第64話

 ついでに言うと、綱引きの様に水平に引っ張るのと違って人間が体重で高い位置から伸びるロープを引き下ろすのはいささかやりづらい――低い位置であれば踏ん張りが効くが、高い位置ではそうならないからだ。地面にもうひとつ滑車を設置する手もあるが、重量に負けて持ち上がってくる可能性があるので今の段階ではそれは考えていない――重量負けしない滑車を設置するには作業台と逆方向に頭を向けて支柱を斜めに設置する必要があるのだが、強度を考えると十分な長さが必要で、それを地面に設置するには埋めるしかない。そして長い丸太を地面に斜めに埋めるには、掘り返すのにかなりの作業量が必要だ。

 そんなことを考えながら、ライはロープを引っ張り――横で見ていたガラが参加してきたので、一気に楽になったが――、その先端の折り返し部分をカラビナに引っかけた。

 ふたりぶんの体重に負けて、猪の巨体が持ち上がる――ライはロープの端末同士が届いたところでロープの端末の折り返し部分と巨樹から伸びるロープの先端に取りつけたカラビナを引っかけた。

「よし、緩めてくれ」 その指示に、ガラがロープにかけていた体重を徐々に抜いていく――ロープが完全に張ったところで手を離し、ふたりは軽く手を打ち合わせた。

 ロープの先端には鋼板の端材でこしらえた三角形の自在鉄具――キャンプなどでペグにかけた張り綱ガイロープの長さを調整するのに使うあれだ――がつけてあり、獲物の大きさに合わせて余長を調整出来る様になっている。獲物を吊り上げるのが目的なので、さほど自由度は必要無いのだが――今は前回の猪狩りからそのままなので、特にあらためて調整したりはしなかった。

 続いて樹脂製のコンテナの蓋を開け、蓋は作業台の丸太に適当に立てかける。

 空のコンテナを猪の真下に持ってくると、ライはズボンのポケットから取り出した小さなナイフの刃をその喉元にあてがった。

 そのまま手にしたナイフの刃を水平に引いて、猪の気道と頸動脈を引き裂く。無論、すでに事切れているので気道を切り裂くことに意味は無いが――ナイフで心臓に穴を開けてあるので、噴き出す血には勢いが無い。ばちゃばちゃと音を立ててコンテナの中へと血がしたたり落ちている光景を無表情に眺めながら、ライはナイフを腰のベルトからぶら下がっているカイデックスシースに納めてポケットに戻した。

「でかいな――これで何キロくらいあるんだ?」 かたわらに歩み寄ってきた不破康太郎が、そんな質問を口にする。ライはそちらに視線を向けて、

「百五十キロくらいだろう――時間はかかるが、まあ数日ぶんの食糧はまかなえる」

「どうするんだ?」

「血が抜けたら内臓を取って水に浸ける――毛皮についた泥を落とし、蚤や虱を取り除いて肉を冷やす。皮を剥いで精肉出来るのはそのあとだ」

 ライはそう返事をしてからちょっと考えて、

「まあ、なんだ――脂身が食べられるのはここでだけだな。燻すには脂身を取り除かなくちゃならん。あとは蝋燭にでもするさ」

 その返事に、不破康太郎が猪から視線をはずしてライに目を向けた。

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