第280話 優しい傷が広がる
「……それから、一週間。俺と水橋さんは体調と下がったレベルを回復させていたんだ」
話を終えて、シンジはふぅと息を吐いた。
まるで煙のように、白い息が、広がり、消えていく。
「……じゃあ、明星先輩はずっと生きていたんですね」
マドカが、立ち上がる。
その動作自体に変わったところはなかったが、ユリナはマドカに合わせるように立ち上がると、シンジの横についた。
「……生きていたなら、なんで助けにきてくれなかったんですか?」
「……話を聞いていなかったのですか、マドカ。明星先輩も、私も、一度死んでレベルが落ちていたのです。私は五。明星先輩は二十以上も。助けにいけるわけがないでしょう」
「でも、連絡をくれたり、何かあったでしょう!? 皆が、あそこでどんな目にあったか……ネネコちゃんはヤクマに薬漬けにされて、セイちゃんは……セイちゃんは……」
マドカの全身が震えていた。
感情を押さえ込むように。
「……先ほども言ったと思いますが、まさか駕篭くんがそこまで愚かな事をしているとは想像もしていなかったのですよ。シンジを殺したといっても、セイ達にはせいぜい軟禁か監禁か……それなら助けにいけなくても問題ないし、体が弱ったまま助けに行った方が不要な争いや犠牲を生む可能性があった。マドカも、まさか愛しのシシトくんがそんな事をするなんて考えていなかったのではないですか?」
マドカは口を閉ざす。
確かにそうだ。
シシトがそんな事をするなど、マドカは実際に見るまで一切思わなかったのだ。
「……シシト君は、一度セイちゃんを殺していたんだよ?」
「そんなシシト君に謝らせるためとはいえ、セイを会わせようとしていたのはどこの誰でしたか?」
空気が、氷のように冷たく、堅くなる。
「……百合野さん」
そんな中にシンジが割ってはいる。
ユリナはシンジに目を配るが、シンジは軽く首を振る。
「……明星先輩」
「百合野さん。まずはごめんなさい。ユリナの言うとおり、三人に対して駕篭くんがそこまでヒドい事をするなんて想定していなかった」
セイをだっこしたままのため、シンジは頭だけを軽く下げる。
「いえ、それは私もですけど……それに謝るなら私じゃなくてセイちゃんに……」
マドカは気まずそうにシンジから目をそらす。
マドカ自身の被害はほとんどないのだ。
それに、ユリナに指摘された点は、ほとんど当たっていて、自分が情けなくも思っていた。
「それもそうだね。ごめんね常春さん。助けに行けなくて……」
シンジが、セイから体を離してセイの顔を見て謝ろうとしたときだ。
「……百合野さん!」
マドカの後ろに誰か立っていた。
その人物が、マドカに向けて拳を振り下ろす。
「うひゃっ!?」
ギリギリの所で、マドカは拳をよけた。
拳の衝撃で、床に人一人が入れるほどの穴が空く。
「な、な、な」
マドカは体勢を崩して尻餅をつくと、自分に拳を振り下ろした人物に声をあげた。
「なんでセイちゃんが私を攻撃するの!?」
穴の前にはセイが……セイ自身はシンジに抱きついているままなので、おそらく、セイの分身がマドカを睨んで立っていた。
分身は黙ったまま拳を避けたマドカの方に向き直り、拳を握り込んだ。
「……明星先輩は何も悪くないのに謝らせた」
ぽつりとつぶやいたのは、シンジに抱っこされている本体の方だ。
「……許せない」
「えっ!? 私セイちゃんの気持ちを考えて言っていたのに!? 私を許せないの!?」
「勝手に人の気持ちを考えないで。あの男みたいでムカつく」
「ごめんなさいぃい!」
ズイッと前に出てきたセイの分身に、マドカは涙目になって謝る。
「あのー……常春さん?」
シンジが、状況についていけなくて困惑していると、セイが少しだけ強くシンジを抱きしめなおす。
「……ごめんなさい」
耳元で、小さく、弱く、セイがつぶやく。
「……なんで常春さんが謝るの? 百合野さんの言うとおり、謝るのは俺の方でしょう?」
セイの頭が、横に振れる。
「違います。謝らないといけないのは、私です。私は、先輩を守れませんでした。先輩と戦うって決めたのに。先輩に出来ないことをするって決めたのに。私は何も出来ませんでした。何も……何も……」
シンジからは顔は見えないが、セイのかすれた声で、その表情は容易に想像がついた。
「……常春さんは俺のために戦ってくれたんでしょう? それで十分だよ」
そっと。
シンジはセイの頭に手を添える。
「ありがとう」
感謝よりも、本当は謝罪をしたかったのだが、シンジはやめた。
最優先すべきは、セイの心だ。
シンジがやりたいことなど、セイの心に比べれば……この、傷つき、疲れ果てている少女の心にくらべればどうでもいいだろう。
だから、言った。
「常春さんは俺のために怒ってくれた。それを聞いて、俺は嬉しかったよ」
嘘を。
心とは真逆の言葉を。
セイはそれを聞いて、シンジの服をぎゅっと握る。
「……ありがとうございます」
そう言って、セイは口をつぐんだ。
二人とも、傷を負っている。優しい傷を。
『あなたが余計なことを言うから……』
と、でも言うようにユリナはマドカを睨む。
『ご、ごめんなさい』
とマドカは泣きながら謝っていた。
そんな、この場にいたほとんどの人間を傷つけただけの時間の空気を変えたのは、彼女だった。
「ア……アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
鼓膜の奥を突き刺すような、悲鳴。
氷の槍のような絶叫。
声の主は、眠っていたはずのネネコだ。
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