第42話

 

   *

 

 多少川幅が広くなり、流れが緩やかになったところで、ライは片手を挙げた。

「全員止まれ」 と、日本語で声をかける。背後を振り返って行軍を停止した者たちに、ライは日本語とエルンの言葉でそれぞれ同じ内容で休憩を指示した。

「ただし立ったままでな――水辺に上がったりはするな」

 いい加減肢が冷えてきたのだろう、ひたすら歩いていることに不満げな様子でシャラがいななきを漏らす――宥める様に首筋を撫でてやりながら、ライは頭上を振り仰いだ。

「今日一日でどれくらい進む予定なんだ?」 かたわらの若者――不破康次郎の兄が、そんな問いを投げてくる。ライは視線だけそちらに向けて、

「今日一日で着ければそれに越したことはないがな――まあ無理なのはわかってる。行進速度は遅めでいいから、今日中に三十キロほど先にある別の野営地にたどり着きたい」

 指揮官ライはそう返事をしてから列の後方に視線を投げ、日本語で声をかけた。

「足を傷めたりした者はいないか」

「センセがひーひー言ってるけど、それだけだ」 学生たちの誰かが、そんな返事を返してきたので、

「革靴は場合によっては脱いでおいたほうがいいと思うぞ――アッパー、特に足入れ口の周りが固い靴はくるぶしの皮が剥けたりするからな」 と、忠告しておく。

「えらい実感こもってるな」

「高校の入学式のときに、えらい目に遭ってな」 思い出したくなかったので、不破の言葉にそれだけ答えておく。

 革靴の足入れ口が硬いとくるぶしの皮が剥けてえらい目に遭うのだが、まああの教師は大丈夫だろう――生徒同様私服だったし、革靴も履いていなかった。

 兵士たちには特になにも聞かなかった――この程度の行軍で音をあげる者たちでもないし、体調に問題があれば自分から言うだろう。そもそもたった二、三キロの行軍で音をあげる様なら、王室親衛隊ロイヤルガードは務まらない。

「おまえは?」 と、かたわらの不破に問いかける――ライの知る不破康次郎の兄であるのなら本来は自分よりいくつか年上のはずだが、実年齢では上回ってしまったので別にへりくだる必要もあるまい。

「大丈夫だ」 そう答えてきたので、ライは小さくうなずいた。

「さっきの話の続きだが」

「ん?」

「おまえたちがこれからどうするにせよ、まずは言葉を憶えろ。言葉がわからないと苦労する――難易度としては英語とそう変わらない。文明レベルが低いぶん、小難しい成句や熟語のたぐいもそれほど多くないしな」

 その忠告に、不破が小さくうなずく。

「そのあとどうするのかは、俺にはなんとも言えん――俺におまえたちの行く末に口を出す資格は無いからな。仕事を探すのか、それとも帰る方法を探して旅でもするのか――はっきり言えるのは、言葉がわからなけりゃなにも出来ん。本気で帰還の方法を探すつもりなら、期待を込めて資金援助くらいはしてやるがな」

「雇われだと、具体的にどんな働き口がある?」 ライはその質問にちょっと考えて、

「手紙や荷物を届ける運び屋のたぐいは、いつでも人手不足だ――つまり損耗ロスが多いということでもあるから、護身の技能が無い人間には務まらん。おまえたちの場合、最大の問題は国境を越えて荷物を運ぶことが出来ないことだな」

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