第282話 セイ達が帰ってきた

「じゃあ、そろそろ行こうか」


 ネネコに服を着せるのを待ったあと、シンジはマドカ達に帰る事を告げる。


「どこに行くんですか?」


 まだ表情が強ばっているマドカがシンジに聞く。


「どこって、帰るよ。マンションに。百合野さんたちは……他にどこか行きたい場所でもあった?」


「いえ、ない……よね?」


 シンジの質問に答える途中で、マドカはシンジに抱っこされたままのセイに目を向ける。

 先ほど分身に襲われた恐怖を忘れるわけがないのだ。


 しかし、セイは反応しない。


「……常春さん?」

「……セイちゃん?」


 マドカとシンジが、二人声をそろえてセイを呼ぶ。


「……すー」


「寝ている!?」


 返事の代わりにセイの口から聞こえてきたのは、安らかそうな寝息だった。


「え? 常春さん寝ていたの? いつから?」


「人を襲った後なのに!?」


「またすごく気持ちよさそうに寝ていますけど……」


 シンジとマドカは驚き、横にいるユリナは呆れた顔をしていた。


「ぅん? うーん」


 騒ぎに気づいたのか、セイがゆっくりと目を開ける。


「あ、起きた。常春さん、常春さん」


 シンジが呼びかけると、セイは数秒ぼーっとシンジを見つめ、へらっと笑う。


「めいせいせんぱいだぁ」


 少し、口足らずな様子でそういうとセイはシンジにぎゅっと抱きついた。


「……はぁ」


 ユリナとマドカが、そろって大きく息を吐く。


「あの、常春さん」


「なんですかぁ?」


 なんとも気の抜けた、ふわふわとしたセイにシンジはキツく目を閉じる。


「そろそろマンションに帰りたいんだけど」


「はい」


「この状態だと帰れないから、そろそろおりて?」


 校内を移動する程度なら抱き抱えてもいいが、マンションまで移動するのにこのままではマズいだろう。


 そんな、子供でも分かる理屈に、しかしセイは動かない。


「……常春さん?」


「……ゃ」


「ん?」


「……ぃやっ!」


 すっぱりと切るように、セイは断りシンジに抱きつく。


「いや、あの、イヤって流石にマンションまで常春さんを抱っこ出来ないし……」


 セイは聞こえないフリをしているのか沈黙したまま離れない。


「常春さん?」


 セイは動かない。


「……おーい」


 セイはいっさい動かない。


 シンジはちらりとユリナを見るが、ユリナは何も答えない。

 シンジがどうするのか見守るつもりのようだ。


(……どうしようかな)


 離れないセイを見て、ふとシンジは思い出す。


 前も確か、セイが抱きついてきた事があったはずだ。


(……あのときは)


 そのときの事を思い返して、しかし、それはやめておくことにした。


(……多分、アレは、今の常春さんだとシャレにならない)


 では、どうするか。

 シンジは少しだけ悩み、脇を突いてみた。


「……ひゃうっ!?」


 セイの体がびくりと跳ねる。

 セイが敏感な体質であることを、シンジは知っている。

 どうやら、脇も弱いようだ。

 刺激で、目も覚めたのだろう。

 セイは、しっかりとした目つきでシンジを睨んでいる。


「ほら、離れないと、もう一回……」


 からかうようにシンジが口角を上げると、セイは一度口を尖らせるとそのままシンジに抱きついた。


「……へ? いや、常春さん? 離れないと……」


「……どうぞ」


 さきほどのようにきっぱりと、はっきりとセイは言う。


「ん? どうぞって……」


「どうぞ、好きにしてください。私は離れません!」


 そのまま、セイはシンジに抱きついている手に力を込める。

 ふん!と鼻で息を出す音も聞こえた気がした。


「いや……どうぞって」


 流石にここまで頑なに離れようとしないセイに、シンジも困惑して辺りを見回す。

 しかし、その場に誰もが呆れたような、困ったような表情を浮かべるだけで、解決策を持っている者はいないようだとシンジは理解した。


「あの……常春さん。なんでそこまで俺から離れないようにしているの?」


 困惑からつい出た疑問に、セイはしばらく沈黙して答えた。


「……だって、離れると、イヤだから」


 一呼吸おいて、またセイは言う。


「もう二度と、離れたくないから……」


 セイはシンジの肩に、深く頭を乗せた。


「……でも、動かないと。このままこの学校にいるわけにもいかないでしょう? この人数分の転移の球は用意してないし、マンションまで常春さんを抱っこしていけるほど俺の体力は回復してないから……」


「……明星先輩はどうやってマンションまで帰るつもりなんですか?」


 マドカの疑問に答えたのは、ユリナだ。


「それは徒歩でしょう。私たちだけなら転移の球がありますが、この人数分は流石にないですから。しかし、そんな事を聞いてくるという事は、マドカは何か考えがあるのですか?」


 意見がありそうな顔をしているマドカにユリナが問うと、マドカは少し気まずそうに答える。


「いや、意見というか、私たちはここまで空を飛んで来たんだよ。ヒロカちゃんのドラゴン、ライドちゃんに乗って。だからマンションまで空を飛んで帰れば早いんじゃないかな……って」


 マドカの意見に、ユリナとシンジは目を合わせる。


「空を飛ぶ……それは確かに早いし、このままの状態でも移動できるかもしれないけど……乗れるの? 俺たちも」


 シンジの質問に、ヒロカが首を振る。


「……無理だと思います。重量は大丈夫でも、乗るスペースが無いです。セイ姉ちゃんとネネコとマドカさんの三人でもギリギリだったから、それにユリナさんと明星さんが乗るのは……」


「大丈夫」


 とマドカが言った。


「……大丈夫って、俺たちだけ転移の球で先に帰るって事? それは流石に……」


「その方法もありますけど、そうじゃなくて明星先輩も飛べばいいんですよ」


「……俺も飛ぶ?」


「はい。これを使って」


 シンジが首を傾げていると、マドカがシンジに何かを手渡した。

 それは、うっすらと輝く大きな牙。


「……これは」


 シンジは自分の手にある牙を見て、目を見開いていた。


「これ、明星先輩がドラゴンに変身するときに使っていた牙ですよね?」


「そうだけど、どうしたの、これ」


「ユリちゃんが明星先輩を担いで逃げた後に落ちているのを見つけて回収したんです。シシト君達にバレないように気をつけたんですよ」


 マドカが自慢げに胸を張る。


「あと、これもありました。どうぞ」


 そう言って、マドカはシンジに朱と蒼に輝く二本の短剣を渡す。


「朱馬と、蒼鹿」


「先輩のお気に入りの武器ですよね? 牙と一緒に落ちていました」


 シンジは手にある短剣と牙を見つめ、マドカを見る。


「……ありがとう。これを探していたんだ。本当に、嬉しいよ」


 力が抜けたような、本当に嬉しそうなシンジの笑みに、マドカは少し気まずそうに視線をそらす。


「いえ、その、私は拾っただけなので……」


「いや、本当にありがとう。実は今日はこれを探しに学院に来ていたんだ。よかった、本当に。こいつらだけでも無事で……」


 はぁ、と息を吐いて、シンジもセイの肩に顎を乗せる。


「……良かったですね。これで本来の目的も果たせました」


「本当だよ。体力が戻っても武器がないんじゃ話にならないからね。百合野さんが見つけてくれて本当に良かった」


 嬉しそうにしているシンジを見て、ほっとマドカが胸をなで下ろしていると、ポンと誰かに肩をたたかれた。


 誰かと思って見てみると、そこにいたのは、セイの分身。


「ねぇ、マドカさん」


「な、なんでしょう?」


 セイの分身から、そして、セイの本体からも言いようのない圧力を感じ、マドカの声は震えてしまう。


「なんで、私に明星先輩の武器を持っていることを言わなかったの?」


 肩に乗っていたセイの分身の手が少しずつ力を強めていること感じながらマドカは答える。


「いや、言おうと思っていたよ? でも、呪文と一緒で忘れていてさ。いや、本当に。それに拾ったのは十日前だしさ……はは、ははは」


 さらにセイの握る力が強くなる。

 ぶっちゃけ、痛い。


「でも私言ったよね? この学院には明星先輩の私物を探しに来たって。なんでそのときに言わなかったの?」


「そ、それは……それは! 話そうとしたらちょうどセイちゃんが走っていったから……」


 嘘ではない。だが、震えが止まらない。


 しかし、そんなマドカの答えに納得したのか、セイの分身はマドカの肩から手をどかす。


 助かった。


 そう思い、胸をなで下ろしたマドカの耳元で、セイの分身が囁いた。


「……あとで詳しく聞くから」


 その声の冷たさに。

 真冬だというのに、マドカは震えと汗が止まらなかった。





「さて、じゃあ行こうか」


「もう、セイはそのままなんですね」


 立ち上がったシンジに、セイがコアラのようにしがみついている。


「ドラゴンの牙があれば俺も変身して飛べるからね。常春さんは俺が抱えて飛んでいく」


 そう言って、シンジはセイの肩に手を回し、体勢を変えさせる。

 本日二回目のお姫様だっこである。


「え……えへへ。ありがとうございます」


 嬉しそうに、セイはシンジに抱きつく。


「まぁ、しばらくは離れそうにないですし、満足するまでそのままにするしかないですね」


 呆れつつ、感じている罪悪感を、息を吐いてユリナはごまかす。

 ここまでセイがシンジに依存しているのは、それだけ聖槍町での出来事が辛かったということだ。

 どうしようもないし、どうしようもするべきではないと判断した事自体、自分に落ち度はないと思っているが、それでも、だ。


 自分がそうであるならば、きっとシンジはそれ以上だと……ユリナはシンジを見る。


 セイがすりすりと首筋に頬を寄せているのを苦笑しながら……笑みで苦みをごまかしながら、シンジは前を見ていた。


 この十日で、何度か話す機会があったコタロウから聞いたシンジの事。

 その性(さが)。

 その本質。


 そして、それを作ってしまった彼の能力。


 ユリナはそれを思い出し、そっとシンジの後に付いていった。




 それから、シンジ達は空を飛んでマンションに向かった。

 シンジがセイを、ヒロカがネネコを抱いて飛び、ライドにはユリナとマドカが乗った。


「……わぁ」


 マンションが見えた時、声を上げたのはマドカだ。


「何か、一年以上離れていた気がするよ!!」


 約十日ぶりだが、それ以上、離れていたような気もする。


「……コタロウには連絡しているよね?」


「はい、飛ぶ前にしています」


 そんな事を言いながら、シンジ達はマンションの前に降り立つ。


「……変わっていないね。ここ」


「そりゃあ、そんなに時間は経っていないし」


「……帰ってきたんですね」


 セイが、ぽつりとシンジに抱きついたまま言った。


「……お帰り、常春さん。百合野さんも」


 セイを見て、マドカを見て、シンジは言う。


「……ただいま」


 セイとマドカは、二人そろって笑顔で返事をした。


「ヒロカちゃんも、いらっしゃい。何もない所だけどゆっくりしていってよ」


シンジがそう言うと、ヒロカは恐縮そうに頭を下げる。


「……おじゃまします」


 そのままシンジ達は自動ドアを抜けてマンションのエントランスを進む。


「……そういえば、シンジ。あの事は言っていましたっけ?」


「……あーそういえば言っていないかも」


 ふいに、ユリナがそんな事を言い出すとシンジも思い出したように答える。


「……あの事?」


 とマドカが首を傾げた時だ。

 前方の階段が急に光り始めた。


「わっ!? 何!?」


「お帰り! そしていらっしゃい! 子猫ちゃん達! そう! 俺こそがシンジの親友! 世界の英雄! 山田小太郎くんだよ!」


 光から、くるくると回りながら登場したのは小学生くらいの男の子。


 小さくなっているコタロウだった。

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