第36話 セイが激怒

 セイは、『ミスリルの短剣』を構えながら男子生徒に少しずつ近づいていく。


「じゃう! じゃうう!」


 少しでも、セイを噛もうと、男子生徒は体全体をセイに向かって動かす。


「はっ……はっ……はっ……」


 呼吸が荒い。


「はぁぁぁ……はぁぁぁ」


「じゃうううううう」


 もう、短剣で切れる間合いに入った。


「じゅうじゃああああ」


「はぁあああ……! はぁああ……!」


 セイの呼吸がどんどん荒くなる。

 体を動かしていないはずなのに、やけに鼓動が速い。


 心臓の音が、脳の中から響いてくる。


「じゃっじゃっじゃあああああ」


 ガタガタと、セイの全身が震える。

 寒いわけではない。

 むしろ、熱い。

 体中の血液が叫んでいるようだ。


 生きている、と。


「やらないの?」


 後ろで見ていたシンジの言葉に、セイの体が一瞬宙に浮くほど過剰に反応する。


「知り合い?」


「ち、違います」


「あ、そう」


 シンジの声が、やけに冷たい。


 セイは、震えながら短剣を上段に構える。

 あとは、これを振り下ろせばいい。

 正確に、角に。


 シンジが教えてくれた。

 死鬼は、角が折れれば、死ぬと。

 そうすれば、彼の体はバラバラに崩れて消えて無くなる。


 ミチヤマのように。

 狙いをはずさないように、セイは男子生徒をしっかり見る。


「うじゃああうううあ」


 男子生徒は意味不明の叫びをあげている。

 目もうつろで、額には小さな角が生えている。

 おかしい、マトモではない。

 そう、彼は死んでいるのだ。

 生きていないのだ。


「じゃううう! じゃうううう!」


 顔を上に、下に、右に、左に、動かしている。


 氷の拘束を解いて、セイに食らいつきたいのだろう。


 死鬼の男子生徒は顔を動かし続けている。


 いや、顔だけじゃない。

 よく見れば、手も、足も、彼の全身が動いている。


 人が、動いている。

 動いている。動いている。

 動いている人は、



 生きている人。


「うっ……うっ……」


 セイは、短剣を手放す。

 回転しながら落ちた『ミスリルの短剣』は、音も立てずに廊下に刺さった。


 セイは、泣いていた。


「……どうしたの?」


 シンジから、声が聞こえてくる。


 しかし、その声は、冷たいままだ。


「……できません」


 セイは、震える体から声を絞り出す。


「はじめは、カフェにいるときは、倒すつもりでした。彼らが死体で、人を襲う化け物なら、私みたいな人を増やさない為にも、倒すべきだと…………」


 セイは、落ちるように座り込む。


「でも、出来ません! だって、動いているんですよ? 明らかに様子がおかしくても動いているんですよ? 動くなら、生きているって事じゃないんですか?」


 セイの涙が大きくなっていく。


「動いているなら、治す方法があるかもしれないじゃないですか! 今は無くても、これから見つかるかもしれないじゃないですか! なら、倒さなくても……」


「あるよ」


 シンジが、今までで一番冷たい口調で、言う。


「な……にが?」


 一瞬、セイはシンジが何を言ったか理解出来なかった。

 何が、あるのか。

 彼は、何に対して、あると言ったのか。


「死鬼を元の生きている状態に戻す方法。蘇生薬って薬を飲ませれば治るってさ」


「なっ!?」


 セイは立ち上がり、シンジの胸ぐらを掴む。


「……もう一度言ってください」


 セイは、シンジを睨む。


「……蘇生薬って薬があって、それを使えば死鬼は元の生きている人に戻る。死鬼は、手当不可能の死体じゃなくて、手当可能な死体って事」


 セイは、シンジの顔面を殴る。


「ッ……!」


 力がこもりすぎの、とても上手とは言えないセイの拳。

 シンジははっきりと見えていたが避けなかった。


 鼻から熱い感覚。

 鼻血が出ていた。

 シンジは、それを手で拭う。


「……なんですかそれ! なんでっ! なんでもっと! もっと早く言ってくれなかったんですか!? 私が、死鬼を、彼を、殺そうとする前に!」


「こうなると思ったから。常春さんは、死鬼を殺せないだろうって」


 殺せないなら殺さなくていい。


 セイは、もう一度シンジの顔を殴る。


「ッツウゥ!」


 セイの拳に、シンジの鼻血が付く。

 シンジがあえて避けていないことは、セイも分かっていた。

 しかしそれで済む話ではない。



「……渡してください」


 セイは、シンジの顔を見ずに手だけシンジの方に向ける。


「蘇生薬、彼らを治す薬、持っているんですよね? そんな事を知っているという事は持っているんですよね? 渡してください」


 セイの本音を言えば、持っていてほしい、だ。


 蘇生薬を持っていて、渡してくれれば、まだシンジの事を許せると思ったのだ。


「……持ってはいない。用意は出来るけど」


 未だ感情を見せない、シンジの冷たい言い方に苛立ちながら、セイは言う。


「用意出来るなら、すぐにしてください。そして私に渡してください!」


「渡して、どうするの?」


「皆を治すために使うに決まっているでしょ!?」


「……一つしかないのに?」


 セイは、シンジの顔を見る。

 血まみれだ。


「……違うな。正確には一つしか用意できない、だ」


「……どういう意味ですか?」


 シンジは、タブレットを起動し、回復薬を取り出す。


「ポイントの話はしたっけ? 死鬼を倒したり、現金と交換することでポイントっていう回復薬とかと交換できるやつがあるんだけど……」


 シンジは、回復薬を飲む。


「……にっが。……まぁそのポイントで、蘇生薬も交換出来る」


「……それで?」


「100万円」


 シンジは、タブレットからタオルと水を取り出し、濡らして顔を拭く。


「ポイントで言うと1万ポイント。それが蘇生薬の値段。ちなみに俺が今持っているポイントは、約1万9千ポイント。蘇生薬は一つしか交換出来ない」


「……じゃあ、その一つを私にください」


「誰に使うの?」


 シンジの問いにセイは止まる。


「一つしかない貴重な、貴重な蘇生薬。それを、誰に使うの? 皆って、あそこにいる、見知らぬ男子生徒?」


 シンジが指さした先にいるのは、先ほど、セイが殺せなかった死鬼の男子生徒だ。


「それとも、カフェにいる友達? もしくは……」


「生死不明の、大好きな男の子」


 セイは、シンジの顔面に蹴りを放つ。

 しかしその蹴りはシンジに受け止められた。


「……最っ低ですね」


 セイは、顔を真っ赤にしている。


「お前がな」


 シンジは、吐き捨てるように言う。


「私の、どこが……!」


「常春さんにも大切な人がいるように、俺にももし死んでいたら蘇生薬を使いたい人はいる」


 シンジは、捨てるようにセイの足を放す。


「両親、コタロウ……もしこの3人が、死鬼になっていたら、治すのに必要なポイントは3万ポイントだ。今のポイントじゃ全然足りない」


 シンジは、氷で拘束されている男子生徒に近づいていく。


「それに、1万ポイントあれば、この双剣のような強力な武器を手に入れる事も出来る。回復薬だって、ポイント。魔法もポイント。食料が無くなったら、食料にもポイントを使う。ポイントはいくらあっても足りない。足りなくなる。だから、俺は皆を治すなんて考えない。そんな余裕、俺にはない。それは決して『楽』じゃない」


 シンジは、掌底で死鬼の男子生徒の角を折る。


「あっ……!」


 角が折られた男子生徒は角を残して跡形もなく消えた。


「角が折られたたら、角だけになったら、もう蘇生薬でも生き返らせる事は出来ない」


 シンジは落ちた角を拾う。


「ここに来る前に言ったと思うけど、ここから先は自己責任。死鬼を殺すのも、殺されるのも。自由だ。カフェに帰るっていうなら、階段までは送っていくよ」


 シンジは、掌をセイに向けて階段を指した。

 そのシンジの言い方は、仕草は、まるで突き放すように、捨てるように、冷たかった。



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