第38話

 この世界には、月がみっつある。

 共通する特徴として、エルンの月はほとんど動かない――ライたちが今いるこの天体にみっつある月はそれぞれ角度のばらつきはあるものの、すべて地球の月と違って東西ではなく南北に動く。つまり地軸と平行、エルンと呼ばれるこの天体の自転方向に対して直角に近い角度で公転しているのだ。

 公転周期が二十七日七時間の地球の月が一晩で昇り沈むのは、地球の自転方向と平行に動いているからだ――対して自転方向とは直角に近い角度で動くエルンの月は、三百六十度を公転周期で日割りにしたぶんだけしか公転方向に動かない。例えば二十七日周期で公転する赤い月マァル・レッセは、一日かけて十三度ちょっとしか動かない――エルトフラン山脈の向こうに見える魔物の月マァル・シャーイがそうである様に位置関係を相対的に確認出来る背景オブジェクトが無ければ、ぱっと見では動いたことにさえ気づかないだろう。自転方向に対しては、エルンの天体の自転によるコリオリの力で見かけ上動いて見える。

 北西の山脈の稜線から姿を現した赤い月マァル・レッセはアーランドの位置からだと北西から南東へ、エルトフラン山脈の向こうに沈みつつある魔物の月マァル・シャーイは北から昇って南へと沈む形で公転している。

 残る青い月マァル・フーフは、ほぼ南南東から北北西へと動いている。数時間前に中天に昇っていた青い月マァル・フーフは、一日にエルンを二周するという出鱈目に速い公転速度のためにすでに中天から落ちて沈み始めていた。

 いずれも公転軌道の直径が違うらしく、たがいに接触する様なことは無いらしい――それぞれ公転速度も公転周期も異なるためにみっつの月が同時に中天に昇ることは滅多に無いのだが、代わりに太陽が二個あることも相俟って新月になることもまず無い。二方向から照らし出されているために、たいていはどちらかの光が入るからだ。月明かりが完全に失われるのは赤い月マァル・レッセ魔物の月マァル・シャーイが沈み、青い月マァル・フーフも沈んでいる間だけだ――ただし一日で主星の周りを二周する青い月マァル・フーフが夜にも昼にも二回ずつ姿を見せるので、悪天候で空が曇っていなければ一晩中月が出ていない夜というのも無い。

 つまり空が晴れている限り、真っ暗な夜になることはまず無いということだが――今夜の場合は間の悪いことに赤い月マァル・レッセ青い月マァル・フーフの両方が満月で、魔物の月マァル・シャーイも輝いている。月明かりの下へ出るのは、昼間の日向に出るのとさして変わり無い。

 ――

 山砦から百メートルそこそこの疎林の中に腰を落ち着けて、ライはベルト周りのケースの中から単眼鏡モノキュラーを取り出した。濃いグリーンやオリーヴ色、赤茶などの斑点を散らした迷彩模様に着色されたマグネシウム製の筺体を備えたコンパクトな単眼鏡で、SIGHTRON M728と印字されている。

 サイトロンという日本のメーカー製の、高倍率のミリタリー向け単眼鏡だ――レンズにミルスケールがプリントされており、それを利用して対象物までの距離などを正確に計測することが出来る。

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