の道具を届ける策がある。
個があって、それが近いうちに評価されそうな技師なんて、滅多にいない金のなる木だ。
ここで対価を渋ったら、私は一生後悔するね。莫大な利益をみすみす逃す理由がどこにあるんだい?
…と、これが悪魔の自己中心的な行動原理だよ、参考になったかい?」
言いくるめられてもいいや、とそう思ってしまった自分がいた。
もともと、もうお手上げなのだ。
俺は弱いから、こういう風に評価してくれる人がいなければきっと頑張りきれない。
評価に流されない生き方に憧れはあるけれど、急に強くはなれないし、それだけでは生きていけない。
ならせめて、腹をくくろう。
現実は厳しいのだ。またきっと落ち込んで、へそを曲げるかもしれない。
それでも全部飲み込もう。
いつか悪魔に騙されたとわかった日に、俺は気持ちよく笑うのだ。
「よろしくお願いします!」
俺の言葉に悪魔は笑顔で頷いた。
商工会から近い王立の施設で契約をした後。
いつの間にかリアン教の御神体である腕輪は、ハンブル商工会の受付嬢に奉納されることになっていた。
御神体「が」捧げられるという事態が起きたのは、稀代の悪女ニアの計略である。教祖を冒涜するこの行動は、リアン教の教典に記しておかなければならない。
そして…提示された契約金は数年分の合算であり、期間で割ると報酬は普通だったことも教典に太字で記しておく必要がある。絶対にだ。魔素を通すと光るくらいでいいだろう。
悪魔に騙されたと当日に判明し、俺は気持ちよく笑った…と思う。涙が落ちないように上を向いたし、上出来である。頑張った。
悪魔はいい笑顔であった。
先輩眷属のニアもさすがにこれには引いていたので、ちょっと安心した。
彼女とはなんとかやっていけそうである。
教祖のみで構成されるリアン教の立ち上げは、愚か者を笑う豪雨の中のはずだった。
しかしながら教祖の予言に反して、それは自己中心的で独善的な晴天の下、行われた。
立会人は、技師を誑かす悪魔と、教祖を手玉にとる悪女である。儀式をしたら間違いなく邪神が降臨なさるだろう。
例え異端だとしても。いつか宗教戦争で負ける日が来たとしても。
…どうも邪教っぽさが拭えなくても。
この日の暖かさを、俺は死ぬまで忘れない。
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