第261話 ネネコがヒドイ

 白い部屋だ。


 何もない部屋。


 その部屋で、セイはうずくまっていた。

 何もせずに、じっと。


 ふいに、人の気配を感じたが、それでもセイは動かない。

 それが誰だか分かっているからだ。


 その人は、この白い部屋を作ってくれた一人だから。

 だから、セイは口を開く。


「……ごめんなさい」


 返事は、ない。

 それでもセイは続ける。

 その人に向かって。

 母親に。アオイに向かって。


「せっかくお母さんが来てくれたのに。言ってくれたのに、結局私は我慢できなかった」


 セイは、自分の腕をぎゅっと握る。


「でも、でもね。無理だよ。あんなの。あんな……あんな皆で先輩を悪く言って、悪いこと全部先輩のせいにして。あんな、あんな事言われて我慢できるほど、私は、私の先輩は、軽くない!」


 アオイから、やっぱり返事はない。

 当然だ。これは夢だから。

 そして、この夢はそろそろ醒めそうだとセイは感じとった。


 気絶する前に何が起きたか覚えている。

 おそらく、起きたら禄な事はないだろう。

 でも、もう起きないといけない。


 セイは立ち上がる。


 不思議と、アオイの顔を見ることは出来なかった。

 顔を上げることが出来ないのだ。

 顔向けが、出来ないのだ。

 うつむいたままセイは言う。


「ゴメンなさい。そろそろ……行きます」


 勝手に、足がドアに向かって進んでいく。

 一歩一歩、ゆっくりと。

 セイは、アオイの顔は見ていない。

 けど、なぜかアオイはセイに向かって微笑んでくれている気がして、少しだけ救われた気がした。




 世界が白に変わる。

 夢と現実の交わる間。

 その間に感じたのは、騒音。

 うるさい。

 何か、音楽が鳴っている。

 それは聞き覚えのある音だった。


 これは、そう。

 ライブコンサートの音。


 セイはゆっくり目を開ける。


 暗い。薄暗い。

 天井の色が白であると、ぼんやりと分かる程度の明るさ。

 目を開けると、音は聞こえなくなっていた。

 セイはゆっくり自分の状態を確認する。

 確か、上半身と下半身を千切られたはずだ。

 あの、幸せにするとかヌかしていた男によって。

 しかし、体はついている。

 治療されたか……生き返らせられたのか。


 手は後ろに拘束具の輪で止められている。

 足も拘束具で止められているだけだ。

 自分が白いベッドに寝かされていたのだと確認しながら、ゆっくりとセイは体を起こす。



 人がいた。

 四人。

 彼らは皆セイに背を向けている。

 いや……正確に言うと三人の男性はセイに背を向けていたが、一人、女の子だけはうずくまっていた。


「ほら休んでないで起きろ」


「はい、ネモン様」


 甘ったるい、媚びた声を出しながら、うずくまっていた女の子……ネネコが起きあがる。

 ネネコは頬に人差し指を当ててニッコリと笑顔を浮かべた。


「じゃあもう一度。サビの部分から」


 男たちの中心にいた人物……ライブコンサートでボーカルをしていたネモンがネネコに指示を出すと同時に何かを端末を操作した。

 部屋の隅に置いていったスピーカーから音楽が流れ出す。

 起きる直前に聞こえていた音だ。

 音楽が鳴り出すと、ネネコは嬉しそうに飛び跳ねて踊り始めた。


「君の笑顔に~」


 甘い美声を出して、歌詞を口ずさみながらネネコは踊る。

 くるりと一回転して、片目でウインクして。


「幸せがあふれて~」


 人差し指を、ピッとさして。


「私も笑顔に~うげっ!?」


 最高の笑顔を見せた時、ネネコの体がくの字に曲がる。

 おなかに、ネモンの拳がめり込んでいた。


「う……ぐぁ……」


「おいおいおい……何止まっているの? 誰が止まっていいって言った? なぁ?」


 もう一発。今度はネネコの左頬をネモンが殴る。


「がっ!?」


 殴られた衝撃でネネコは倒れた。


「寝てんじゃねーよ。立て。愚図が。お前、この俺に何をしたか忘れてねーよな?」


「う……う……忘れて、ません」


 プルプルと腕を振るわせながら、ネネコは体を起こそうとする。


「何をしたか言ってみろ」


「わ、私は、駕篭猫々子は、偉大なる天才アーティスト鳥肥音門様の右腕を切り落としました!」


「そうだよなぁ!!」


「がっ!?」


 ネモンが、起きあがろうとしていたネネコのおなかを蹴り上げる。


「そうだよ! そうだよ! お前は! お前は! お前ごときが! このネモンの! 天才アーティストであるこのネモン様の腕を切ったんだよ! ほら、謝れ! 謝れよ!」


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 何度も、何度も。

 血しぶきが飛ぶほどにネモンはネネコを蹴り続けた。

 そのたびにネネコは謝罪する。

 そして、流れている曲が終わる頃。

 ネモンはネネコを蹴るのを止める。


「おい。休むな。立て。もう一度だ」


 スタボロになったネネコに、ネモンは言う。

 ネネコの体に、血が付いていない場所、痣が出来ていない場所はない。

 通常なら、動けるような状態ではないはずだ。

 でも、それでもネネコは腕を振るわせながら体を起こし、立ち上がる。


 そして、真っ赤に腫れ上がっている人差し指を頬に当てて、言う。


「はい。ネモン様」


 先ほどのように、甘い声を出してにこりと笑ったネネコの前歯は、二本欠けていた。

 それを見て、ネモンの横にいた男たちが声を出して笑う。


「アハッハハ! バカじゃねーのコイツ。歯が折れているくせに笑ってよ。分かっている? 分かっている? アイドルが、こんな間抜け面してよ!」


「分かっているわけねーだろ? なぁ、ネモンに蹴られて歯がなくなっているけど、どうだ? 嬉しいか? 幸せか?」


 男の問いかけに、ネネコは笑顔で答える。


「はい! とっても嬉しいです! 最高に幸せです!」


 その答えに、男たちはさらに笑う。


「あー最高だ。バカみてぇ。今度は俺らにさせてくれよ、ネモン」


「そうだな。そういえばこの子、歌が自慢だったけ? 硫酸でも飲ませて喉を潰すか? どうだ? 硫酸飲みたいか?」


 男のおぞましい問いかけに、それでも笑顔でネネコは答えた。


「はい。飲みたいです」


 欠けた歯をニッコリと見せて、ネネコは笑っている。


「……これは」


「あ、起きた。待っていたよん」


 ネネコに何が起きているのか。

 目の前で起きている異様な光景に唖然としていたセイの背後から、男が話しかけてくる。

 セイはすぐにそちらを向いた。


「……アンタは」


「おはよう常春ちゃん。久しぶりだねぇ。会いたかったよん」


 ニチャっとした笑顔を向けているのは、ぶくぶくと太った男。

 カズタカだ。

 映画に出ていたのでここにいることは分かっていたが……会いたい顔ではない。


「あれ? お返事がないなぁ……どうしたの? ほら、『私も会いたかったですカズタカ様』って言ってみて?」


「……言うわけないでしょ? そんなこと」


 セイの当たり前の返答に、しかしカズタカは不思議そうに眉を寄せて。


「……あれ? ねぇ、常春ちゃんが言うこときかないんだけど、薬は打ってないの?」


 ネネコの前でニヤついていた男たちはカズタカの質問にウザそうに答える。


「あー何か薬を打つ前に地獄を見せたいってさ。先生と一緒に今は別の女の子たちのところに行ってるよ。てか起きたんなら連絡しないと……」


 男の一人が端末を操作する。


「あーそうなのか。どうしようかな。さすがに無断で手を出すわけにはいかないしなぁ」


 残念そうに肩を落とすカズタカを見ながら、セイはある予感を覚えていた。


(……薬? ネネコのあの状態。このデブもいて、まさか……)


 その予感は、当たっていた。

 ドアが開き、男が一人、入ってくる。


「お帰りなさい。早かったっすね」


 彼が入ってくると、ネモンと男二人、それにカズタカが背筋を伸ばした。


「ああ、ちょうど投薬を終えてタイミングも良かったからな」


「先生は?」


「あの人は俺が『幸せ』にした女の子で遊んでいるよ。それより、目が覚めたんだって?」


 男は、ふらふらと歩きながらセイに近づいてくる。

 黒縁のメガネに、白衣を着ているその姿。


「……ヤクマ」


「おはよう」


 ドラゴンに殺されたはずの薬馬幸太郎が、ニヤッと口角を上げた。


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