第146話 耳掻きが終わる

(……こ、これは)


 やっている行動は、先ほどまでとまったく一緒のはずなのだが、セイは今まで以上に体をこわばらせて、慎重になっていた。

 すぐそこにはシンジの顔。

 しかも、こちらを向いている。

 幸いにも、シンジが目を閉じている為、目と目が合うような状況にはならないがそれでも、である。


 少しでも早く、この痛いほどの鼓動を静めたいと思ってはいるが、体は、思いとは裏腹に上手く動いてはくれない。

 想いとズレているからだろうか。

 どちらにしても、耳掻きはしたいのだが。


(うう……もうっ! やろう! やってしまおう!)


 何倍にも膨れ上がった気恥ずかしさをなんとかはねのけ、耳掻きを再開しようとしたセイ。


 そんなセイの耳に、音が聞こえた。


「スゥー」

 と、息を吸う音。


 その音を出しているのは、セイの艶やかな太股に頭を乗せている男、シンジ。


「ひぇっ!?」


 セイは、耳掻きをしようと前傾気味になっていた体を後方にそらす。


「な、何をするんですか!?」


 セイは、顔を真っ赤にして、叫ぶ。


「何って、呼吸をしただけなんだけど?」


 シンジは、目を閉じたまま、平然と答える。


「ぐぬぬぬ……」


 そんな平静なシンジの態度に怒りを覚えつつ、しかしセイの口からこれ以上抗議の声が出ない。

 呼吸をしただけ、とシンジは言ったが、顔をこちらに向けているシンジが息を吸ったのだ。

 そのシンジの顔の、鼻のすぐ前あるのは、セイの股だ。


 そんな場所で息を……いや、そんな場所の臭いを嗅がれたのだ。

 思春期真っ盛りの年代であるセイが、恥ずかしくない訳がない。


(うう……さっき、お風呂に入ったばっかりだし、臭くはない……よね? なんで先輩はこんな事ばっかり……)


「早くしてよー」


 そんなセイの心情を知っているのか、シンジはさらに煽るように言いながら、セイの太股に乗せている頭をグリグリと動かす。


「う、動かないでください!」


 セイは、動いているシンジの頭を抑えた。


「……あ」


 抑えた数瞬あと、セイは自分の失敗に気づく。

 その、抑えたタイミングは、ちょうどシンジの顔をセイ自身の股に押し付けるようなタイミングだったのだ。


「……良い匂いだね」


 そして、そのタイミングを待っていたかのような、シンジの発言。


「うわわわ!?」


 とっさに、セイは立ち上がって座っていたソファから距離を取る。

 シンジは、セイが立ち上がるときに跳ね上げられた頭を抑えつつ、セイの方を向いた。


「……どうしたの?」


「ど、どどどう、どど!?」


 恥ずかしさがピークとなり、セイの呂律は空回りし続ける。


(……うわ!? うわわわ? うああああああ?)


 心の中の声でさえ、パニックだ。

 臭くないか気にしていて、いざ良い匂いだと褒められると、パニクる。

 体臭とは、不思議なモノである。


 それから、しばらくその場でセイは落ち着くまで立っていた。

 嗅がれたくない場所の臭いを嗅がれた事。その臭いを、良い匂いだと言ってもらえた事。


 その事を整理して、臭いなど悪い評価が無かった事をよしとしつつ、その出来事そのものを無かった事にするのにセイは頭をフル回転させた。


 そして、何とか自身の記憶から先ほどの事を無かった事にしたセイは、再びソファに座る。


「……失礼しました。さぁ、もう片方も終わらせてしまいましょう」


 座ったセイは、努めて冷静を装っていた。


「……続けるんだ」


 そんなセイの顔を、意外そうにシンジは見ている。


「当然です。約束ですから」


 きっぱりと言い切ったセイの顔を見て、シンジは再びセイの太股に頭を乗せる。

 頭の向きは、変わらずにセイの方を向いたまま。

 セイがソファの逆側に座っていればこの向きになることは無かったのだが、そのことを、シンジは指摘しなかった。


 シンジが太股に頭を置いた途端、セイは素早く耳掻きをシンジの耳の穴に入れる。


「もう、入っていますからね。動かないでくださいよ」


「……はいはい」


「……あと、今の状況で、変な事しないでください。手元が狂ってしまうかもしれないので」


「はーい」


 シンジの適当な返事に呆れつつ、セイはようやくシンジの耳掻きを始める。

 慣れたからか、それとも、先ほどのあまりの恥ずかしさを覚えていて、早く耳掻きを終えたくなったのか、実にスムーズにセイはシンジの耳垢を取っていく。

 そして、ものの数分で、セイはシンジの耳掻きを終えてしまった。


「……ふう、これで終わりです」


 シンジの耳に残っていた細かい耳垢をウェットティッシュで拭いたセイは、ほっと息を吐く。

 達成感と安心感と、そして終わってしまった寂しさを少しだけ感じるセイ。


「……あれ?」


 だが、まだ寂しく無かった。


「あの、もう終わりましたけど」


 シンジの頭が、セイの太股の上に乗ったままだからだ。


「あの、どうされたんですか?」


「ちょっとね……」


 そう言って、シンジはそのまま目を閉じてセイの太股に頭を乗せている。


「え……っと」


 セイは、困惑した。

 正直、シンジに膝枕をするのは嫌ではない。

 暖かいし、シンジの短めの髪が心地良い刺激だし、気持ちがドキドキしながらも、安らかになるからだ。

 だが、今まで耳掻きをするという目的があったのに、それが無くなり、ただシンジを膝枕している状態になってしまうと、どうにも落ち着かなくなってしまう。


「あの、お疲れなんですか?」


 そのまま黙っていると、色々保たなくなってしまい、セイは当たり障りのない質問をしてしまう。


「いや、全然」


 だが、その質問もシンジの一言で終わってしまう。

 また、落ち着かない空気に戻されるセイ。

 困ったのでとりあえずシンジの顔を見てみると、彼も目を開き、セイを見ていた。


 見られた事を恥ずかしく思い、セイは目をそらす。

 だが、シンジはセイを見つめたままだった。

 痛いほどの視線を感じ、セイは恐る恐る視線を戻した。


 しっかりと、見られている。

 シンジは、無言で、ただセイを見ていた。


 その瞳を見て、セイは、動きを止めた。

 鼓動が、徐々に早くなっていく。

 だが、その音に騒がしさは一つも無かった。

 シンジの顔を見つめつつ、セイは待つことにした。

 信頼と期待を胸に秘めながら。


「よし」


 それから、数分経ったころ、シンジが動き始めた。

 セイの太股から頭を上げて、シンジは立ち上がる。


「……あの、もう」


「常春さん」


 合わせて立ち上がろうとしたセイを、シンジは止める。


「はい。なんでしょう……」


「ちょっと、両腕を上げてみて」


「こうですか?」


 シンジに言われたまま、素直にセイは手を上げる。


「もっと、ピンとして」


「はい」


 なぜ、シンジがこのような事をさせるのか分からなかったが、とりあえず言われたとおりセイは手を上げる。

 上までまっすぐ手を伸ばしたセイは、そこだけ見るとまるでラジオ体操をしているようでもある。


「そのまま、俺が『いいよ』というまで動かないでね」


 手を上げたままのセイの正面に、シンジは立つ。


「はい。分かりまし……ひゃいっ!?」


 突然、シンジは、がら空きになっているセイの脇を両手で持った。


「え……え? 何を?……ひえ!?


 セイの疑問に答えず、シンジは、そのままセイの脇をくすぐり始める。


「あ……あの、ひいっ!? ちょっと、これは……あひっ!?」


(な……なにこれぇ?)


 いきなり始まったシンジのくすぐりに、セイの困惑は止まらない。

 なぜ、シンジは急に自分のくすぐり始めたのか、意味が分からない。


「ひうん!?」


 脇の神経を、シンジの指が弾いた。

 反射的に、セイの手が脇を守ろうと下に戻ろうとする。


(だ……め!)


 その、自身の反射的な動きを、セイは自分の意志で止める。

 シンジは、言ったのだ。

『いいよ』というまで動くな、と。

 ならば、セイは言われたとおり、手を上げたままでいなくてはいけない。

 例え、その行動の意味が分からなくても。


(私は、先輩の言うとおり行動すればいいだけ)

「ひっひぇ!?」


 カリっと、シンジの爪がセイの脇をなぞった。

 服の上からでも伝わる強烈な刺激に、セイは過剰に反応してしまう。

 再び下がるろうとする腕。

 動脈を守るために発達した神経の反応に、セイは、両手をしっかり握りしめてなんとかあらがった。


 そんな、セイの両手を一瞥したあと、シンジはくすぐりを再開する。


「ひ……ひあっひひ!?」


 なすがまま、されるがまま、両手を握りしめたまま、セイはシンジに脇をくすぐられ続けた。





「う……あ……」


 それから、みっちり十五分。

 くすぐられ続けたセイは、声が枯れていた。

 目は虚ろで、どこか遠くを見ている。

 ただ、それでもセイの両手は自分の頭の上で強く握られていた。

 しっかりと、シンジの言いつけを守ったのだ。


 くすぐりを終えたシンジは、そんなセイに声をかけることなく、立ったままじっとセイを見ている。

 そのときのシンジの顔を、セイは見ていなかった。

 見ていれば、変わっていたかもしれないが。

 長時間のくすぐりで、セイはシンジの方を見る余裕が無かった。


「はぁ……う、あ……先輩?」


 薄くなっていたセイの意識が、次のシンジの行動で、覚醒していく。

 シンジはセイの右足のかかとを持っていた。

 ちなみに、セイの服装はメイド服だが、靴下などは履いていない。

 シンジが用意していなかったからだ。

 なので、セイは今、生足である。


(……まさか)


 次は、足をくすぐられる……そう覚悟したセイだったが、シンジは、そのままセイの右足のかかとを持ち上げた。


「きゃっ!?」


 かかとを上げられた事でバランスを崩したセイは、ソファの上に仰向けで転がされてしまう。


「なにを……あ」


 その状態が、どのようなモノか、セイは瞬時に察する。

 仰向けに転がり、足を持ち上げられ、必然的に開脚するような状態になってしまったセイは、パンツが丸見えになっている。


 お気に入りの、桜色のパンツ。

 光沢がかかっているそのパンツを見られ、セイは隠すために体を動かそうとしたが……


(……だめ!)


 シンジの、動くな、という言葉が再生され、セイは動きを止めてしまう。


(動いちゃ……だめ)


 まだ、シンジは『いいよ』と言っていない。

 だから、例え転がされ、開脚され、パンツが丸見えになっていても、セイは動いてはいけないのだ。

 そう、セイは決めている。


(どんなに恥ずかしくても、頑張らないと)


 そんなセイの頭の中を、色々な考えが回っていく。

 パンツを見られている事。

 そのパンツが汚れていないか。

『リーサイ』をかけたから、大丈夫なはずだが……


 だが、そんな考えと裏腹にシンジはセイのパンツはあまり見ていなかった。

 見ていたのは、持ち上げていた、セイの足。


「……あの」


 そのシンジの視線に、セイも気づいた。

 シンジは、真剣な目で持ち上げていたセイの生足を見ている。


 白く、傷一つ無い、セイの足。

 そのセイの足を、まるで芸術品を鑑定するような目でシンジは見つめている。

 その目は、かかとから、ふくらはぎを通り、そして、太股に向かっていく。


「う……」


 シンジに、自分の右足を見られているという事実に耐えきれなくなり、セイはシンジから目をそらした。


 その時だった。


「いっ!?」


 セイの右足の太股に鋭い痛みが走った。

 あまりの痛さに、セイは自分の太股に何が起きているのかを確認した。


「……先輩?」


 セイが見たのは、セイの右太股に噛みついている、シンジだった。

 シンジが、ちらりとセイの方を目で見る。


「あの、いった……い!?」


 セイの言葉を遮るように、シンジが、噛みついていた場所と、違う場所に噛みついた。

 新たに、セイの右太股に鋭い痛みが走っていく。


「ちょ……!? ひっ!? 痛っ! うああ!?」


 人の痛みを感じる場所を痛点というが、実は人体において痛点が多い場所の一つが太股である。

 噛まれた場所から血は出ていないが、それでも、そんな場所を噛まれているのだ。

 セイが感じている痛みは、相当なモノである。


「あ!? う……くぁっ!」


 だが、それでも、セイは両手は上げたままだった。

 痛みにあらがうような反射的な体の動きも自分の意志で押さえつけ、シンジが自分の太股に噛みつくのを邪魔しないように懸命に耐えていく。


 「はぁっう!?」

 しかし、声だけは抑えられない。

 シンジの噛みつきが終わるまで、セイは喘ぎ続けた。


 それから、また十五分。

 シンジの手がセイの足から離れた。


「あ……う……ああぁ?」


 十数カ所は噛まれただろうか。

 セイの真っ白だった太股に、赤い丸がいくつも出来ていた。


「う……うう」


 セイの目には、涙があふれている。

 でも、それをセイは拭こうとしなかった。

 両手は、しっかりと上に上げていないといけないからだ。


(……まだかな?)


 まだ、シンジからは『いいよ』と言われない。

 握りしめ続けていて、セイの手の感覚が無くなりつつある。

 いつまで、上げ続けないといけないのだろうか。

 セイは、待つことしか出来ない。


「……あっ!?」


 待っていたセイに、次の、刺激が走った。

 走った場所は、胸。

 セイの左胸をシンジの右手が触っている。


「あ、あの……」


 ぐにぐにと、シンジの手のひらでセイの胸の形が変わる。

 だが、痛くはない。

 そのシンジの手つきは、噛みつきの時とは全く違って、とても優しいモノだった。

 まるで、マッサージでもされているかのような感覚。


「ん! あ、……ふぅ」


 自然と、セイの口から、吐息が漏れた。

 カズタカに揉まれた時には、一度も出なかったモノだ。

 何度揉まれても、どれだけ力強くされても、こんな感覚は無かった。

 当然だろう。

 カズタカの時は、これほど気持ち良くは無かったのだから。

 揉んでいるのが、カズタカではないのだから。


「ん……あふっう……」


 漏れ出る声を、セイは抑えられなかった。

 シンジが、自分の胸を触っていると考えるだけで、とろけるような快感が止まることなく襲ってくる。


 このままでいたい。

 このまま、何も考えずに、ただこの感覚に身を任せていたい。

 このまま、自分の全てをシンジに、任せていたい。

 任せて、そのまま……

 そんな願いに、セイは溺れた。


 そんな、セイの願いが通じたのか、


(……あ)


 シンジの顔が、セイのすぐ目の前にあった。

 体温が感じるほど、湿り気さえ伝わるような距離に、二人はいる。


「先輩……このまま……」


 か細く、頼るように、願うように、セイはつぶやく。

 少し、理想と形は違うが、セイはこのまま、任せたかった。奪われたかった。


「いいよ」


 返事が、セイの耳元でささやかれた。


 その言葉は、とにかく優しくて、

「……はい」

 その答えが嬉しくて、セイはそのまま目を閉じ、待った。


 待ち望んだ、想い人からの……


「……あれ?」


 いつまで待っても、待ち望んだモノは来なかった。

 それどころか、揉まれていた胸の感覚も無くなっている。

 セイは、目を開ける。


「……先輩?」


 シンジは、いつの間にかセイから離れて、リビングの入り口にいた。

 シンジは、セイに背を向けている。


「あの……」


「そろそろ、増やそうか」


「え?」


 シンジは、セイの方を振り向いて、言った。


「パーティーのメンバー。友達を生き返らせてさ」


 そう言ったシンジの手には、二本の小瓶が握られていた。

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