第49話
曲刀であるのもそれが理由だ――刀身の刃をつける側だけを集中的に加熱するという焼き入れの手順の関係上、彼らの手にした曲刀は刀身の片側、反りの外側だけがマルテンサイト化している。オーステナイト鋼組織が急冷によってマルテンサイト化する際には金属組織が膨張するのだが、部分焼き入れされた刀身はエッジになる側だけが部分的にマルテンサイト化する。このために硬化と同時に起こる組織の膨張が均等にならず、熱を持つと一方に反り返るバイメタルの様に片側に向かって反るのだ。この構造上、アーランドの軍用の刀剣は基本的に片刃で反りのある曲刀だ――反りの大小は焼き入れ前の刀身の形状によって多少変わるのだが。
対して、今手にしているこの剣にはそういった部分焼き入れの熱処理がされていない。刀身が反らずにまっすぐになっているのは部分焼き入れによる部分的な組織のマルテンサイト化、それによる刀身全体の組織の不均等な膨張が起こっていないからだ――まあこの剣に関して言えば、そもそもそれ以前にちゃんと焼き入れされているかがまず怪しいが。
アーランドやその近隣諸国では庶民の帯剣が許されておらず、流通も厳しく規制されているので、剣は正規の手段では庶民の手に入らない――軍用品が優先されているというのもあるが、そもそも民間には刀剣の様な長い刃物を製作する職人がいない。ひと目見ただけで
軍用刀剣を生産する鉱都ハーシーンを除いて、民間の鍛冶師には良質の鋼鉄はほとんど出回らない――民間の農具鍛冶などに出回るのは比較的低品質の鋼で、また量が抑えられている。領主の方針によっては、必要な量に細かくカットした状態で供給されることもある――そうすることで庖丁なり農具なりよりも部材の量が必要になる長剣や大型の斧、槍などの
帯剣が禁じられているから売り物にもならず、民間の鍛冶師の大半は農具以外では作業用の鉈や斧、鎌、包丁や短剣くらいしか経験が無い。こんなに長い剣など作り慣れていないから巧く作れず、焼き入れの火加減もわからないのだろう。
まあ斬り合いをするわけでなし、どうにかなるか――
断面形状が円形に近い手だまりの悪い柄に顔を顰めながら、刃筋が立つ様に柄を握り直す――別にこれから三ツ胴斬りを試みるわけでなし、出来の悪い
ライはふたりの兵士に視線を向けて、
「下階層にいた奴は窓側から矢で撃ったから、上階層を調べてみる――援護を頼む」
「わかった」 ふたりがうなずくのを確認して、ライは入り口から兵舎の中へと足を踏み入れた。
煙幕の煤で真っ黒になった室内の空気は、予想通り酷い悪臭が漂っている――この中で死んだふりしてる奴は、アカデミー主演賞もんだな。
そういや俺、アレを触っちゃったよ。胸中でつぶやいて、ライはげんなりと溜め息をついた。
まず下階層へつながる通路を覗き込んで、誰もいないことだけ確認する――階段室から下階層の居室へ通じる入り口から手だけ見えているのは、先ほど矢を撃ち込んだ屍のものだ。死んだふりをしていたのだとしても、股間から頭部へと垂直に矢を射込まれたのではまず助かるまい――頭部まで鏃が届いているかどうかはわからないが、腸にいくつかの重要臓器に肺、角度によっては心臓も射抜かれることになるのだ。
念のために入り口から室内を覗き込んでほかに敵がいないことを確認してから、ライは上階層へと足を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます