第89話 空気が弾けて混ざる

「空気だ」


 ハイソは、炎越しに語る。自分の予想を、シンジの『|笑えない空気(ブラックジョーク)』の能力を。


「君の『アーティファクト』の能力は、毒を発生させる能力じゃない。空気の中に有害な異物を混ぜる能力じゃない。空気、その物を操る能力だ」


 シンジは、ハイソの予想に何も答えない。


「最初に僕が意識を失ったのも、毒を吸い込んだからじゃない。逆だ。何も吸い込めなかったから、意識を失った。君は高い山の頂上みたいに、空気を薄くしていた。そして、君が速くなったのも、空気を操って体の動きをサポートしたから。確かに避けたはずの短剣が足に刺さっていたのも、君が空気の流れを操作して、短剣を遠距離操作したから。この炎も、空気を送って炎を強くしている」


 (……正解。まぁ、もうちょっと強力だけどな)


 シンジは、『|笑えない空気(ブラックジョーク)』をちらりと見る。

 ハイソは、シンジの『|笑えない空気(ブラックジョーク)の能力を、空気の流れを操作する能力だと思っていたようだが、実際のシンジの『|笑えない空気(ブラックジョーク)の能力は、空気を弾く、と言えるような能力である。


 弾くのは、空気そのモノだけではない。

 空気中の、特定の気体や水分などの成分を弾く事も出来る。


 そうする事で、たとえば酸素の無い空気を作り出す事や、逆に弾いた酸素だけを集める事も出来る。


 ハイソが気絶したのは、空気が薄くなったからではなく、シンジがハイソの周囲の空気から酸素を抜き出したからであり、その酸素は、炎の火力を上げるために使っていた。


 もちろん、こんな事をシンジはハイソに言うつもりはない。

 だから、黙ってシンジはハイソの話を聞いている。


「まぁでも意外というか、予想外というか。まさか他にも魔物を倒していたなんてね。勇者が戦わせたのかな? 君はクロちゃん……僕の配下のブラックテンタクル、黒い触手や死鬼しか倒していないと思っていたから騙されたよ。まぁ、それを卑怯だとか言うつもりは無いけど」


「……一つ、訂正させてもらうけど。この黒マントの素材はそのクロちゃんだぞ?」


 シンジは、正直に言う。


「……クロちゃんに、空気を操るなんて能力、無かったと思うけど」


 ハイソの疑問は当然だろう。

 黒い触手、ブラックテンタクルの能力は強力な酸を纏った触手による攻撃だ。


 だからこそ、ハイソは、シンジの『|笑えない空気(ブラックジョーク)』の能力が、ブラックテンタクルの酸から派生した毒を生み出す能力だと思っていたのだから。


「いや、黒い触手は空気を操っていたよ。……音が聞こえなかったからな」


「音?」


「ああ、黒い触手に攻撃された時、触手から音が聞こえなかった。音って空気の振動だろ? それを消すことが出来るって事は、空気の流れを変えることが出来るって事。つまり、空気を操作出来る」


 シンジの考えは、屁理屈に近い。


 だが、その理屈も筋道を立てるだけの根拠があれば、成立する。

 それが『アーティファクト』。


「……そういえば、そうだったね。クロちゃんを今回の襲撃の先鋒に選んだのは、静かに殺せる暗殺向きの魔物だったからって事を忘れていたよ」


 火柱の炎の勢いが弱くなり始めた。

 そろそろ、ハイソの『神盾』の効果が切れる頃である。


(……やっぱ、『神盾』の内部にまで影響は出せないみたいだな)


 平然と、会話を続けるハイソを見てシンジは思う。


 シンジも、ただハイソとの会話をしていた訳ではない。

 会話しながらも、ハイソの周辺にある空気の酸素を弾こうとしていた。


 だが、ハイソは意識を失うことなく、シンジと話している。


 シンジの『|笑えない空気(ブラックジョーク)』は、無効化されているという事だ。


(これが、『神盾』だから無効化されているのか、それとも、壁みたいなモノで遮られてもダメなのか。俺自身が確かめていないから分からないけど)


 ただ、打つ手が無い訳ではない。


 シンジは、会話をしながらハイソの周りの空気をドーム状に弾いて、隔離していた。


 二重に。


 密閉された空間では、火は燃え続ける事が出来ない。

 火の勢いが弱くなり始めたのは、実はシンジが原因だ。


 なぜ、このような事をしたのか。


 密閉された空間で火が燃え続けると、内部の酸素が不足し始め、不完全燃焼を起こし、一酸化炭素が発生する。


 そのとき、密閉された空間に酸素を入れると、一酸化炭素が酸素と急激に科学反応を起こし、爆発するように燃え広がる。


 バックドラフト現象、という現象である。


 それを、シンジは意図的に行おうとしていた。


 ハイソの周りの燃えている空間を、隔離して酸素不足にして、さらに内部に用意した高純度の酸素の空間を、ハイソの『神盾』の効果が終わると同時に解放する。


 発生した急激な燃焼は、ハイソの体を焼き尽くすだろう。


 それは、まるで見えない爆弾だ。


「さて、そろそろ『神盾』の効果が消える事だし、最後に、僕の『アーティファクト』を見せようか」


 酸素の空間を解放するタイミングを見極めようとしていたシンジに、突然ハイソは言い始めた。


(……『アーティファクト』?)


 ハイソは、持っていた杖を掲げる。


「見せるって言っても、もう持っているんだけど、これが僕の『アーティファクト』『|真摯な紳士(ジェントルマン)』能力は……」


 ハイソが、持っている杖を周辺を一回転するように振り回す。


 すると、まるで竜巻のような衝撃が周囲を襲い、燃え続けていた炎がすべて消えてしまった。

 シンジが作り出していた高純度の酸素も、散らばり霧散している。


「と、まぁ、こんな感じで、周囲の空間をかき混ぜ、破壊する能力。何か企んでいたみたいだけど、火が消えちゃったらそれも出来ないよね?」


 ハイソに、気づかれていたようである。


 シンジは、考えていた作戦が無駄に終わった事よりも、その杖の能力の方に意識を取られていた。


(前、教室で闘った時に瓦礫を一瞬で消したのは、杖の能力か)


 かき混ぜられた炎の様子を見るに、杖の先端の周囲にある空間半径一メートル程を、回転させながら粉砕する能力のようである。


(超強力なミキサーが、先端に付いていると思えばいいのか)


 そのミキサーの刃が、見えないのだが。


 とりあえず、窒息させればいいのだから、距離を置いて闘おうと決めたシンジにハイソは、杖の先端を向けた。


「……まさか、届くのか?」


 シンジとハイソの距離は、10メートルはある。


「いや、『| 真摯な紳士(ジェントルマン)』の破壊の範囲は、杖の先端から1メートルくらいだから、そこまでは届かないよ。けどね」


 ハイソは、杖の先端をシンジに向けたまま、体をひねり始めた。


「こうする……とっ!」


 ハイソは、勢いよくひねりを元に戻す。


 反射的に、シンジはその場を飛び退いた。


 元いた場所を、驚異的な何かが通り過ぎていく。


 その驚異は、そのままシンジの背後にあった学校の校舎に向かい、そして校舎の壁に人がすっぽり入れそうな大きな丸い穴を開けていた。



「うぇっ!?」



「『| 真摯な紳士(ジェントルマン)』は、実は仕込み杖でさ。こうやって、杖の先端を飛ばせば、遠距離攻撃ができる」


 ハイソの杖が、持ち手以外、白銀の刃に変わっていた。


「で、『召喚』」


 刃が、また漆黒の杖に戻った。


『召喚』で、飛ばした杖の先端を戻したのだろう。


「なるほど、弾切れの心配が無いなんて、さすが『紳士』だな」


 シンジがイヤミを言ったそのとき、ハイソの『神盾』が切れた。

 シンジは、ハイソの周辺の空気から、酸素を弾き出す。


 これで、ハイソが一呼吸でもすれば、シンジの勝ちだ。


「ちっ!」


 だが、その間に、ハイソはすでに体をひねり、『| 真摯な紳士(ジェントルマン)』を放っていた。


 見えない、広範囲の遠距離攻撃。


 シンジは、『『|笑えない空気(ブラックジョーク)』の能力を使い、周囲の空気を弾き、また、弾いた事で、真空状態になった空気が戻る力を使い、強制的に高速で体を動かし攻撃を避け続ける。


 その速度は、ハイソの攻撃を避け続けるには十分なモノであったが、しかし問題があった。


(痛ってええええ!)


 空気の力で、体を弾き飛ばすように動かすという事は、十分に綿を詰めたボクシンググローブをつけたプロボクサーに殴られ続けるようなモノであり、また、真空状態の空気に引かれ体を動かされるのは、強力なゴムで体を引っ張られるようなモノだ。


 それは、シンジの体に強烈な負荷を与えた。


(くそっ! まだ息が保つのかよ!)


 ハイソが呼吸する気配はない。


 人の呼吸は、鍛えれば数分間は止める事が出来るようになる。

 世界記録は、20分を超えるのだ。


 だが、それは環境を整え、リラックスした状態の場合だ。


 体を激しく動かし、緊迫した戦いの中では、そこまで息を止める事など出来ないはず。


 なのに、ハイソは涼しい顔をしたまま、シンジに攻撃し続けている。


「なんで呼吸しないのか、疑問みたいだね」


 そんなシンジの疑問に気づいたのか、ハイソは攻撃を続けながら、言う。


「簡単な事だよ。君が周囲の空気を操ってしまうなら、直接、空気を僕の中に召喚すればいい」


 そう言って、ハイソは自身の胸を親指で叩く。


「窒息を狙っているなら、それは無理だよ。残念でした」


 シンジの『|笑えない空気(ブラックジョーク)』は、空気を弾き出す能力だ。

 すでに体内にある空気の酸素を弾いたところで、意味はない。

 それに、一応シンジは言われてすぐに、ハイソの肺の中にある空気を弾こうとしてみたが、ハイソに別段変化はない。

 やはり、何か隔離された場所の空気に対して、シンジの『『|笑えない空気(ブラックジョーク)』は効果をなさないようである。


 シンジの背後で、ハイソに穴だらけにされた校舎が崩れ始めた。


「さて、どうする? 窒息が狙えないなら、そこに落ちている短剣を拾って、攻撃してみる? 接近戦をするなら、その剣を拾うまで攻撃しないであげるけど」


 ハイソはそう言うと、攻撃の手を止める。

 そして、まだ自身の足に刺さっていた蒼鹿を抜き、シンジの方に投げた。


「はぁ……はぁ……」


 肩で息をしながら、シンジはハイソの様子をうかがう。

 本当に、攻撃してこないようだ。


『戦士が戦いの場を整えようとしていたら、待つのが礼儀だ』

 という事なのだろう。


 シンジは、ハイソを警戒しながら、二本の短剣に近づく。


 正直、シンジにとって接近戦は分が悪い。


 先ほど、ハイソが窒息しかけていて、なおかつシンジが『『|笑えない空気(ブラックジョーク)』を使用していても、シンジはハイソの攻撃を避ける事しか出来なかったのだから。


 かといって、このまま攻撃を避け続けても、ハイソが窒息しないのならば意味はない。


 シンジは、ハイソの足を見る。

 もう、短剣が刺さっていた足の傷口は『自動治癒』の能力で塞がっていた。


 シンジは、蒼鹿を拾う。


 そして、紅馬も拾おうと身を屈めると同時に、シンジはハイソに向かって飛びかかった。


 奇襲。


 まともに闘っては分が悪いと判断した、シンジの苦肉の策。


 だが、ハイソまで7メートルは距離がある。


 いくら虚を突き、襲っても、ハイソならば十分対応出来る距離だ。


 通常ならば、だが。


 シンジは、『|笑えない空気(ブラックジョーク)』を発動し自身とハイソとの間にある空間の空気をはじき出し、それぞれの背後に追いやった。


 結果、空気の押す力と、真空の引き寄せる力が合わさり、一瞬のうちにシンジとハイソの距離が縮まる。

 その距離、1メートル。


 ハイソは、急に引き寄せられた事により、体勢を崩している。


 シンジは、力強く大地を踏み、蒼鹿をハイソの胸元に突き立てようとした。


 のだが。


「なぁっ!?」


 シンジは、倒れるように、大きくその身を傾けていた。

 シンジの左足の下の地面が、大きく窪んでいたからだ。


「地面を『召喚』したよ」


 そう言ったハイソの左手から、大量の土がこぼれ落ちていく。

 ハイソは、すでに体勢を整え、体をひねり終えていた。


「飛ばせ、『|笑えない空気(ブラックジョーク)』」


 迫る、死の回転。

 ハイソの杖が、シンジの腹部に直撃した。

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