第8話 自己中心的な魔法技師
ニアとの話を終えて、商工会の個人工房室に荷物を置いて鍵を締めると、大急ぎで木工屋を目指すことにした。頭よりも先に身体が動く、そんな感覚はここしばらく無かったように思う。
日は傾き、沈みかけている。茜色の空が王都を見下ろし、建物の影は昼と夜をつなぐかのように伸びていく。
目当ての木工品をようやく見つけた頃、目に入った家の軒先には、かつて我が家にあったようなランタンが優しげな明かりを灯していた。
貴族が手放した中古品だろう、かなり前に流行した彫り細工が印象的だ。あの頃、精一杯背伸びをして手に入れたものの親戚が、今も王都の夜を照らしている。
ランタンが据えられた家は、商店街に近い一等地だ。賃貸ではなく持ち家だろう。
露出された真新しい木組みは、非常に裕福な暮らし向きであることを示している。
「それでも、このランタンなんだな」
庶民の中では上流階級といえる家庭でも、魔法道具自体は古い。その意匠は趣味のいい新築の家庭には少し不釣り合いにも見えた。それでもどこか誇らしげだ。
これから作る魔法道具は、こんな王都の景色には相容れないかもしれない。
しかし、王都には色々な家がある。同じ木組みでも多くの軒先がある。その家の数だけ景色があるのだ。
だから、まだ見ぬその景色に賭けてみようと思う愚か者がいてもいいのではないか。
技師最後の仕事なのだ。自己中心的で独善的な自分を晒してしまおう。
もうその正体は見抜かれているのだ。今更誤魔化したってしようがないじゃないか。
ファリエ会長から渡された木製の腕輪は、庶民向けに作られたものだと判断した。しかも、冬の間にだけ必要で、おもに水仕事をする立場にある人が対象だ。
これは、「あかぎれ」対策の腕輪なのだ。
王都の技師が100人集まったとしても、100人全員が信じないだろう。もしかしたらあまりにも滑稽過ぎて、噂を聞きつけたおしゃべり好きな技師も集まり、結果的に200人くらいが俺を笑うかもしれない。
しかしながら愚か者の技師なりに考えると、庶民向けと考えれば辻褄が合うのだ。
まず、木製であること。
これは第一に価格が安いこと、第二にアモーリテ製よりも軽く仕上げやすいことが理由ではないか。
手を動かす仕事をしているのに、あまり重いものは付けたくないだろうし、俺の予想どおりの用途なら購入するのは庶民だ。安いに越したことはないだろう。
次に、耐水の回路が入っていること。
これは水仕事、つまり洗い物をする際に濡れても平気なようにしたのではないか。
これなら手を暖めるという効果を得ようと魔素を流せば、同時に耐水回路が水を追い出すだろう。手入れをしているのと同じだ。
最後に、装飾的回路が一切無いこと。
装飾向けの回路は長い。必要な魔力が増えるだけで、庶民には負担である。魔素を流すのが苦手だったり、まだ若ければ尚更。
効果だけを考えれば、手袋で十分だと思う。
ただ水仕事の際に手袋を付ける人間はまずいないだろう。腕輪型なら、洗い物の際に若干干渉はするが、手が温かいまま作業を進めることができる。
ニアの様子から見るに、お茶を準備したあと食器類は洗うはずだ。普段の暮らしの中でも洗い物くらいするだろう。
手が冷えやすい人は、冬の季節はあかぎれになりやすいはずだ。
現にニアの手にもあかぎれの跡が残っていた。
では食堂で一日食器を洗う人はどうか。貴族の屋敷で掃除や炊事をする人はどうか。
庶民こそよく知っている。毎年寒い時期は少なくない人が、あかぎれに悩まされているのだ。
とはいえ、これはそうだったらいいな、という感覚を多分に含んでいる。
俺の知る限りこんな些細な用途の魔法道具なんて聞いたことがない。
庶民の要求に答えても、フラドが言ったとおり庶民が買ってくれる保証なんてない。売れても儲けの見込みが立たない。
だからこそ引退作品にふさわしいじゃないか。
ローエンの熱狂的信者がつくる、庶民向けの安価な木製魔法道具。
かつて認められなかった卒業製作を、貴族様にご覧いただこう。
若手筆頭技師様は言った。技師は技師であり、思想家ではない。
発想の転換だ。屁理屈でもいい。技師と思想家のルーヴを両方持ってしまおう。
思想家を否定するフラドですら、ルーヴを複数使っているではないか。
賢者の陽の下で渋面技師をやるくらいなら、愚者を笑う雨の下、笑顔でルーヴを振るうのだ。
その笑い声が、どこかの家の軒先に届くかどうかはわからない。むしろほとんど届かないだろう。
それでもいいのだ。
本人が笑っているのだから。
個人工房に篭り作業を始める。
木製の腕輪の回路はところどころ不鮮明になっており、魔素を流しても効果は現れなかった。また回路自体も流れた魔素の影響でささくれ立っている。
木製とはいえ、ささくれが目立つほど魔素を流すというのは、庶民の魔力からすると珍しい。このことからも長く使われたことが分かる。魔法道具としては安価ではあるが、持ち主は短期間で買い替えることはしなかったようだ。
さて、ではどうするか。
先の受験者である、見知らぬエクセシオス派の技師はアモーリテ製で、装飾技術を見せつけて合格を狙ったわけだ。使用魔力にしても教育を受けた貴族向けだ。
ローエン原理主義者がやることは逆。
木製で、長持ち。貴族が思い切り使ったら壊れてしまうくらい、必要魔力量を低くする。
女の子がままごとの延長で母親の洗い物を手伝うとする。そんな時あかぎれはもちろん、しもやけとも無縁を保てる、庶民一直線の設計だ。
そこで登場するのが、既成品の格安の木製腕輪だ。
子供が5歳になった春、健康を願って彫り物のある腕輪を送る習慣が最近流行っている。
しかし高級品の魔法道具に似せて、やたらとこだわった彫り細工が入った物は駄目だ。
安価な腕輪のほうがいい。彫り細工が少なくて、強度が保たれている。
この安物腕輪に回路を彫ってしまうのだ。経済的である。
決して今俺にお金が無いからではない。理想のためだ。少なさは豊かさなのだ。豊かな発想の賜物なのだ。春の前で幸運だったとは微塵も考えていない。本当だよ。
更に回路も変更を加える。必要魔力量を抑えるために極限まで短くするのだ。工房時代に基礎工程に飽き飽きして、こっそり成形機で彫り込む基本の回路を短くする遊びをしていたことが役に立った。
回路をいきなり変えると叱られるので、2年目まるまるかけて段々短くしてやった。筆頭技師は気づいていたかもしれないが、黙っていてくれたのは助かった。褒めてはくれなかったが。
結果3年目のやる気がなくなったのは、大体フラドのせいである。
人は褒められて伸びるのだ。彼はそこが分かっていない。大変けしからん話だ。
次は回路の耐久性だ。ささくれの発生をなるべく抑えられれば長持ちするし、魔素の流れも阻害されず、効率よく動作するはずだ。
そう考えると、回路がやや浅めなのは好ましくない。
何か意図があるのだろうとは思うが、魔力が離散しやすく、魔素を回路に叩きつけるような力が働きやすくなる。回路が痛みやすく、効果も下がりがちだ。
ということで、魔素が入り込みやすく、逃げにくい回路を作ってしまおう。
回路の深さを部分的に浅くして、その他はもっと深くする。これで魔素を回路に誘い込むのだ。叩きつけなくて済む。
効果が現れるまでが短くなり、魔素を一生懸命流さなくても良くなるだろう。
工房時代に似たような試作は提出したが、貴族向けは高価で丈夫な素材を使うので耐久性など問題にならないのだ。
当然試作は却下だ。手間がかかるだけで金にならない。
しかしローエンを信奉するリアン教では、長持ちしない道具などガラクタである。
彫りの深さを変える技は絶対の教義。できなければ入信を断る可能性さえある。
提出相手は貴族だ。アモーリテ製でない時点でどうせ不合格である。
この道具の費用は自腹だし、自分で持って帰らせてもらおう。墓まで持ち込み、リアン教の御神体か聖遺物にするのだ。あの世に行っても手は暖かいだろう。あかぎれ、しもやけには悩まされない。信心は手を守るのだ。
回路の再設計、彫り込み、道具に染み込む魔素の処理をした後、格安腕輪に元からあった装飾も手直しが必要だ。この彫りの甘さは技師としては見過ごせない。
結果は見えていてもやりきって提出はしたい。
薄給な庶民のルーヴは休ませながら作業しないと限界がくる。
時間に余裕はあまりないだろう。
自腹で成形したアモーリテは無駄になったし、金銭的にも厳しいまま。
それでも、こんなに楽しい気分になるのは久しぶりだった。
「リアンくんー、生きてますかー?死んでたら教えてー?」
何やら物騒な声とともに、扉を叩く音がする。
ぼんやりした頭のまま、返事をする。ほとんど意識はない。
「死んでますー」
笑い声とともに個人工房室の扉が開く。
ファリエ会長だった。
方針を決めた初日の夜から回路設計をして、アモーリテで実験した頃に、ニアが差し入れを持ってきてくれたのは覚えている。2日目のお昼を少し過ぎたくらいだった。
その後、いよいよ木製腕輪に取り掛かり、ルーヴを休めつつ魔素抜きしていると日付が変わったはずだ。
彫り細工の修正が仕上げに入ると外が明るくなっていたような気がする。
ルーヴに限界が来たな、と感じたのを最後に意識がない。状況から察するに完成した腕輪をもったまま寝ていたようだ。
「さて、いい感じに蘇生したところでいよいよ締切だ!どんなものになったかな?」
楽しそうな表情でファリエ会長はこちらを覗き込む。
立ち上がり俺は完成した腕輪を差し出す。
愚者を笑う最初の雨が降り出すだろう。
雨を防ぐすべはない。でも、いいのだ。
ずぶ濡れになっても、宿屋で働く内に服は乾き、真夏に水浴びした後のような気分でいられるようになる。不思議とそんな確信があるのだ。
しかしながら木製の腕輪を受け取った貴族は、心底嬉しそうにゆっくり魔素を流した後。大笑いしながら言ったのだ。
「…合格っ!」
嘘が下手すぎる、と嬉しそうに笑い続けるファリエ会長。
その表情は、晴天のもと広場ではしゃぐ子供のようだった。
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