第22話

 そして彼の背負った矢筒には、十分な量の矢が納まっている。というよりも射撃戦の直後には見えない――矢筒から矢を一本も取り出していない様に見える。彼の弓はカタンという独特の発射音がするもので、その音は先ほどから何度も聞こえてきていた――つまり彼が射撃を行うか、少なくとも射撃戦力のひとりとして戦闘に参加していたのは間違い無い。

 にもかかわらず矢が減っていないということは、彼が軍用の矢を使って射撃を行っていたことを示唆している――つまり自前の矢があるにもかかわらず、わざわざ別に軍用の既製品を用意したのだ。察するに回収出来ないか、あるいは回収したくないか、もしくはなにかの理由で回収するつもりが無いのかもしれない。

 毒かなにか、回収したくなくなる様なものでもつけているのだろうか? 毒なら洗い流せばいいだけの気もするが。でなければなんらかの偽装工作――

 残念ながら、あまりゆっくりと考えている暇も無かった――斜面を駆け降りてきた賊が、どたどたという足音とともにリーシャ・エルフィの投獄された牢屋に近づいてきたからだ。

「おらぁ、出ろ!」 牢屋の格子扉をガチャガチャと揺すりながら、賊が大声をあげる――施錠されていることも忘れているのか、賊は苛立たしげに格子扉を蹴り飛ばして、

「出ろっつってるだろうが!」

「――それは無理なんじゃない?」 どこかからかう様な、軽やかな声音。次の瞬間射し込む月明かりを照り返しながら振り下ろされた白刃が、輝く軌跡を虚空に刻む。

 次の瞬間鉄格子を掴んでいた手を下膊のなかばから切断されて、賊の口から凄絶な悲鳴が迸る。

「――ッぎゃぁあぁああぁあぁあ!」

「――鍵も開けずに扉が開くなら、牢屋の役に立たないじゃない」 胸部を守る装甲以外は防具らしいものは一切身に着けず、胸元と腰回りを隠すだけの露出の多い衣装を身に着けた褐色の肌の少女が、そんなことを言いながら手にした長剣にピュンと音を立てて血振りを呉れる。

 健康的な色香あふれる姿に不釣り合いな実用一辺倒の黒い柄を備えた、手元に近い位置で大きく反った白銀の刀身を持つ曲刀だ――勇者の弓シーヴァ・リューライの言葉を借りるならタチというらしく、彼が樹海で発見した彼の祖国の武者の亡骸から回収したものだそうだ。

 刃の厚みがこの世界で作られる長剣の半分しかないタチの刃はいかにも鋭そうで、表面に美しい文様の浮かび上がった白銀の刀身が篝火の光を照り返して絶え間無く揺らぐ橙に染まっている。彼女は無事な手の掌を傷口に蓋の様にかぶせて鏡の様に滑らかな切り口から噴き出す血を止めようと無駄な努力をしている賊の姿を見下ろしてかすかに目を細め、一歩後退して距離を取った。

 勇者の剣シーヴァ・ディーメルヴィア――王国の記録に残っている限り、王国の住民と接触したふたりめの漂流者ガンシューだ。

 勇者の弓シーヴァ・リューライの仕事上の相棒でもあるが恋人でもあり、ここ数年来行動を共にしていることは知っている――といっても勇者の弓シーヴァ・リューライ本人と違って実際に会ったのは一度だけ、挨拶以上の会話もしたことが無いので、それ以外で知っていることはさほど多くない。

 リーシャ・エルフィが知っているのは彼女が勇者の弓シーヴァ・リューライ同様に漂流者であることと、もうひとつ――とんでもなく腕のつ剣士であることだけだ。

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