第90話 セイが目覚める

 聞こえるのは波の音。

 広がるのは白い砂浜。

 たたずむのは、セパレートタイプの桜色の水着を身にまとっている美少女。


 常春(とこはる) 清(せい)


 この砂浜は、セイにとって思い出深い砂浜だ。


 この砂浜での出来事がセイの初恋をしっかりとした思いに変えたのだから。



 セイの家は、先祖代々続く伝統ある武道の家系である。

 その歴史は戦国時代にまで遡り、開祖である常春 清彩(とこはる せいさい)は、合戦の場においてまさに一騎当千の強さを誇った武人であり、『不逃の清彩(にげずのせいさい)』と呼ばれ、恐れられた。


 事実、彼は千の大群を前にしても一歩も引かず、弓だろうが鉄砲だろうがけっして逃げ出す事なく正々堂々戦い、敵を倒したそうだ。


 そんな清彩を一言で言うなら、欲がない人物であったそうだ。

 食事は質素倹約を心がけたようなモノをであり、立てた家は質実剛健。

 女性も、ただ一人。妻だけを愛し、浮気どころか他の女性がいるところに近づこうともしなかったそうだ。


 

 その清彩の考えは今の常春家にも受け継がれていた。

 質素倹約、質実剛健。

 セイもみだらな男女交際はふしだらな行為であると思っていた。。


 そんなセイが、彼女の祖父から意外な事実を告げられたのは高校1年生の夏休みが始まる一週間前の日だった。


 祖父が言ったのだ。


 『お前には許嫁がいるから、夏休みの間その小僧の家で生活してこい』と。



 許嫁。

 顔さえ知らない、生涯を添い遂げる予定の異性。

 その事実に、セイは動揺を隠せなかった。


 しかも、夏休みが始まる一週間後には、その許嫁の家で同棲をしなくてはいけないという。


 今までセイは祖父の言うことに素直に従っていたが、今回の件に関してはさすがに反発した。

 セイは、まだまだ武道の道を進みたいから異性の事など考えたくもない、と祖父にはっきり言ったのだ。


 だが、その願いはセイの祖父には届かなかった。


 『意見を通したいなら儂を倒していけ』と無茶ぶりをされ、実際に手も足も出ずに祖父にコテンパンに打ちのめされたセイは、家から逃げ出してしまった。


 あてもなく、セイは町をさまよった。

 家出などしたこともなく、準備もしてこなかったセイは、疲れて公園のベンチに座り込んだ。


 友人はいる。


 山中 優花(やまなか ゆうか)

 という、風紀委員をしている、真面目な子だ。


 セイと一緒に学級委員をしている、土屋 匡太(つちや きょうた)という、これも真面目な男の子の事が好きな、女の子。


 その関係で、セイはよくユウカに話しかけられ仲良くなったのだが、許嫁の相談が出来るほど、仲良くはない。


 いや、逆に仲の良い友人だからこそこのような事は話せない。


 途方に暮れている時、セイが偶然出会ったのがシシトだった。


 行動の一つ一つが、女子に対するセクハラになってしまう男、シシト。


 だが、不思議とシシトが女子に嫌われることは無かった。

 シシトがわざとそうしているのではないという事が、なんとなく分かるからだろう。


 実際に話してみると、少々頼りなく抜けた所もあるが、素直で、優しい人物であるという事も女子からの支持が高い理由の一つだ。


 学校一の美少女を彼女にし、モデルのような陸上部の少女と幼馴染であるシシトは、かなりモテる。


 セイも、この時にはすでにシシトの事を、意識し始めていた。

 祖父の言うことに反発したのも、実はシシトの事があったからなのだが……このときはまだセイはその事に気がついてはいなかった。


 そんなシシトが、セイの横に座る。

 疲れた様子のセイを見て心配したのだ。


 その優しさに。

 タイミングの良さに、セイは友人にさえ相談出来ない悩みをシシトに打ち明けた。


 許嫁がいること。

 その男の元へ、夏休みの間行かなくてはいけない事。


 そんな話を聞いたシシトは、怒りを露わにした。

 無理矢理、脅されるような形でロナと偽りの恋人に成らなくてはいけなかった自分と、セイを重ねてしまったのだ。


『許せない』


 そう言ったシシトは、セイの手を握り、セイの家に向かいそしてセイの祖父のところへ出向き、言った。


『他人が、人の恋愛を決めるなんて間違っています! 誰が誰を好きになるかは、自分が決める事です! 例え親でも、おじいちゃんでも、勝手に決めるなんて間違っています!』


 突然現れた、見知らぬ少年。


 その少年と、手を握り合っている自分の孫を見たセイの祖父は、驚きながらも事情を察した。


 元々、許嫁の話はセイに意中の相手がいないと思っていたから進められた話であった。

 なのでセイの祖父が認めた男と婚約させようと思っていたのだが……セイが自分で選んだ相手がいるなら、話は違ってくる。


 しかし、セイが連れてきた相手は武道などの経験がなさそうな、ごく普通の少年だった。


 さすがに、代々続く武道の家系の跡取りになるかもしれない者が軟弱な者では困る。

 そこで、セイの祖父は許嫁の元へ行くのをやめるために、シシトとセイにある条件を出した。


 それは、一週間、無人島で暮らすというモノだった。


 もちろん、ただ暮らすのではなく、その間に道場の門下生たちが妨害をしてくるのだ。それに耐えきる事が出来れば、許嫁の話を白紙にするという事になった。


 門下生たちの妨害は、なかなかに苛烈であった。


 初日の段階で用意してきた一週間分の食料が食い尽くされ、二日目には着替えをすべて奪われ、水着で生活しないといけないようになった。


 毎晩のように夜襲を仕掛けてくるし、無人島で採取した食料もすぐに襲いかかってきて奪っていく。


 そんな妨害に、日頃鍛えているセイはなんとか耐える事が出来たが、一般人であるシシトは、どんどん疲労がたまり、ついには、最終日に高熱を出して倒れてしまった。


 そんな、シシトが倒れてしまったのがセイが佇んでいる砂浜である。


 もう、あきらめよう、降参して、すぐに病院に行こうとセイは言ったが、シシトはそれを拒んだ。


 なぜ、シシトは自分のためにここまでしてくれるのか、セイは訪ねた。


 すると、シシトは、セイを『幸せにしたい』と言ったのだ。


『常春さんはしっかりしているから、きっと、素敵な人を自分で選べる。その人と、素敵な恋が出来る。幸せになれる。だから、俺はそれを応援したい。常春さんを幸せにしたい。俺なら大丈夫だから。だから、頑張ろう』


 こんな事を、高熱を出しながら砂浜で倒れているシシトがうわ言のようにつぶやくのだ。



 この時から、セイの初恋が、素敵な恋が、始まったのだ。


 なのに、なぜだろうか。


 今、セイがたたずむこの砂浜に、シシトはいない。

 どこにいるのだろうか。


 セイが当たりを見回すと、人影が見えた。

 その人は、一人でしっかりと歩いていた。


 セイは急いで、その人の所へ駆け寄る。

 その人の元へ、行かなくてはいけないと、本能が告げていたからだ。

 ゆっくりと、その人は歩いているのに、なぜかセイは近づけない。


 どんどん、距離が離れていく。

 どんなに、追いつこうとしても、どんどん、どんどん、遠くにその人は歩いていく。


 セイは、その人に向かって、声を振り絞り、呼び止めた。


 行かないで、と。


 すると、その人影は、立ち止まり、セイに向かって振り返った。



 その瞬間。

 何かに足を掴まれた。

 セイは足を掴んだモノを見る。

 人の手だ。

 セイは自分の足を掴んでいる人物の顔を確認する。

 それは、セイがよく知っている顔だった。

 それは、セイが大好きであった人物の顔。


「……シシトくん?」


 セイに名前を呼ばれたシシトは、ニコリと優しそうに笑って言う。


「常春さんの事は、俺が絶対に幸せにするから」


 その瞬間。砂浜が白く崩壊し、強い衝撃と共にセイの視界が黒に覆われた。




「がっはっ!?」


 強制的に、セイの肺から空気が吐き出される。

 何が起きたのか、セイは理解出来なかった。

 体中から生じる痛みに混乱しながら、セイは黒い視界をこじ開ける。


 目の前に、醜いイノシシがいた。


 不快しか感じない、汚い、臭い、牙が生えた、二足歩行のイノシシだ。

 

 そのイノシシは、セイの左手を右手で掴んでセイの体を持ち上げていた。


「ぶっひ!」


 イノシシは、うれしそうにそう鳴くと開いている左手でセイの鳩尾を殴る。


「ごあっ!?」


 再び、セイの空気が漏れた。

 また飛びそうになる意識をなんとか保って、セイは状況の把握につとめた。


 そして思い出していく、気を失うまでの情報。


 死鬼に変わったキョウタ。

 攻撃してきたユイ。


 魔物がひしめく中庭に落ちてしまった、自分。


 イノシシの化け物が手を放す。


 セイは地面に落ちる。

 そのセイに、イノシシの化け物がのしかかった。


「きゃあ!」


 イノシシの化け物が、セイの上着を掴み、乱暴に引き千切る。


「ぶぎぃいいいいい」


 イノシシの化け物が、叫ぶ。

 その声を聞いて、セイの女性としての本能が告げていた。


『ヤラレル』


 イノシシの化け物が、セイに手を伸ばす。

 セイは、とっさに近くに落ちていた物を右手で掴み、それを伸びてきたイノシシの化け物の左手に、ぶつける。


 すると、何か切れるような音が、セイの耳に聞こえてきた。

 遅れて、赤い液体が周囲に飛び散る。


「ぶぎぃいいいいいいいいいい」


 イノシシの化け物が、叫ぶ。

 先ほどの叫びとは違う、悲痛の叫び。


 イノシシの左腕を見てみると、先端の部分が赤に染まっていた。


 セイは起き上がり、自分の右手を見る。


 そこには、赤い液体がこびりついた短剣があった。


『ミスリルの短剣』


 壁や鉄さえ簡単に切り裂くことが出来る、刃物。


「あっ……」


 セイは、その短剣を見て、呆然としてしまう。

 イノシシの化け物は、イノシシのような顔をしていても、その体はまるで人間のような構造をしている。

 二足歩行をしているし、手も蹄ではなく、指が5本ある、人の手のようだ。

 そんな化け物の手を、切り落としてしまった。


「ぶがぎぃいいいいいいいいいいいいいいいい」



 イノシシの化け物が、切られていない右腕でセイに殴りかかってきた。

 セイはとっさに後ろに飛び、イノシシの化け物から距離を置く。


「ひっ、ぐっ、うっと……」


 セイは、混乱していた。


 人のような化け物の腕を切り落としてしまった。

 人の腕を、切ってしまった?


 そんな言葉が、脳内で暴れている。


「うばぁああああああああ」


「あうっ!?」


 その隙に、セイは押し倒された。


 押し倒してきたのは人。

 人だったモノ。


 角が生えた死体、死鬼。


 スーツを着ている男性の死鬼だ。

 年は30代半ばだろうか。

 学校の先生か、もしくは、学校の近くにいたサラリーマンか、それは分からないが。


「うがぁあううう!」


「きゃっ!?」


 死鬼が、セイに噛みついてきた。


 十代の美少女。

 健康な男性なら、食べたくもなるだろう。

 セイは、男性の死鬼の首を左手でつかみ、なんとか噛みつきを阻止した。


「こ……のっ!」


 一瞬、右手で死鬼を殴ろうとしたのを止め、セイは死鬼を蹴り飛ばす。


「うばぁあああ」


 そのまま、周囲の死鬼も巻き込んで男性の死鬼は飛んでいく。


「はぁっ……はぁっ……」


 セイは、肩で息をしながら立ち上がる。

 大した運動量ではないのだが。


「ぶぎゃいぁああああああ」


 起きあがったセイのすぐそばに、左手を切られた豚の化け物が立っていた。


「あっ」


 豚の化け物が、また殴りかかる。


「くっ!」


 セイは、先ほどと同じように後ろに飛ぶ。

 背中に、何かが当たった。


「おぐううぁああああ」


 男子生徒の、死鬼だ。


 男子生徒の死鬼は、セイを押し倒そうとはせず、そのままセイの首筋に向かって噛みついてきた。


「ひっ!?」


 セイは、身をよじりなんとか男子生徒の噛みつきを避けたのだが。


「ぐぎぎぃい」


 すぐそばに、また別の男子生徒の死鬼。

 セイの両肩をがっしりと掴み、セイの顔面に向かって口を大きく開ける。


「ひぅ!?」


 セイは、とっさに出掛かった右手を止め、左手で男子生徒の顔を殴り飛ばす。


「ぶげぇええいいいいいいいい」


 背後で、豚の化け物が殴りかかってくる。


 セイは横に飛び、その拳を避けたのだが、そこにも男子生徒の死鬼。

 セイは左手で殴る。


 その横にいた男性の死鬼も襲ってきた。

 セイは蹴り飛ばす。

 背後から、男子生徒の死鬼。

 殴る。

 横から男子生徒の死鬼。

 蹴る。

 上から、小さな猿と豚を合わせたような化け物。

 殴る。

 両サイドから、男子生徒の死鬼。

 両手で殴る。

 二足歩行の、犬のような化け物が、足に噛みついてきた。

 蹴る。

 豚の化け物が、しつこく殴ってくる。

 殴り返す。


 右手に、力が籠もる。


 セイの元へ魔物たちが群がってくる。


「ああああああああああああああああああああ」


 セイは、暴れた。

 手当たりしだいに、殴り、蹴る。


 襲われる前に、襲う。

 受け身はダメだ。


 受け身になった瞬間、喰い殺されるとセイは分かっていた。


 言葉が、まだ脳内で暴れていたのだが、セイは体も暴れさせることで、それを麻痺させることが出来ていた。


 いつの間にか、セイは蹴ることを止め、右手で、右手だけで、魔物たちを倒していく。


 右手には、肉など簡単に切り裂くことが出来る、過剰な暴力。


 抵抗は、ない。

 軽く、止まらず、セイは右手を体を動かし続ける事が出来た。


 どれくらい、時が経っただろうか。


 セイが暴れる事を止めた時、中庭に立っていたのセイだけだった。

 他に立っているモノはいない。

 数百は超える魔物たちは、死鬼たちは、全て血に変わっていた。


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