第224話 運が良いけど

「……先輩!」


 セイが安堵と喜びを込めてシンジを呼ぶ。

 その声に答えることなく、シンジは目の前にいるガオマロから目を離さないでいた。


「……運が良いっていっても、やっぱり限界があるみたいだな。水橋さんたちがお前の盗撮に気が付いたみたいに、何回も攻撃を仕掛けたらいつかは成功するだろうと思ったが……まさか、ここまでとはな。ギリギリ致命傷で済んだぜ」


 シンジが、一歩踏み出した。

 その足は、氷で出来ている。

 いつの間にか氷で義足を作っていたようだ。

 その足から周囲が凍り付き、ガオマロの周りをまるで檻のように覆ってしまう。


「本当は一撃で殺したかったが……どんだけ運が良いんだよ。ここまでやっても首にも胴体にも届かないなんてな」


 シンジがスッと腕を伸ばしてガオマロに短剣を向ける。その真下には槍に凍り付いているガオマロの手がプラプラと揺れていた。


「ひっ……ひっ……!」


 ガオマロはシンジが近づくのに合わせて後ずさろうとしたが、凍り付いてしまい、逃げ出すことは出来なかった。


「完全に氷で包囲した。脆くなっている床が抜けようが天井が落ちてこようが……バナナの皮があろうが関係ない。全部凍らせて固定してある。お前がいるその氷の檻は俺のテリトリーだ」


 ガオマロは、シンジを見る。

 刺さっている槍と、その穴を見る。

 シンジの胸に空いている穴は、心臓や肺など命に関わる臓器を全て破壊している。

 どう考えても即死。

 今まで、何人も殺してきた経験からガオマロはそう思っていた。

 なのに、シンジは生きている。

 生きて、近づいてくる。

 死鬼でもなく、明確な意志を持って、ガオマロを殺そうとしている。

 手を失った事と合わせて……ガオマロはこれまでにない恐怖を感じていた。


「く……っそ! 来い! 槍! グングニル! 戻って来い!」


「戻ってこいって……どうやって受け取るつもりだ? そんな状態で」


 シンジの指摘に、ガオマロは自分の手を見る。

 血は出ていないが、先には何も無い。

 何も掴めない。受け取れない。


「う……くっ……」


「武器は基本的に手で操る。その手を失って……なおかつその手が武器にくっついたままなら呼び戻せないだろうな」


 手元を離れて遠距離で操作出来る武器でも、基本的に手の動きは重要になる。

 ヤクマが、注射器を指や手で操っていたようにだ。

 手の動きも合わせて、イメージしないと上手く操れないのだ。

 もちろん、イメージのため、訓練すれば手を失っても槍を操る事は出来るだろう。

 だが、手を失って混乱している今のガオマロの精神状態では、どう足掻いても槍を戻すことは出来ないだろうし、戻した所でまともな攻撃は出来ないだろう。


「ついでに、凍らせて固定してあるしな。ヤクマの注射器も氷を砕かないと操作出来なかったみたいだぞ?」


 シンジは、自分の胸を指す。血液が凍って固まっていた。


「な、なんでお前は生きているんだよ! そんな怪我で! 死んだはずだろ!? 即死だろ!?」


「死ぬかと思ったけどな。実際意識は飛んでいたし。でも、この姿を見て分からないか?」


 シンジの全身に生えている鱗。羽、爪、牙。

 そして、大きく空いている胸の穴と槍。

 ガオマロはすぐに理解したようで目を大きく見開いた。


「まさか、お前もヤクマの薬を使ったのか? でも、あの薬を使っていたらすぐに傷は治って……」


「……ヤクマの薬は関係ないな。あんなのが無くてもドラゴンの力は取り込める。そして、ドラゴンは胸に穴が空いても動いていただろ?」


「……ドラゴン……穴?」


 シンジに問われたガオマロが顔をゆがめる。

 その顔は記憶に無いものを探そうとしているようで……シンジは目を細めた。


「お前、まさか覚えていないのか?」


 ガオマロは何も答えない。

 一瞬。別人がやったのか、という疑問がシンジの中に沸いたが、それは即座に打ち消した。


 体育館にいたドラゴンの親の傷は、シンジが今付けられている胸の傷とそっくりなのだ。

 そして、それは銀行にいた人の傷や、イソヤの傷とも似ている。

 おそらく、これはガオマロの癖なのだろう。


 相手に致命傷を与えるときは胸を……正確には心臓を、狙う。

 そんな癖があるのだろうと銀行にいた人達やイソヤ、それからドラゴンの親の傷から予想をつけたシンジは、ガオマロと戦うときはドラゴンの牙を使おうと決めていたのだ。

 ドラゴンになれば、胸に穴が空いても動けるから。

 総じて、は虫類とは生命力が高いモノである。

 首を切られても動き、人を襲った蛇の話などがあるほどだ。

 ましてや、ドラゴンともなれば、その生命力はすさまじいモノだろう。

 実際に、体育館にいたドラゴンは胸に穴が空き体が腐れていても動いていた。

 そんなドラゴンの生命力で、シンジは今動いている。

 シンジは、腐っていたドラゴンの事を思い出して……ドラゴンの事を覚えてもいないガオマロを見下ろす。


「……まぁ、覚えていなくても関係ないか。お前が死ぬ事に変わりはない」


 話している間に、シンジが作った氷の檻はさらに凍り付きガオマロの包囲をより強固なモノにしている。

 殺す事よりもガオマロの包囲を確かなモノにする事を優先したのは、どうせ、ガオマロを即死させる事は無理だとシンジは思っているからだ。

 確証はないが、イソヤやヤクマとの戦いからも、それはほぼ確信に変わっている。


 あとは、このままじわじわ凍らせてガオマロを殺すか、攻撃して少しでも早くガオマロを殺すかだが……このままじわじわ殺した方が安全なようにも思える。

 シンジは、両手に紅馬と蒼鹿を構えて、何が起きてもすぐに対応出来るようにした。


 すると、突然ガオマロは慌てたように凍り付いてはいない方の手を振り始めた。


「ちょ、ちょっと、待った。待った。タイム、タイム!」


 シンジの構えを見て、すぐに殺されると思ったようだ。


「なんだ? 命乞いか?」


「そ、そう、その通り。謝るから許してくれ。な?」


 ガオマロは、あっさりと謝った。


「お前……自分のしたことが分かっているのか?」


「分かっている。ごめんなさい。マジで悪かったと思っている。反省している。もうしません」


 軽々と述べられる謝罪の言葉は、反省の気持ちがまったくこもっていない。


「……ダメだな」


「何でだよー。ちょっと調子に乗っただけじゃん? な? こんな世界になったら少しハメを外したくなるだろ? な? 分かるだろ?」


 言いながら、ガオマロはなんと泣き出し始めた。


「死にたくねーよ。まだ遊び足りねーのに、なんで俺が死ななくちゃならねーんだよ。警察でも何でも行くからよー。見逃してくれよー」


 オンオンと声を出しながらガオマロが咽び泣く。

 その姿は見苦しいモノであったが……演技をしているようには思えない。

 本気で、ガオマロは泣いている。


「……ちっ!」


 シンジは舌打ちした。


(……こうきたか)


 今にも崩れようとしている床。

 落ちそうな天井。

 周囲に散らばる薬品の瓶やバナナの皮。

 ガオマロの命を救いそうなそれらは全てシンジの氷で封殺されている。

 何も打つ手は無い。

 このままじわじわと凍らされて死ぬだけだ。

 そんなガオマロの最後の手段。

 ガオマロの幸運が作り出した好機の時間。

 それが今のガオマロの涙だ。

 そして、それの効果は絶大だった。

 恥も何もなく泣きわめくガオマロに、シンジは確かに止まってしまったのだから。


「……先輩」


 セイがそっとシンジに話しかける。。


「私が、やりましょうか?」


「……いや、大丈夫。このまま俺がやる。このまま見逃していい奴じゃない」


 今ガオマロは泣いているが、決して心から反省しているわけではない。

 カズタカと違い、ガオマロはこんな世界になる前から人を殺してきたのだ。

 真っ当な人物だとは思えない。

 逃がせば同じ事をするだろうし、シンジ達を狙うだろう。

 それに、何より逃がせば次はどうなるか分からない。

 今は武器も何も使えなく出来ているが、どんな幸運がガオマロに起きるのか分からないのだ。

 ガオマロを救おうと氷の下で落ちていく床が、ガオマロの恐ろしさを語っている。


 シンジは、力強く短剣の柄を握りしめた。


「じゃあな」


 何もしなくても、ガオマロの『幸運』はこんな手を打ってくる。

 これ以上何か起きる前に、少しでも早く殺した方が良さそうだ。

 そう思い、シンジが剣を振り下ろそうとした、その時だった。

 強固に凍らせていたはずの天井が崩れて、何かが落ちてきた。

 その何かは、シンジとガオマロの間に降り立つ。


「……君は」


 降り立った何かは……今夏陽香(いまなつひろか)は、シンジを一瞥したあと、ガオマロに向き合った

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