第67話

 続けて股下から喉元まで、縦一直線に切れ目を入れていく――別に一度で完全に斬り裂かなくてもいいが、腹膜を破らない様に注意しなければならない。

 腹膜は内臓を包んでいる半透明の薄い膜で、肺を包む胸膜や心臓周りを包む心膜とともに漿膜と呼ばれる組織に分類される。内部に漿液と呼ばれる分泌液を供給し、内臓同士の摩擦を軽減したり細胞への栄養供給を行ったりしている。

 皮膚を切り裂くと、その下の分厚い皮下脂肪と鮮やかな色合いの筋肉があらわになる――腹部を切り裂いて切れ目が胸骨に達したら、今度は胸骨で刃を傷つけない様に注意しなければならない。

 解体作業時に鋸で骨を切断する猟師もいるが、罠猟師でもあった祖父から手解きを受けたライは基本的に鋸は使わない――骨同士は軟骨でつながっており、鋸で切断しなくても軟骨のつなぎ目を切ることで胸骨や肋骨ははずすことが出来る。胸骨にくっついた肉を削ぎ取って骨を露出させると、ライは胸骨と肋骨の間の軟骨をひとつひとつ斬り裂いていった。

 胸部を割り開いて腹膜や心膜、胸膜でひとまとめになった内臓を引っ張り出しにかかる――腹膜と腹筋の間に指を差し込む様にして腹膜を剥がしてゆくのだが、内臓を腹膜に包んだままでいるほうが肉に臭みがつきにくい。

 ある程度剥がれてくると、膀胱にも触れる様になる――内部に尿が溜まっていると取り出すときに尿が漏れて肉が使い物にならなくなるので、これも凧糸で縛るのがいい。

 凧糸に結束バンド、なにを使うかは人による――ただ天然物であればそのまままとめて埋却することも堆肥化することも出来るので、ライや祖父は凧糸を好んで使っていた。

 膀胱の周りを肉ごと切り取ると、直腸を内側に引き込める様になる――あとは剥がし残しの腹膜を剥ぎ取りながら、心臓や肺などもまとめて引きずり出して足元のコンテナの中へと落とせばいい。今になって喉の裂け目から大量に血が流れ出しているのは、止め刺しのときに突いた心臓から噴き出して内部に溜まっていた血だ。

 ライは手にしたナイフを見下ろして、べっとりとこびりついた脂の曇りに舌打ちを漏らした。皮下脂肪を切り裂くときにこびりついた脂だ――今回は作業がひと段落するまでが、皮剥ぎスキニングを始めたら到底持たないだろう。

 後始末はあとでいい――ライはナイフを作業台のそばに設置した物置の上に置くと、視線を転じて火に当たっていたガラの名を呼んだ。

 

   §


「――ガラ!」 グロテスクな内臓を足元のコンテナの中に落としたライが、大声でガラを呼ぶ――近づいてきたまだ若い兵士とともに、ライは猪を地面に降ろした。手早く前後の肢を左右で括り、竹を通して担ぎ上げる。

 ふたりはそのまま担いだ猪の死骸を野営地の門から敷地外へと運び出すと、川のほうへと歩いていった。

 川べりの部分には安全に水中に降りられる様、木製の短い階段が設けてある――ライは自分だけ川に降りると、中腰になって腹の前で竹の一端をかかえる様にして支えているガラに何事か声をかけた。

 ガラが体の前で両手で支えていた竹を放り出す様にして放し、ざばんと音を立てて猪と竹が水中へと落下する――ライはいったん竹を抜き取り、それでとりあえず用が済んだからか、ガラに竹を渡してなにやら指示を出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る