第7章 筆者の気持ち

第1話 1等賞の印

 もともと米園英梨華は自分の金髪が嫌いだった。


 イギリス人の母をもつ英梨華は生まれつき髪が金色で、それゆえ幼少期から珍しそうな目で見られることが多かった。米園家のパーティーの参加者や保育園の友人たち、さらには街ですれ違う人たち。誰も彼もが英梨華を見るとその髪を指さし、ときには遠目でコソコソと何かを耳打ちした。しかし、まだ幼かった頃の英梨華は、その理由を理解していなかった。いや、生まれたときからそういう扱いをされてきたので、人から後ろ指を指されることに、なんら違和感を感じなかったのだ。


 保育園での集合写真を見たとき、その瞬間を英梨華は今でも明確に覚えている。


 まだ4歳にも満たないあのころの英梨華は、自分の見ているものが世界の全てだった。自分がどう見えているかなんて想像もしなかった。自分の見ている世界に、自分は絶対に映り込んだりしない。世界を映すカメラマンは自分で、そのカメラマンの存在を、英梨華は意識したことがなかった。


 その集合写真には、「イルカ組」の子供24人と、3人の先生が並んで映っていた。映っているみんなが笑顔だった。ユウコ先生と、ナツミ先生、そしてちょっと怖そうな園長先生も、笑っていた。それは、英梨華の知っている世界だった。


 そんな英梨華がいつも見ていた世界に、明らかに異色な生き物が1人、写っていた。


 その人物は1人だけ金色の髪をしていたので、黒くて艶やかな髪の子供たちの中でとても強く目立っていた。そいつは、英梨華が見ていた世界には映っていなかった。しかしそいつの顔は知っていた。鏡の中で毎日見ていたのだ。それがつまりどういうことなのか、理解するのに結構な時間がかかった。


 端から見たら、自分はこんなふうに見えるのか。


 それが、幼き英梨華の自意識の芽生えだった。先生に聞くと、髪の毛の色素が人よりも少ないのだと言われ、当時の英梨華にその意味が分かるわけがなく、とにかく何かが人よりも『少ない』ということだけが胸に残った。つまるところ、自分は人より劣っていると言われた気がした。


 人から珍しげに見られるのも、自分が劣っているのが原因だった。あの目は、『足りない』者に対する侮蔑の視線だったのだ。


 そう思うようになってから、英梨華は人の視線から隠れるようになった。


 いつなん時も自分が笑われているのではないかとビクビク怯え、人との接触を避けるようになった。周りから物珍しそうに見られることに耐えかねて、母親に懇願して小学校に入学するときには黒く染めたりもした。根本が金色になるのを隠そうと、せっせと鏡の前で髪をとかしていたのも今ではいい思い出である。目立たないように目立たないようにと教室の隅で読書をするのが日課だった。


 小学2年生のとき、親戚のおじさまが久しぶりに英梨華の家を訪れた。


 おじさまは髪を黒く染めた英梨華を見て大層おどろき、英梨華にわけを聞くと、


「だっておじさま、英梨華の髪はへんてこな色なのです」

「へんてこなものか。英梨華ちゃんの髪はきれいな金色だったじゃないか」

「でも、クラスのみんなは黒いのに、英梨華だけ薄くて黒くないんですもの。隣の家のアコちゃんも英梨華の髪をみて変だって言ってました」

「それは英梨華ちゃんの髪があまりにも綺麗で羨ましかったんじゃないかな」

「羨ましい? そんなことありえませんわ」

「おじさんは羨ましいと思うな。英梨華ちゃんの金色の髪」

「金色の髪を? どうしてですか?」

「かけっこで1等賞になった子がもらうものは何メダルだったかな」

「えっと、——金メダルですか」

「そうだね。1等賞になった子は褒めてもらえるんだ。よく頑張ったね、すごいねって。そしてその印として金色のメダルを渡すんだよ。金色っていうのは、1等賞のひとを褒めるのに相応しいくらいすごく美しい色なんだ」

「じゃあ、英梨華の髪は、」

「そう。英梨華ちゃんの髪は、1等賞の人を褒める素敵な色。そんな素敵な英梨華ちゃんの髪は、きっと1等賞だね」


 その言葉が、今でも英梨華の記憶に残っている。しかし捉え方と言うのは人の数だけあるもので、もしかしたらおじさまの本意ではなかったのかもしれないが、とにかくこのときの英梨華にはこのように聞こえた。


 ——英梨華の金髪は1等賞の印。


 その日から英梨華の世界は一変した。黒くしていた髪の毛はその日のうちに金色に戻し、次の日「大人しい文学少女が金髪になった」と当時小2のクラスメイトの度肝を抜いた。へんな髪だとからかうガキ大将の股間を蹴りあげ、土下座させて「英梨華さまの髪は1等賞です」と100回言わせたらクラス会議になった。


 それ以来、英梨華は1番を追い続けた。


 自分の髪の色にふさわしい人間になろうと努力してきた。もともと成績は良かったのだが、さらに熱をいれて勉強に励み、次の試験ではクラス1位に、その次の試験で学年1位になり、それ以降、小中高関わらずその順位を守りぬいてきた。小学3年生から始めたピアノと水泳だって1年後には地方大会で1位になったし、硬筆コンクールは常に金賞をもらった。


 中学3年生で生徒会長も務めた。生徒会発足以来初の女性生徒会長ということでこれまた英梨華は気分が良かったので、高校でも立候補してみたら圧倒的支持率で当選した。


 おじさまの言うことは正しかった。


「わたくしは、1番になるために生れてきたのですわ!」


 おーっほっほっほっほ——金色の髪の毛をなびかせて、米園英梨華は高々に笑う。




 だから、春先の学力試験で校内順位が2位になっているのを見て、英梨華は愕然としたのだ。


 ——英梨華の金髪は1等賞の印。


 1位は調べなくてもすぐに分かった。なぜならそいつは同じクラスにいて、わざわざ担任の大貫がクラスメイトの前で発表したからだ。


「おめでとう、佐倉ちゃん。今回はよく頑張りましたね」

「あ、ありがとうございます」


 パチパチとわき上がる拍手を、英梨華は目から血を流す思いで聞いていた。手元には成績表。校内順位、2位。


 ——2位。


 佐倉胡桃。


 よりにもよって。


 もともと英梨華は胡桃が気に入らなかった。この4月から同じクラスになって、一目見たときからすでに目障りだった。キレイな黒い髪。愛くるしいくりくりとした瞳。ピンクのカーディガンを制服の下に着ても嫌みにならないあの雰囲気。人から疎まれることを知らずに育った人にしかできない無垢な笑顔。英梨華には一生出せないような柔らかい声。


 なのに、あんなに可愛いくせに、教室ではまるで目立たないあの地味さ。


 必死になって派手に振る舞う人を、鼻で笑うかのようなあの地味さ。


 それで学年1位。


「……気に入りませんわ」


 自分が一番であることを見せつけてやらなくては気が済まない。完膚なきまでに叩きのめして「英梨華さまが一番です」と土下座する佐倉胡桃の背中に座って校内順位が1位の成績表を眺めたい。


 そう思って、英梨華は胡桃に勝負を挑みに行った。


 あのいけ好かない女の泣き顔を見てやりたい——そう思っていた。



 そう、思っていたはずだった。  

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