第25話 壁ドンが響く

 一方、その頃。

 マオたちが死鬼を拘束しているすぐ上の、2階の渡り廊下を、こそこそと動いている者がいた。


「よし」


 こそこそと動いていた少年が、辺りを見渡し誰もいない事を確認する。

 渡り廊下の見張りを担当している同じクラスの男子には打ち合わせをして見逃してもらっている。


 校舎と、体育館をつなぐ渡り廊下を柄の長い箒を握りしめながら少年は歩く。



「……私の彼氏は、かわいい彼女を置いて、どこにいくのかしら?」


 少年の背後から、声が聞こえた。

 少年は慌てて振り向く。

 純金でさえ見劣りしそうな美しさの金髪を風になびかせている少女がそこにはいた。


 彼女の名前は、ロナ・R・モンマス。

 学校一の美少女。


「……散歩だよ。ちょっとブラブラしたくてな。一応、二階のオカシくなった人は、皆拘束したらしいし」


 彼の名前は、駕篭獅子斗。

 学校一の、モテ男。

 そして、ロナの彼氏。

 建前上、契約上、であるが。


「あら、そう。じゃあ、私も一緒に行ってもいいわよね?」



 ロナは自然に、そこが定位置であるかのようにシシトの横に立つ。


「……ダメだ」

「ダメよ」


 二人の否定の言葉が重なり、彼らは笑顔でにらみ合った。


「俺は一人で行きたいんだよ。すぐ戻るから、待ってってくれないかな?」

「すぐ戻るなら、一緒に行ってもいいでしょ? 私貴方の彼女なんだし」


「………………」

「………………」


 笑顔のまま、2人は止まる。


「おい」

「何よ」


「今、外がどれだけ危険か分かってるよな? 2階のおかしくなった人は、一応捕まえたけど、見逃している人がいるかもしれないし、外から入って来てるかもしれない。危険だって分かるよな?」


「そんな危険なところで、散歩しようとしているバカが目の前にいるけど、どうしたらいいと思う? ああ、バカにバカのこと聞いてもしょうがないわね。バカは死ななきゃ治らないっていうけど、アンタのバカは死んでも治らないから、自殺行為はやめたら? 無駄だから」


「………………」

「………………」


 笑顔と会話は止まったままだが、お互いの拳は震えている。

 ふぅ、とシシトは落ち着くために、深呼吸をする。


「……なぁ、頼む。行かせてくれ。絶対戻るから。約束したんだ。迎えに行かないと……」


「イヤよ」


 また否定の言葉。


「常春さんを迎えに行くんでしょ? なら、私も一緒に行く。常春さんが怪我をしているなら、一人より、二人で行った方が、絶対いい」


「……っ! ダメに決まってるだろ! あんな危ない場所に、ロナを連れていける訳ないだろ!」


「じゃあ、行かないでよ!」


 もう、笑顔ではない。


 お互いに。


「警察には通報したし、お父さんにも連絡した。ちょっと時間がかかっているけどもう少ししたら救助が来る。必ず来る……だからお願い。もう少し待ってよ? ね?」


 ロナはシシトの手を握る。


「けど……」


「水はあるんでしょ? ご飯も、飴があるなら、大丈夫。救助が来るまで持つはずよ。あと一日や二日くらいなら。常春さん、強いし。一人や二人ならおかしくなった人もやっつけれる!だから……」


「……百合野さんがいない」


 シシトの言葉にロナは再び止まる。


「百合野さんが、まだ見つかってない。携帯に連絡しても、つながらないんだ。水橋さんもダメだし……探さないと」


 ロナは、知っていた。

 シシトの本心はこちらなのだと。

 常春さんを迎えに行くのは建前で、本当は百合野さんを……彼が一番好きな人を、探しに生きたいのだとロナは知っていた。


「……ダメだよ」


 だからこそロナは止める。

 どこにいるのか分からない人物を捜すのは、今の学校では、今の状況では、自殺行為そのものだから。


 その止める理由が、ロナの本心でない事は彼女自身も気づいていた。

 ただ、それは思わないようにする。

 その本心は、あまりに汚く醜いモノのようであったから。


「百合野さんも、きっとシシトに危ないことをしてほしくないはずだよ」


 ロナは被せた。

 本心を。

 シシトの身を案じ、百合野の気持ちを組むという善意の衣で。

 ただ、まだ漏れそうだった。

 本心が、目から、顔から、口から、肺から。


 ロナは、シシトを抱きしめた。


 本心をごまかすため。

 ロナは漏れそうだった本心が収まって行くのを感じた。


 この行動こそが押さえきれない本心に動かされたモノであるのだが、ロナは自分をごまかし続ける。


「ロナ……」

「……一億よ」


「へ?」


「貴方が、私にしている借金。忘れたとは言わせないわ。入学早々、私が作った大切なメカを壊したこと。その借金を返すために、今貴方は私の彼氏をしてるのよ? もし、私を置いて、百合野さんを探しに行くのなら、すぐに一億円を返しなさい」


 ロナの本心は、一億円なんてどうでもよかった。


 しかしシシトはロナの本心に気づかない。


 彼は、ただ真面目だから。素直だから。愚直だから。

 シシトはロナを突き放す。


「……こんな時まで金かよ! このケチ金持ち! いい加減にしろ!」


 だから彼は彼女を罵倒する。

 表面だけの言葉だけをすくい取る。

 シシトの言葉にロナの心は傷つくが、引いてはダメだと自分に言い聞かせる。


「……そうよ。金よ!文句があるなら、さっさと一億円用意しなさいよ!このバカ貧乏!」


「バカでもないし、俺はそこまで貧乏でもねーよ! だいたい、生物なら俺の方が点数いいだろ!」


 悪口の言い合いそれは一見すると痴話喧嘩に見えた。


「…………ああ! もう! キリがない! もう俺は行くからな! こんな事で時間を使ってる場合じゃないんだよ!」


「ちょっと! 待ちなさいよ!」


「はい、二人ともストップ」


 シシトを止めるために、ロナがシシトの袖を掴んだとき、廊下の先に、女子生徒が立っていた。


「ユイ……」


 岡野ユイ。

 一年A組。

 シシトの幼なじみで、陸上部に所属している短めのショートヘアーが特徴の少女。

 長い手足に整った顔立ちの彼女は、ロナに負けず劣らずの人気を誇る美少女だ。


「もうさぁ……痴話喧嘩はやめてくんない?」


 からかうように、にししと笑いながら、ユイは二人に近づく。


「二人のアツアツラブラブっぷりを見てると、こう……壁を殴りたくなるよね?」


 シャドーボクシングのように空気を殴るユイの言葉に、シシトとロナは二人で「はぁ!?」と声を上げる。


「痴話喧嘩とかじゃねーよ」


「ア、アンタ、いつからそこに……?」


「まぁ、とりあえずさ。シシトは、食堂にもどりましょう」


 ユイはシシトの襟をつかみ、猫のようにシシトを引きづりながら、廊下を戻っていく。


「ちょっ! ユイ! 俺は行かないと……!」


「こんなカヨワイ女の子に引きずられる男が、どこに行けるのよ」


「お前のどこがカヨワイんだよ!」


 シシトはジタバタと抵抗するが、何の効果も発揮しない。

 ユイの方がシシトよりも強いのだ。腕力的にも、精神的にも。


「ちょっ……ユイ! いい加減にしろよ! お前は百合野さんや常春さんが心配じゃないのかよ!」


「心配よ。でもね、アンタが勝手な行動を取ると、いろいろ困るの……よっ!」


 ユイは、シシトの背中を蹴ってむりやり食堂の中に入れる。


「イタッ!」


「はい、連れてきたわよ」


 転がっているシシトを満足気に見下ろしているユイの言葉に反応したように、髪の長い小柄な少女が、シシトに跳びついた。


「おわ!? ……コトリ?」


「シシト……くん」


 絞り出したような声で、小柄な少女がつぶやく。

 彼女の名前は、引間 小鳥(ひきま ことり)。

 入学当初から、一度も学校に来なかった引きこもり。

 シシトの懸命な説得に応じて、二学期から学校に通うようになった、少女だ。


「コトリ……?」


「………………」


 コトリは、一言も発せず、小学生にしか見えない小さく華奢な体を、シシトにべったりとくっつけていた。

 ぐりぐりとシシトの胸板に顔を埋め、両手でぎゅっとシシトの体を包んでいる。


「……この子さぁ、アンタが居なくなってから、ずっと泣いていたんだよ?」


 ユイが、呆れたように、コトリと指さす。


 シシトが、コトリがいる食堂を離れて、10分も経っていないはずだ。

 それなのに、彼女は泣いた。恐怖した。

 それだけ、コトリはシシトに依存しているのだ。



「……アンタが、百合野さんを探しに行っても、見つけられないかもしれない。助けられないかもしれない」

 

 ユイが、悲しそうに、シシトを見る。


「けど、さ。アンタがここにいれば、確実に助かる人がいる。安心する人がいる……男として、アンタはどうする?」


 ユイの言葉に、シシトは何も反論出来ず、ただコトリの頭をなでた。











「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」








 また場所は変わり、ここは食堂の横。


 武道場。


 剣道や、柔道など、心身を鍛えるためのこの場所で、小声の気声が響く。

 そこには、胴着を着た男たちが、丸めた座布団を壁に設置し、一心不乱に正拳突きをしていた。



「セイ! セイ! セイ! 」


 彼らは、皆小声だ。

 しかし彼らの声には気持ちが、心がこもっている。

 彼らの心は一つだった。

 一心だった。

 彼らの共通する思いはただ一つ。


 「シシトが憎い! 憎い! 憎い!」


 あまりにリア充すぎる男、シシトに対する恨み、嫉み、嫉妬だ。

 

 彼らの名前は『壁ドン倶楽部』


 日夜、シシトたちが繰り広げるラブコメに対して溜まった思いを、壁ドンすることによって少しでも解消しようとする、実に平和的で紳士的で、虚しい倶楽部である。


「よし! 次はロナ様を慕う者たち!」


「応!」


 彼らは、元々、それぞれの美少女たちを追いかけていたファン倶楽部のメンバーであった。

 しかし、その美少女たちが、次々とシシトの魔の手にかかり、陥落していくうちに、それぞれのファン倶楽部が一つになっていったのだ。


 なんと、その会員数は、1000名を超える。


 他校にも会員のいるこの倶楽部は、市立女原高等学校の男子、約7割が会員という、無駄に規模の大きい倶楽部である。

 外をオカシくなった人に囲まれている現在、彼らは、武道場で、隣の食堂にいる女子たちに聞こえないように、壁を殴っている。

 音を立てず、壁を破壊しないように設置された座布団上から壁を殴り、彼らは青春の悲しい汗を流していた。


 ちなみに、今の所、会員以外の男子は、シシトと、マオの信奉者の男子生徒を除いて生き残りの中にいない。

 『壁ドン』に対する思いが、シシトに対する恨みが、彼らの生存力まで上げているのだろうか。


「お疲れ様です」


「ああ、リーダー。ありがとうございます」


 メガネをかけた男が、先程まで壁を殴っていた男、常春セイのファン倶楽部のメンバーに、タオルを差し出す。

 このメガネの男が、『壁ドン倶楽部』のリーダー。


 土屋 匡太(つちや きょうた)である。


「今日も、いい殴り音でしたね」


「いえ、リーダーほどでは」


 倶楽部の活動がばれないように、小声で話す。


「……ところで、『壁音の魔術師』ミチヤマ先輩は見つかりましたか?」


「いえ……残念ながら」


 声のトーンを落とし、セイのファン倶楽部の男が首を横に振った。


「ロナ! ロナ! ロナ!」


 倉庫に響く小さな声を聞きながら、彼らは会話を続ける。


「……そうですか。やはり、もう死……おかしくなった人に……」


 キョウタは、顔を曇らせる。


「……おそらくは……」


「ロゥナァ! ロウナァ!」


 ロナファン倶楽部の壁殴りが、サビの部分に突入している。


「彼の壁音には、心がこもっていました。その心は、僕たちの心に引き継がれていますよ」


「リーダー……っ!」


 セイのファン倶楽部の男が、目頭にタオルを当てる。


「……ところで、あの男はどうなりましたか?」


 キョウタは、メガネを上げながら、泣いている男に聞く。


「はい……向かっている途中でロナ様とユイ様にバレまして……その後、コトリさんに泣き疲れ、結局救出を断念したみたいです……」


「そうですか」


「ロウナァアアアアアアアア!」


 ロナファン倶楽部がフィナーレの壁ドンを鳴らす。

 学年一の美少女のファン倶楽部だけあり、そのフィナーレは、さすがに気迫がこもっていた。


「ロナファン倶楽部のみなさん、もう少し落ち着いて下さい。それでは、次は百合野 円さんのファン倶楽部の方」


 ロナファン倶楽部とマドカファン倶楽部のメンバーが入れ替わる。


「……しかし、リーダー」


「なにか?」


「なぜ、このような事を?」


 セイファン倶楽部の男が、怪しげにキョウタを見る。


「……一応、あの男。シシトは、小学校からの友人ですからね。常春さんを助けに行きたい気持ちは分かりますが、両者の気持ちをなるべく尊重してあげたいのですよ」


 キョウタの言葉に、セイファン倶楽部の男は、悔しそうに拳を握りしめる。


「……そうですね。セイ様は、自分たちよりも、シシトの奴から、救出される事を望んでおられる」


 キョウタは、セイファン倶楽部の男の握りしめられた拳の上に、手を置く。


「……悔しいですが、我々ファン倶楽部は、彼女たちが一番望むことを叶える為の組織です。結局、私たちに出来る事は、シシトのサポートになるのですよ」


 でも、とキョウタは一呼吸置く。


「それで、彼女たちが笑顔になるなら、それでいいじゃないですか。彼女たちが、幸せになるなら、それで良いじゃないですか。悔しさは、倶楽部で壁ドンに変えましょう」


 キョウタの暖かい言葉に、セイファン倶楽部の男は、さらに涙を流す。


「マドカ! マドカ! まほ……」


 マドカファン倶楽部の壁演奏の音が高まっていく。


 二人は、ただ黙ってその音色に耳を傾けていた。

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