第28話

「まあ、転機になったのは俺たちもだよな」 かたわらを歩くミトロの言葉に、ガラは小さくうなずいた――ライが現れなければ、ガラの故郷の農村は今でも貧困に喘いでいただろう。

 ライ本人に言わせると、ガラの村をはじめエルンの農産に干渉したのが正しいことだったかはわからないらしいが――

 ライの民族をはじめ、彼の故郷の人間たちもかつては貧困に喘いでいた。彼らは治水を行ってより耕作しやすい環境を作り上げ、品種改良を繰り返し、より実り多い種、味の良い種の作物を作り出してきたのだ。

 今はそうでなくとも、ガラたちエルンの住民もいずれはそうする様になるだろう。カランを飼い慣らしなんらかのきっかけで乳製品を作り出し、作物をより病気に強く実り多く味も良くなる様品種改良も行うだろう。

 遅いか早いか、あるいはすでにそうなっているかなっていないかの違いだけで、エルンだっていずれはそうなる。ライがと呼ぶものが存在せず、したがって彼がと呼ぶ物がエルンでは決して作り出せない様に――多少方向性が違ったとしても、エルンだってライの世界と同様に紆余曲折を経て高度な文明を手に入れるのだ。それが何千年後のことかはわからないが。

 ライがやったことは悪く言えば、ガラたちエルンの住民に自分の世界から持ち込んだはるかに先に進んだ農作物を撒き散らしたということだ――ライの世界の人間たちが自力で成し遂げた進歩や、あるいは発見を彼らがみずからの手で成し遂げる機会を閉ざしたということだ。

 ガラはそれでよかったのだと思う。長期的にみればライの言う通りかもしれないが――誰も足を踏み入れたことの無い土地、そこに棲む誰の目にも触れていない動植物、いまだつまびらかになっていない世界のことわり、この世界の未知の驚異がなにもかも失われたわけではないのだから。

 あるいは遠い未来、歴史家たちはライの干渉を悪であると断じるかもしれない――ライ自身がそう言った様に。世界の在り方をゆがめたと批難し、傲慢にも歴史を変えたのだと謗るかもしれない。

 だがどうせ五十年そこそこしか生きられないガラにとっては、そんなものはどうでもいい――あと残り三十年弱の人生は彼のおかげで多少豊かに過ごせる様になったのだから、それで十分だ。

 少なくとも彼の干渉によって、慢性的な飢饉に喘ぐ人々は少しずつではあるが減りつつある。葉野菜が潤沢に供給されることによって壊血病が、特にホウレン草が提供されることで貧血が、豆や芋などが豊富に食卓に上ることで脚気が、乳やチーズなどの乳製品の摂取で骨粗鬆症や幼児の痀瘻くる病が、その他の食事の不足や偏りに起因する様々な疾病が、彼の登場によってガラの村では無縁のものになった。

 間違い無く、彼はガラの村の人々を貧困と病から救ったのだ。

 それをどこぞの偉ぶった歴史家ごときの戯言で、間違いだったことにされて許せるものか――それは今生きているガラたちに対して、『おまえたちは飢えと疫病で死んでいればよかった』と告げているのと同義だからだ。物事の客観視が大事であることを否定はしないが、学者どもの雑言では腹も膨れないし食糧事情だって回復しない――救いの手を差し伸べてくれたのはあの年若い異邦人であって、ガラたちがみんな死んだあとで勝手に歴史に値札をつけて喜んでいる史家ではない。

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