第29話

 現場をその目で見たわけでもなく、ああだこうだと文句をつけるだけなら誰にでも出来る――それこそ偉そうに講釈を垂れるしか芸の無い歴史家どもにでも。そりゃあいくらでも好き勝手に言えるだろう――今まさに息絶えようとしている幼い我が子にすがりつく母親の姿も、飢えと病にさいなまれながら刻一刻と死に近づいている我が子になにも出来ない父親の姿も、その目で見てはいないのだから。

 原因も知れない様々な病気という名の真綿でじわじわ首を絞められながら、飢餓に苦しんで死んでゆく子供たち。それをなにも出来ないまま、ただ見届けるしか出来ない大人たち。そんな光景が延々続くのが正しいというのなら、そんなものは糞喰らえだ。

 あとは彼の技術を教えてもらえればとは思うが――

 ライがと呼ぶ空を見るだけで現在位置がわかるあの技術、あれは是非とも憶えたいところではある。あれは兵士でなくとも、旅人リューク猟師ディヴァーであれば絶対に役に立つ――つまるところアーランド南部に専業の狩人がひとりもおらずライの独占状態になっているのは、狩り場になっているこの樹海が広すぎて迷子になったら帰れないからだ。

 文航法モンコウホウ――ライはそう呼ぶのだが、要は目印を探してそれを頼りに行動するのがエルンでは一般的だ。そのためエルンの住民が狩猟を行おうとしても、行動範囲はかなり狭くなる。

 たとえば高台の上は常に風が吹き、また木々もほとんど無いので乾燥していたが、樹海の只中であれば地面は軟らかく足跡が残る――だが、林縁に近づいてしまうと空気と地面が乾燥し日当たりもよくなって下草や芝の様な短い雑草が生え、足跡はほとんど残らなくなる。ライが言うには樹木の密集度合いが比較的まばらで日が射す場所も多く、そういった場所ではやはり足跡が残らなかったり、枯れ草に覆われて自分の痕跡が見つけられなくなる――つまり樹海、あるいはそれ以外の普通の森であっても場所によっては足跡が残らず、したがって自分がどちらから来たのかもわからない。ライの様な訓練を受けた男であれば下草のちょっとした状態から自分の移動の痕跡を判断出来るのだろうが、エルンにはそんな技術も無い。

 それらしい特徴のある目印を見定められればいいのだが、それが無い場合は常に森の切れ目から離れず、つまりあまり深くまで踏み込まずに森と平野の境界線が常に見えている範囲だけで行動しなければならないのだ。樹海の中ではほぼ空が見えないので、大雑把な方向を確認することすら出来ない――深入りしすぎて遭難すれば、そのまま森から出られずに死んでしまうことさえある。

 ライが天文航法テンモンコウホウと呼ぶの技術は、地文航法とはまったく違う。

 空に浮かぶ星、月、太陽――それらの位置関係を一目見ただけで、ライは現在位置を正確に読み取る。アーランドの兵士たちは周囲に目印になるものを探して位置評定を行わなければならず、そのため樹海の様に一回転すればまともに方角もわからなくなる様な場所では活動出来ない。

 それに対し、ライはちょっと空の開けた場所で頭上を見上げるだけで自分がどこにいるかを正確に把握出来る――道具を使わなくても、星がいくつか見えれば方角もわかるという。地図に書き込む様な正確な測量には道具がいるだろうが、彼我の位置関係を確認する程度ならばただ空を見上げるだけで十分らしい。

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