第217話 『幸せ』が終わる

「……な、なぜだ? なぜ俺に……」


「お前の薬の効果が切れたんだよ。言っただろ? 治癒をするほど効果時間が短くなるって」


「く……なら!」


 ドラゴンの子供の背面に注射器が現れ、そのまま首に向かって飛んでいく。

 しかし、注射器はドラゴンの鱗に全て跳ね返されてしまった。


「だから、ドラゴンの鱗には注射器が刺さらないんだろ?」


「くっ……」


ヤクマは、胸にある穴の空いた鱗に向かって注射器を放つ。

だが、その注射器をドラゴンの子供は鼻息一つで吹き飛ばしてしまった。


「ぐぐぐ……ぁあああああ!」


 吹き飛ばされた注射器を見て、ヤクマは気合いを込めるように声を上げだした。

 ヤクマの体はすでにドラゴンのように変身している。

 その力はドラゴンと様々な魔物を組み合わせたモノで、振るった衝撃だけで壁などを破壊できるが……ドラゴンの子供の手をどけることは出来ないでいた。


「な、なぜだ? なんで……!?」


「牙に込められていた力を吸収したのかもな。よく見ろ、鱗の色が変わっているだろ?」


 シンジの指摘に、ヤクマはドラゴンの子供の鱗ををよく見てみる。

 確かに、ドラゴンの子供の鱗は、元々の夕日のようなオレンジ色でもなく、薬を投与した時の薄い黄色でもなく、白くて牙のように鋭い光沢を放つ鱗に変わっている。


「……もしくは怒りとかな。怒りでパワーアップとかよくあるだろ?」


「そんなご都合主義があるかぁ!」


 ヤクマは叫んでいるが、感情の起伏は行動に強く影響する。

 親と自分を痛めつけた相手に、普段以上の力を発揮しても不思議では無い。


「ぐぐぐ……」


「ドラァアアア」


 逃れるためにさらに力を込めるヤクマをドラゴンの子供はうなり声を出しながら握りしめていく。


「そもそも、怒りだと? なんでコイツが俺に怒るんだ? 俺は『幸せ』にしてやったはずだ。感謝はされても、怒りなんて……」


「ラァアアアア!!」


 そのとき、バキンと硬質な音が響く。

 何かが折れた音。

 ヤクマの体の、どこかの骨が折れた音。


 その音を聞いた瞬間。

 ヤクマは目を見開き、固まった。

 痛みで声を上げるような事はしない。

 痛みは、本人曰く『幸せ』に変わっているから。


 しかし骨を折られたという衝撃は、大きいようだ。

 ヤクマの動きは完全に止まってしまった。


「……ラァアア」


 ドラゴンの子供が羽を広げる。


「本当に『幸せ』にしていたと思うなら、確かめて見ろ。これから行く場所でな」


「……どこに行くんだ?」


「……地獄?」


 首を傾げながらシンジが答えた時。

 ドラゴンの子供が屋根を突き破り、ヤクマを抱えて飛び始めた。


「うぉおお!?」


 そして、数秒飛んだ後、ドラゴンの子供はヤクマをどこかにたたき落とす。


「うげぇ!?」


 たたき落とされたヤクマは、一緒に落ちてきた屋根のがれきをどけながら、上体を起こす。


「うぐうう……どこだここは……」


 見渡してみても、瓦礫の煙が待っていてよく見えない。

 薬の効果で折れた骨ももう元に戻っている。


 状況を把握しようとヤクマが立ち上がったそのとき。

 ヤクマの足首が何者か掴まれた。


「……お前は」


 自分の足首を掴んでいた者を見た瞬間。

 ヤクマの顔が強ばった。

 そこには、所々に鱗を生やした高校生くらいの女の子がいたからだ。

 元々は可愛い顔であったと思われるが生えている鱗が彼女の顔を醜く変えてしまっている。


「……ここは体育館か? お前たちは首輪でつないでいたはずだが……」


 ヤクマは、まるでゴミを退けるかのように足を掴んでいた女を蹴り飛ばす。


「こんな所に落としてどうするつもりだ? まぁいい。どうやらアイツ等は俺の手に余るみたいだ。ガオマロが帰ってくるまで適当に身を隠して……」


 また、女の子がヤクマの足を掴んでいた。

 再び足首を掴まれた事でヤクマの思考が遮られる。


「なんだ? しつこいぞ!」


 ヤクマは、今度は女の子の頭を踏みつける。


「お前も『幸せ』の効果が切れたのか? ……ちっ。薬を改良しないとな。だが、お前みたいな失敗作に薬を使ってやる暇はない。分かったらこの手をどけろ!」


 何度も女の子の頭を踏みつけながら、ヤクマは自分が苛立っていることに気がついた。


「……もしかして、そろそろ俺の薬も切れるのか? 骨も折れたしな……くそ。今度はもっと時間が長くて強力な……うお!?」


 ヤクマはバランスを崩して倒れてしまう。


「……なにが」


 倒れたヤクマが自分の腰あたりを見てみると、そこには高校生くらいの男の子がいた。

 その子も、女の子と同様、至るとこに鱗が醜く生えている。


「く……お前もか? メンドクサい」


 ヤクマは、右腕を上げて注射器を呼び出していく。


「『幸せ』にしてやるから、さっさと……!?」


 上げていたヤクマの右腕が下がる。

 今度は、中年くらいの、同じく鱗を生やした男性がヤクマの右腕にしがみついていた。


「なんでこんな……!?」


 偶然彼らの首輪が外れているにしてはおかしいとヤクマが思っていると、舞っていた瓦礫の煙が晴れ始めていた。


そして、ヤクマは気がついた。


自分の周りを囲うように、鱗を生やした人たちが……自分が使った実験体が、首輪も拘束具もなく立っていることに。


「く……だが、この程度の数……ん?」


 ポタリと、何か滴のようなモノが頭に落ちていきて、ヤクマはそれを拭う。

 それは少しヌルヌルしてた。

 そして、少しだけ臭い。


 その正体が何なのか。

 ヤクマは見上げて確かめてみた。


「……ああ」


 ヤクマの口から、言葉にならない声が出た。

 そこには、口を大きく開けたドラゴンの親子がいたからだ。

 ふいに、ヤクマの脳内にシンジの言葉が再生される。


 地獄という言葉と、命乞いをしてみろ、という言葉。


「……助けぇ……」


 ヤクマの命乞いは、ドラゴンの親の口に遮られた。

 手足には、鱗を生やした人たちが亡者のようにまとわりついてく。

 ヤクマが自分に打った薬の効果はまだ少しだけ残っている。

 そんな彼が『幸せ』かどうかは、確認しなくても分かるだろう。

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