第37話

 視線を転じると、ライが壁際に置いた蝋燭もだいぶ短くなっていた――もうほとんど持たないだろう。リーシャ・エルフィも眠気を感じているのか、目がとろんとしている。

「殿下もお休みください。とうに日付が変わって久しい時間のはずです」 ガズマがそう声をかける――ライが言うには、エルンの一日はライの世界より四分の一ほど長いらしい。具体的には彼の世界の一日を二十四等分にした場合に、エルンは三十ほどだ――ライが同じ基準で以て比較したので、たとえば基準となる最小単位の長さが違うだとか、そういう基準の差異は無い。エルンの一日は、単純にライの世界の一日よりも長いのだ。

 だが人間の体力的な活動時間は、向こうもこちらもさほど変わらない――日付が変わって久しい夜中というのは、普通であればとうに寝入って数時間も経っている時間帯なのだ。

「ですが――」

勇者の弓シーヴァ・リューライが申す通り、明日も移動です。我々も体力を温存せねばなりません――どうか、姫様もお休みください」

 ガズマのその言葉に、リーシャ・エルフィが小さくうなずく。

「……では、先に休ませていただきますね。貴方がたも無理はせずに」

「はっ」 ガズマが一礼するのに合わせて一礼し、ガラはきびすを返した。

 

   §

 

 どこかで鳥が鳴いている。物音が聞こえるのは、近くで夜行性の獣が狩りをしているのだ。

 入れ方が悪かったのか、煮沸消毒を終えた医療資材を納めたナイロンポーチを入れた雑嚢が落ち着かない。

 もぞもぞと身じろぎしたとき、すぐそばで焚いた篝火がばちりと音を立てて火の粉を散らし――もともとは乗客の誰かの持ち物だった大型のトラベルバッグの上に毛皮を一枚敷いて腰を下ろしていたライは、目を閉じたまま音も無く右手を伸ばした。

 右手の指先が、右足の脛に括りつけたナイフのグリップに触れる。

「ライ」 聞き慣れた声で呼びかけられて、ライは目を開けた。機体の横を通って姿を見せた見慣れた褐色の肌の少女が、ちょっと笑いながらかたわらに立っている。最後に見たときと同じ様に太刀の鞘は体からはずしたまま、太刀緒を乱雑に鞘に巻きつけて左手で持っている。

「リーシャ・エルフィはどうした」

「さっき寝ちゃったよ――だいぶ夜更かししてたし、仕方無いけど」

「否、そうじゃなくて――」 彼女の身辺の守りを任せたつもりでいたのに勝手に離れたことを咎めているのだが――ライの言葉の意味はわかっているのだろう、メルヴィアは大丈夫だという様に適当に手を振った。

「兵隊さんがユーコン・ストーヴの前にいるし、ここだって五秒あれば駆けつけられるんだから平気だよ」 それは確かだ。同意の言葉を胸中でつぶやいて、ライはあらためてメルヴィアを観察した。最後に見たときと違うのは、

「――外套はどうした」

 メルヴィアは今、ここへ来るのに羽織っていた白い外套を着ていない――そのため胸部を守る最低限の胸甲冑ブレスト・プレートと、常々やめるべきだと言い聞かせている肌着同然の衣装しか身に着けていない。褐色の肌とのコントラストで目立つ白っぽい色合いの服装は踊り子なら普通なのかもしれないが、ライとしてはどうにも好きになれない――ちまたを歩いていると、露出の多い恰好をした彼女に対する好奇や好色の視線を向けてくることが多い。それが気に入らないのがいとしい娘に色目を使う連中に対する独占欲でしかないのは、自覚しているつもりだが。

「お姫様が横になったからさ、上かけ代わりに貸しちゃった。ほかの兵隊さんたち、みんな土塗りたくってたからね」 しれっとした返答に、ライは小さく嘆息した。手を伸ばしてメルヴィアの腕を軽く掴み、

「鳥膚が立ってるじゃないか――代わりに君が風邪をひいたらどうする」 年間を通して気温が氷点下に下がることの無いエルンではあるが、深夜はそれなりに冷える――昼間も長いが夜も長いので、昼間と夜間で気温差が大きいのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る