第5話 作戦会議
抹茶ミルクティを片手に戻ってくるなり、数美は胡桃に成績表を見せてくれと言った。
「これが学力試験で、これが中間試験」
成績表を机に広げると、数美と文嘉はそれらをのぞき込んだ。
「——ほー、確かに学力試験では良い点を取ってるなあ」と文嘉が感心するように言った。
「3年生になる前は、どんな成績だったのですか?」と数美が聞いた。
胡桃はカバンからクリアブックを取り出した。このクリアブックの中には高校に入ってからの胡桃の全ての成績表がまとめられている。
「これ、——あんまり成績は良くないんだけど」
胡桃は数美にクリアブックを渡した。真剣な表情で成績を見られると、少し恥ずかしい。
「なるほど、生物が苦手なんですね」
一通り目を通すと、数美が言った。
「この高校に入学してから、ほとんど平均点を下回っています。前の学力試験では点が取れていますが、それ以外はあまりよいとはいえない点数です」
「うん。そうなの」
胡桃は答えた。
「——ああ、でもね、今は生物を勉強するのが苦痛じゃなくなったの。これまでは生物って無意味な科目なんだって思ってたけど、ちょっとだけ楽しいって思えるようになってきて」
「生物が好きになってきたってこと?」
文嘉が興味深そうに聞いた。
「うん。だから勉強をするのは辛くないから、多分もうすこし点を伸ばせるんじゃないかなって思うの」
そうですか、と数美はあごに手を当てて呟いた。文嘉が身を乗り出して、
「なんで? なんかきっかけでもあったん?」
「うん、ちょっとね。ある人と出会って」
「へえ。誰? 先生? うちも理科が苦手やから教えて欲しいねんけど」
「——えっと、」
胡桃は真理の話をしても良いのか、少し迷った。真理は旧校舎を無断使用しているから、あまり他言しない方が良いかもしれないと思ったのだ。
とりあえず、名前だけ出してみるつもりで、胡桃はこう言った。
「合力真理って人、知ってる? 理系クラスだから、数美ちゃんはどこかで会ったことがあるかもしれないけど」
知らんなあ、と首をかしげる文嘉とは対照的に、数美は「思いがけない名前を聞いた」という顔をした。
「胡桃さんは、真理を知っているのですか?」
「うん。最近、すごく仲良くしてもらってて」
「仲良く? 珍しいですね。あの真理が人と仲良くするなんて」
数美の口調は相変わらず淡々としていたが、目の奥にはわずかに驚きの色が浮かんでいた。
「見た目は変わってるけど、真理ちゃん、すっごく優しくて。——数美ちゃんも知ってるんだね。真理ちゃんのこと」
「知ってるも何も、真理は私の
「ええ!?」
胡桃は数美の顔を凝視する。赤い眼鏡をかけ、前髪を几帳面に切りそろえている数美と、ぼさぼさの髪でくたくたの白衣を身にまとう真理が同じ遺伝子を持っているようには見えない。
「——全然似てないような」
「目元が似ているってよく言われます」
数美はそう言うが、真理は変な眼鏡をかけているのであまり詳しく目元を見たことがなかった。だが、そう言われてみると、確かに顔立ちが似ているような気がしないでもない。
「それはさておき、生物に対する苦手意識が薄らいだというならそれはとても良いことです。苦手であるという思い込みは、成績の伸びに影響を与えますから」
その後、数美はルーズリーフを取り出して、胡桃の成績の現状を書き出した。
「文系科目はそれほど問題はないようですね。暗記も苦手ではないみたいなので、社会や英語も点が取れるでしょう。数学も、苦手な分野はあるようですが基礎はできていると思います。2年生から3年生にかけて成績がとても伸びているので、この春休みに勉強したというのも本当なのでしょう。そして生物はこれから伸ばす、ということで」
数美は理科の欄に「苦手意識克服」と書き込んだ。
「これで、——胡桃さんの現状は分かりました。では後は、胡桃さんに目標にする点数を決めてもらいましょう。そうしたら、自ずと計画はできあがります」
正面から、数美の黒い瞳がじっとこちらを見つめる。
「どうしますか。胡桃さんは、どうやって米園さんよりも点数を取りますか?」
胡桃は考える。どうやったら、米園英梨華よりも1点でも多く点が取れるのか。
——いい胡桃。受験生がすることってなんだと思う?
ふと、姉の言葉が頭をよぎった。
——入試で大学には入れるだけの合格点を取ることよね。
同じだ、と思った。あのときの姉の言葉が、すんなりと胡桃の体の中に入ってきた。今の自分も、姉と同じ。結果を出すため、目標に達成するため、そのために、努力すると言うこと。それは、受験だけではない。きっとこれからの、自分に役立つ。
——つまり今のあんたもそういうこと。シンプルに考えてみて。
胡桃は英梨華の点数を見つめた。
「今回、私たち文系の学生は、理科と数学は選択肢問題なんだよね?」
「そうやで」と文嘉が答えた。「理系問題は全部マークシート。1問につき4つくらい選択肢があって、それから選ぶねん」
だったら、
「——だったら、私はその理系科目で点を取るよ」
胡桃は2人に伝えた。
「私ね、この間の試験で失敗したのって、生物が原因だったの。中間試験では、穴埋め問題は記述式だったでしょ。あのときに緊張しちゃって、答えをど忘れしちゃったんだよね。自分がどれだけ点数がとれるか分からなかったから、とにかく全問解答しなきゃって思って。それで、頭の中が真っ白になっちゃって」
あのときのことを思い出すだけですこし震えそうになる。が、あのときの体験は自分にとっての大きな収穫だった。過去の自分からの、大事な贈り物。忘れてしまうのは、もったいない。
「でも、今ならもう大丈夫。満点は取らなくてもいいって、分かったから。選択問題なら、焦らずに点が取れると思うし、何より今、理系の勉強がしたいって思ってるくらいなの。理系って、それだけで難しそうなイメージがあったけど、それは私の幻想だったんだって分かったから」
胡桃はシャーペンをノックした。
「英梨華ちゃんは英語で点を稼いでる。間違いなく次回も満点近くの点数を取ってくると思う。だから、私もそこで勝負しようと思っても絶対に適いっこない。勝てるところで、勝負しなくちゃ」
胡桃はルーズリーフにそれぞれの科目に目標点数を書き込んだ。
数美は胡桃の手元を覗きこんで、
「分かりました。ちょっと、普段使っている参考書を貸してくれますか?」
「うん」
胡桃はカバンから数学の問題集を取り出し、数美に渡した。
数美はやるべきところに付箋を付けてくれた。一つ一つに「図形の問題」「公式を暗記」などのアドバイスを書いてくれている。
「胡桃さんの苦手そうな部分をピックアップしておきました」
「ありがとう、数美ちゃん」
そして、胡桃はそのやるべきことを日付ごとに分けていった。自分の実力がないところを見つけ、それを補強するには何をしたらいいのか。それを残り日数で割ったら、1日にするべきことが見つかるはず。
「——あ、」
途端に、道が開けたような気がした。全体像が頭の中に浮かんで、道上に一つ一つピースを当てはめる感覚。
「——できたっ!」
胡桃は計画表を両手で持ち、顔の前にかざした。こうやってみたら、昨日作った計画表は無謀だったように思えてくる。
「すごい、やるべきことが最初の三分の一くらいにいなってる」
そして、胡桃は向かい側でいろいろアドバイスをくれた2人に礼を言った。
「ありがとう。2人のおかげで良い計画が立てることができました」
頭を下げたと同時に、食堂に『蛍の光』が流れ出した。
時刻は、8時になろうとしていた。
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