第6話

 そして右手に保持していた矢は。

 コンパウンド・ボウにつがえて使用する矢はすでに撃ち尽くしてしまったのかあるいは役に立たないのか、彼が手にしているのはアーチェリーで使用する様な軽金属ジュラルミン繊維強化樹脂ファイバープラスティックなどの人工素材シンセティック・マテリアルを加工して作られたものではなく、竹を削り出して作られたものだった。

 矢羽は鷹の羽根、大型の鏃は黒耀石オブシディアンを打ち割って作った打製石器だ。鏃本体を矢柄の尖端を割った裂け目にはさみ込む様にして留めてあり、矢柄の先端部分は鏃をはさみ込んで拡がったことによる空気抵抗を抑えるためだろう、テーパー状に削り込まれていた。

 矢柄の後端部分には動物の角を加工して作ったものらしいはずが嵌め込まれている。

 矢柄の後端部分には弦を引っかけるために凹型、もしくはV型の溝が加工される――この溝のことを筈と呼ぶのだが、矢柄に直接加工せずに溝を刻んだ別部品を装着することもあり、この場合はその部品を筈と呼ぶ。張力の強い強弓に矢柄の素材を直接加工して筈を作った矢をつがえると、弓を引いたときに矢柄が繊維に沿って裂けることがある――そのため金属や動物の角を加工して作ったプラグ、あるいはキャップ状の部品を嵌め込むことで、矢柄の裂けを防止するのだ。

 先端に近い細い部分を加工して作ったものらしい筈は、――加工する必要を感じなかったからかそのままになっている模様から察するに――鹿角スタッグから作られているらしかった。

 おそらくそれまでは外套の下で弓につがえた状態で保持していたであろう矢を、腰につけた矢筒にしまい込む。

「ライ、ジャザ? リィ・ガンシュー?」

「ナン」 なにを問うたのかメルの口にしたその言葉に、左足を引いてそちらを振り返ったライがかぶりを振った。メルが月明かりに姿を晒し、ライのかたわらに歩み寄る。

 ライが視線を向けた先で、メルは目深にかぶったフードを払いのけた――背中まで届く月明かりを浴びて蒼褪めた黒髪に褐色の肌、目鼻立ちの整った顔立ちはまだあどけなさを若干残している。こちらもくるぶしのあたりまで届く外套のために体型はわからないが、身長は百八十センチ近いライよりも頭ひとつ低い。

 視界の妨げになるフードを取り去ると、彼女は続いて行動の邪魔になる外套を背中に払いのけた。衣装はこれも行動の妨げにならない様にだろう、胸だけを守る最低限の装甲を備えた胸甲冑ブレスト・プレートと腰に巻きつけたパレオの様なスカート、その下に身に着けた半ば露出したビキニのボトムの様な下衣だけで、胸元と腰以外はほとんど露出している――惜しげも無く晒したほっそりとした腰のくびれ、パレオの合わせ目から剥き出しになった右の太腿と、惜しげもなく晒している健康美あふれる褐色の肌はライの様に土をなすりつけたりはしていなかった。

 少女の肢体や容姿もさることながら、目を引くのは彼女が腰に吊った長剣だった。周囲に敵がいる可能性を考えて、邪魔になる外套を払って戦闘準備を整えたのだろうが――彼女が左手を置いているのは、明らかに日本刀の鞘だった。

 手元に近い箇所で強く反った長大な刀身は帯に直接差して携行することが一般的になったのちの時代には見られなくなった太刀の特徴(※)で、馬上戦が主体だった時代に主に用いられていたものだ――鞘は木製の鞘に蛭と呼ばれる帯状の金属板を巻きつけた上から黒漆で塗り固めたもので、鞘をくための太刀緒たちおから革先あしせめ石突いしづきくちといった鉄物かなものまですべて黒に統一されている。柄も同様で金属板を巻きつけてあり、ふちや鍔、柄頭を保護する冑鉄かぶとがねにいたるまで黒漆で真っ黒に塗られている。歩いているだけでカチャカチャ音がしない様にだろう、冑鉄に取りつけられている鉄具――さるは省略されていた。

 装飾を完全に省いた黒一色の仕様は、戦場で用いられる実用性を主眼に置いた外装であることを窺わせる――黒漆蛭巻ひるまき太刀こしらえと呼ばれるもので、革巻や糸巻などのほかの拵に比べて堅牢で対候性が高く手入れメンテナンス間隔スパンも長いことから、平安時代から鎌倉時代にかけて戦時に使用する拵としてよく用いられていた実用一辺倒の外装だ。


※……

 某明治剣客浪漫譚で主人公の前妻の弟がパチモンの日本刀持って登場したときにヒロインが『長さからして太刀のほう』と解説していましたが、実際の日本刀のうちがたなと太刀の区別は全体の形状や携行の方法によるものです。

 太刀のほうが全体的に全長が長いものが多いのは事実ですが、それは馬上戦で用いることが多く地上にいる歩兵まで届かせる必要があったからで、長いことそのものは太刀の特徴ではありません。また往時の姿のまま現存する刀の場合、手元に近い位置で大きく反るものが多くみられます。


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/6a/7e58cfe517dfd615e7ac62ea7c86569d.jpg

 先述したとおり太刀は太刀緒と呼ばれる紐で腰から吊り下げて携行する(佩く)のが一般的で、また太刀は峰が上を向く様にして携行します。このため刃が上を向く様にして帯に差して携行する打刀と太刀ではさしおもて差裏さしうら、柄の内部に収まるなかに銘を切ったり装飾を施したりする面が表裏逆になります。写真の画像は差表に銘を切った打刀の中心ですが、展示してある刀の場合は鋒を右に向けて差表を手前に向けて飾るので、たいてい打刀はエッジが上に、太刀はエッジが下になる形で飾られています。

 現代の刀剣分類において太刀と打刀を区別する一番手っ取り早い方法は、銘がどっちの面に切られているかです。ただししょせん現代の分類なので例外もあったり、所有者の趣味嗜好で刀身が太刀であっても打刀様式の刀装に納められていたりその逆であることもあるので、刀身が太刀でも使用方法は打刀だったりその逆もあります。

 さらに言えば戦時中に甲冑を身に着けているときは太刀拵、平時は打刀拵で携行していた例もあったでしょう。

 したがって、単純に長さだけで太刀か打刀かを判別するのは正しいとは言えません。

 元義弟のに関して言えば――まあ、どうなんでしょうね。鞘出てきましたっけ? せっかくヒロインが死ぬというちょっと面白い展開になってきたのにそのすぐ後に生存が判明して飽きて読むのやめたのであまり憶えてないんですが、そもそも日本式の銘を切ってるとも思えないので、太刀と打刀のどちらのカテゴリーにも当て嵌まらない気がします。


 刀身の手元に近い部分を潰して全長を短縮するり上げと呼ばれる作業で本来の中心が失われ、結果として全体形状が大きく変化する場合もあります。磨り上げは使用者が体格に合わせたり、太刀拵から打刀拵に切り替えた際に抜きやすくするための大幅な改造として行われ、元の中心から銘の部分だけを切り取って新たな中心に嵌め込んだり(https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/2aX2KQXh)、新たに銘を切ることもあります。

 こういった作業の結果、元は太刀であったであろう刀身が打刀として現存していることもままあります。

 先述したとおり太刀は手元に近い部分で大きく反ったものが多いのですが、この部分が磨り上げによって失われた結果としてごく普通の中反り、あるいは弱い腰反りの刀身形状になったものも多く残っています。

 織田信長が桶狭間の戦いにおいて今川義元を討滅した際に奪取した彼の佩刀をもんと言いますが、信長はこれを自身の体格に合わせて四寸弱、十一センチほど磨り上げて、中心に『永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀(永禄三年五月十九日に義元を討ち取ったときに彼が所持していた刀)』と金象嵌で銘を施しました。反対側には『織田尾張守信長』と切られているそうですが、こちらに関しては当時の織田信長の名乗りと異なるために後年に刻まれたものだという説もあります。

 そう左文字、義元左文字などの愛称で呼ばれたこの刀は豊臣秀吉・秀頼を経由して徳川家康に受け継がれたのち京都のたけいさお神社に保存されていましたが、一六五七年の明暦の大火で一度焼けてしまいました。刀身そのものは現存していますが、火に曝されて焼きの戻った刀身は記録をもとに再度焼き入れされ砥ぎ直されています。現存するさいされた義元左文字は弱い腰反りのある姿ですが、再焼き入れの際に刃文の効果や反り具合が変わっているので往時の姿を窺うことは出来ません。


 のちに時代劇で一般的な帯にじかに差す打刀の外装が一般的になると、鞘が体から離せなくなったことで刃渡りが長くなりすぎると抜刀に支障が出るために抜きやすさ、それに江戸時代以降は身分による刃渡りの法的規制などから全長がかなり短くなり、硬物斬りの機会が増えたためか腰反りもほとんどなくなりました。

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