第65話

「蝋燭?」 不破康太郎が鸚鵡返しに尋ね返してくるのに、ライは小さくうなずいた。

こうステアリン酸といってな――融点の高い動物性脂肪を芯に纏わりつかせた蝋燭は、味はともかく食べられる。『トム・ソーヤーの冒険The Adventures of Tom Sawyer』を知ってるか? あれの終盤で洞窟の中に閉じ込められたインディアン・ジョーは食糧が無くて餓死した状態で見つかったが、蝋燭を食べた跡が残ってるという記述があった――『トム・ソーヤーの冒険The Adventures of Tom Sawyer』は一八七六年の作品だ。当時はまだ獣脂や蜜蝋の蝋燭が主流でな、だからまあ、食べられないことはない。ただ産業革命後でパラフィン蝋燭も出回り始めた時期だから、著者のマーク・トウェインが食べられるものと認識して獣脂の蝋燭を食べさせたのか、それとも本当に極限の飢餓から錯乱したインディアン・ジョーに食べられないパラフィン蝋燭を食べさせたのかと言われたらなんとも言えんがな――まあ当時手に入ったものでも鯨蝋げいろうはヒトの消化器官で消化出来ないから、天然由来の蝋燭ならなんでも食べられるわけじゃないが」

「鯨蝋?」 ライの言葉にまたもや鸚鵡返しにしてくる不破康太郎に、

「マッコウクジラの脳油、正確には脳油から油分を分離した残存物のことだ――江戸時代末期にペリーが率いるアメリカの船団が来日して江戸幕府と日米和親条約、ついで日米修好通商条約を締結したが、理由を知ってるか?」

「……開国した事実じゃなくて、の理由か?」 尋ね返され、ライはああとうなずいてみせた。

 アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の代将であるマシュー・カルブレイス・ペリーが旗艦サスケハナ号をはじめとする艦船四隻を率いて日本に来航したのは嘉永六年、一八五三年のことだ。『泰平の 眠りをさます じょうせん たったはいで 夜も寝られず』――江戸時代末期に詠まれた有名な狂歌だが、日本の開国のきっかけになったこの一大事件については知っていても、を学校で教わる者はさほど多くはないだろう。

「否、知らない――どうしてだ?」

「鯨蝋は西洋で石鹸や高級蝋燭の材料、工業用潤滑油として利用されてて、当時マッコウクジラはアメリカ人による乱獲の対象になってた。連中はアメリカ近海のマッコウクジラを狩り尽くしたから、日本近海への遠征捕鯨を計画してたのさ――日本に開国を迫ってきたのは、日本を燃料になる薪などの物資の補給基地に利用するためだ」

 鯨蝋、つまりマッコウクジラの脳油をはじめとするげいは照明用燃料や高級蝋燭の原料、石鹸や洗剤、機械用潤滑油のほかニトログリセリンの原料としてダイナマイトの生産に用いられた――特に寒冷地における機械用潤滑油としては鯨蝋は代替品が無く、このために二十世紀後半まで需要があったという。

 アメリカ人は北米近海の鯨を乱獲で絶滅させ、太平洋西部でマッコウクジラの目撃情報があったのを頼りに日本近海に進出してきたのだ。余談ではあるが、片足を白い鯨モビィディックに喰いちぎられたことを逆恨みした捕鯨船の船長エイハブの――不当な――復讐を描いたハーマン・メルヴィルの長編小説『白鯨Moby-Dick; or, The White Whale』における捕鯨の舞台も日本近海である。

 アメリカ人は鯨肉を食する食習慣を持たず、また油を搾る以外の用途を見いだしていなかったため、大量の鯨の死骸が油を搾っては海中に投棄された。

「……なに? 日本てそんなのの子孫に捕鯨とかイルカ漁に難癖つけられてるのか」

「そうだ。自国近海の鯨を絶滅させてわざわざよその領海を荒らしに来た連中の子孫が、善人面して反捕鯨を訴えたりどっかの入り江でわざとらしく泣き真似して映画作ったりしてるんだ――そんなことしてる暇があるなら油だけ搾って棄てた鯨の遺骨を海底からサルベージして土下座でもしてればいいものを、自分の祖先の所業を成層圏より高い棚に上げて自分勝手な感情論だけでわめき立ててるあたり、あの手の連中は実にくだらん」

 白鯨モビィディックだっていい迷惑だろうよ――吐き棄てる様にそう言ってから、ライはちょっと考えて話を元に戻した。

「本来なら一晩くらいは水に浸けたまま放っておきたいが――今は食い扶持が多いからな。作業を前倒しするしかないだろうな。皮剥ぎくらいまでは持っていきたい」

「剥いだ皮はどうするんだ?」

「せっかく灰を取ってあるからな、灰を擦り込んで保存して持ち帰る――民間にはパピルスみたいな紙が流通してるが、文書や書籍を中心に皮紙ひしも使われてる。注文が頻繁にあるわけじゃないが皮紙の生産組合を顧客に持ってるんでな、売れるのさ」

「内臓は?」

「家に帰れば腸を利用することも出来るが、ここじゃ無理だ――肝臓も使うつもりは無いしな」 と、返事をしておく――ライが畜産業者の出身であることを知っている不破康太郎からすれば、まあ妥当な発想だと言えるだろうか。

 腸を利用するというのはソーセージの話だ――かつての日本農業規格ではケーシングに使用した腸の由来の動物によって名称を定義していたが、現在では人工のケーシングを利用した製品が増えたために原料ではなく太さで定義している。

 天然腸を使用した場合は動物の種類ごとに牛腸を使用したボロニア、豚の腸を使用したフランクフルト、羊や山羊の腸を使用したウィンナーと名称が変わるのだが、まあここで作業するぶんにはどうでもいい――強いてどれかと言われれば、豚の原種である猪の腸を用いたソーセージはフランクフルトに定義されるべきだろう。それはともかく挽肉を詰めるケーシングとして腸を利用するには内部の糞を完全に取り除かねばならず、その作業がここでは難しいのだ。

 肝臓も食用にはなる――無論原始人以下の衛生観念しか持ち合わせていない下手物喰いがよくやる様なレバ刺しなどというのは、文字通り狂気の沙汰だが(※)。

 心臓も食べられるが、なんにせよ下処理に時間がかかるので今回はそのつもりは無い。

「そうか――ところで、服を乾かさないのか?」 不破康太郎の質問に、ライは自分の下半身を見下ろした。

「どうせまた濡れる――それが済んでからでいい」 ライはそう返事をして、ほぼ出血の止まった猪の内臓を抜き取る作業に取りかかった。


※……

 牛の肝臓のレバ刺しも理解出来ないけど、それが禁止されたから今度は豚のレバ刺しを食べ始めたと聞いて、作者は彼らの正気を疑いました。否、牛のレバ刺しの時点で疑ってたけど。豚なんて肉だって寄生虫ヤバいと言われてるのに、内臓の生食とかなにをかいわんやというところですね。なぜ素直に安全とされてる馬のレバーに行かないのか。

 実際やめろって言われてるのにもかかわらず生レバー食べた人たちが次から次へと風に煽られた立て看板みたいにバタバタ死んでるのに、それでも喰ってる奴らは正直信じがたいものがあります。自己責任とか言っても、連中のとれる責任なんてたかが知れてますし。

 わかってて出してる奴らはまあどうでもいいけど、加熱用のつもりで出したレバーを客が勝手に生食したり、肉屋で買った加熱用レバーを家で生で食べて死んだら、やっぱりそれを売った店にだって警察来たり風評被害で悪評が立ったりするでしょうからね。事情を知らないまま騒ぎ立てて炎上させる奴らだっているでしょうし。

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