サクラ咲く

鶴丸ひろ

第1章 金髪の生徒会長

第1話 生徒会長と勝負


 放課後、日直の仕事を済ませた佐倉さくら胡桃くるみは誰もいなくなった教室の電気をリズミカルに消す。


「ぱちん、ぱちん、ぱちーんっと」


 陽気になっている自分に胡桃は思わず笑ってしまう。夕日に照らされた教室に自分一人。念のため周囲に誰もいないことを確認して、胡桃はもう一度カバンを開いて今日配られた試験の成績表を取り出した。


 学年順位、1位。


「キャ――――――――――――――――!」


 今日一日で散々見たにもかかわらず、胡桃はあまりの嬉しさに声を上げた。遠慮したつもりだったが、思いのほか教室に響き渡り、少し我に返る。


「ゴホン」


 成績表をカバンにしまい、御月みつき女子高校3年A組の学級日誌を持って胡桃は教室を出た。


 学級日誌を届けるため、胡桃は職員室へと向かう。4月も終盤になると、新学期の賑やかさも落ち着いてきて、校内は静かなものだ。校舎横のグラウンドで行われている運動部の声出しを聞きながら、胡桃は鼻歌交じりに廊下を歩いた。


「失礼します」


 学級日誌を入れるボックスは職員室のドアのすぐ横にある。先生方が会議をしているのを尻目に、胡桃は3年A組のボックスに日誌を入れた。これにて日直の仕事は終了。礼を言って、職員室の引き戸を閉めた。


 さて、これからどうするか。

 自習するか、このまま帰るか。


 勝ってかぶとめよ、ということわざが頭をよぎる。受験生に油断は禁物なのだ。いくら新年度初めの学力試験で1位になったとはいえ、気を抜けばすぐに追い抜かれてしまう。これまで通り自習室に行くべきだろうか。


 しかし今日くらいはそのまま帰っても良いとも思う。ここのところずっと我慢してきたのだ。テレビにケータイに読書。受験生とはいえ、今はまだ4月なわけで、本番はまだまだ先のことなのだ。


「……ケーキ食べたいなぁ」


 自分へのご褒美というのも悪くない。いかんせん、胡桃にとって初めての1位なのだ。最近は駅前の商店街にも行ってないから、久しぶりに遊びに行ってみようか。たしか、潰れたカレー屋の後に美味しい喫茶店が入ったとかなんとか姉が言っていたような気がする。


 うん、そうしよう。

 胡桃は昇降口へと向かった。いつもは暗くなるまで自習室にいるので、夕日が差し込む昇降口がとても新鮮に見えた。


「……んふふ」


 胡桃は昇降口のスノコの上で上履きを脱ぐ。そして自分の下駄箱の靴と取り換えようとして、


 ふと、視線を感じた。


 上履きを手にしたまま、胡桃は何気なく視線の方に顔を向けた。




 ガラス張りの玄関口。

 そのど真ん中で、背の高い女生徒が立っていた。




 その人物は怒っているようだった。差し込む夕日のせいで逆光になってしまい顔はよく見えないが、胸の前で組まれた腕も、肩幅に開かれた足も、逆立つ金色の長い髪も、とにかく全身から怒りのオーラが滲み出ている。


 ――あの人、


 胡桃は目を凝らす。

 顔は見えなくても、あの金髪には見覚えがある。


「……待ちくたびれましたわ」


 その人物が苛立たしげに呟いた。その凜とした声を聞いて、胡桃は確信する。間違いない、あの人は3年から同じクラスになった、我が校の生徒会長――


「――米園よねぞのさん、ですか?」


 しかし相手はその質問に答えなかった。コツコツとローファーのかかとを鳴らして胡桃に近づいてくる。逆光が解消されてようやく相手の顔がよく見える。やっぱりそうだ。1ヶ月前の始業式の日、ワックスがけの香りがまだ残っている新しい教室で、胡桃の目を釘付けにしたあの美貌。


 米園よねぞの英梨華えりかである。


 ずっと話をしたいと思っていながら、その整った容姿と気高い雰囲気に圧倒されて胡桃は話しかけることができないでいた。なにせ彼女は地元で知らぬ者はいない富豪、米園家の長女。スタイルは抜群、成績も優秀、髪はため息が出るほど美しい金色をしているのだ。庶民の自分とは、何から何まで違う存在なのだと、胡桃は思っていた。


「あなたのことを、待っていました。佐倉胡桃さん」


 胡桃の目の前までくると、不機嫌そうな表情を隠すことなく米園英梨華が言った。


「え? ――待ってた?」


 胡桃には訳が分からない。話もしたことない生徒会長が、なぜ自分を待っていたのだろう。


「なにか、……用事ですか?」

「単刀直入に申し上げます。佐倉胡桃さん、わたくしと次の試験で勝負しなさい」

「――え?」

「正確には二週間後の中間試験でです。飯塚」

 英梨華が左手でぱちんと指を鳴らす。

「――はい。お嬢様」

「ええ!?」


 黒いスーツを着た女性が音もなく現れて、胡桃は飛び上がった。どこにいたのだろうか、胡桃は辺りを見渡すが隠れられるような場所はない。


 英梨華はその女性から一枚の紙を受け取って、


「日付は5月14日、金曜日。勝敗の判定は全教科の合計点数で決めますわ。まあ、単純に成績表に書かれた順位の高い方が勝ちです。よろしいですわね」


 よろしくない、と思う。


「ちょ、ちょっと待って下さい! 突然すぎて話が見えないですけど!」

「わたくしと勝負をしろ、と言っているのです」

「勝負って、どうして私が、」

「当たり前でしょう。1位には、下位からの挑戦を受ける義務がありますわ」


 ――1位?

 もしかして、


「学力試験の成績のこと……?」


 英梨華の鼻の付け根が、ぴくりと震える。


「そうです。佐倉胡桃さん。あなたは春先の学力試験で1位になった。つまりこの学校で1番成績が良いということです。だから、わたくしはあなたよりも順位が下なので、あなたに勝負して欲しいと、そう言っているのです。受けてくれますわよね?」

「――いや、いやいや。私なんかが米園さんと勝負だなんて」


 胡桃はぶんぶんと首を横に振った。 


「そんな、とんでもないです。1位って言っても、私はたまたま今回の試験で点が取れたってだけだし、選択問題だったから運がよかっただけで。素の学力は米園さんにはるかに及ばないと思うし、」

「はあ? 当たり前でしょう」


 英梨華が吐き捨てる。


「図に乗らないでください。わたくしはあなたが本当の実力で1位になったなんて微塵も思っていません」

「――え?」

「だいたいあなた、これまでは10位以内に入ったことすらなかったのでしょう? そんな方がわたくしに勝つだなんて、たまたまでなければありえませんわ。この学校で一番学力があるのは、わたくし。そんなことは分かっているのです。謙遜されること自体が、わたくしにとっては屈辱なのです」

「……あ、はい」


 胡桃は涙目。たまたまなのは重々承知だが、こんなにこき下ろされる覚えもない。


「でも、……じゃあ、なおさら勝負なんてしなくてもいいんじゃ、」

「そうはいかないのです! 飯塚、例のものを」


 はい、と飯塚が英梨華に成績表を渡す。


「ご覧なさい! ここ! わたくしの成績表のこの欄。校内順位、何位になっているか読めますか!?」

「に、2位になってますけど、」

「なってますけど、じゃありません!」


 英梨華が胡桃の胸ぐらを掴む。


「わたくしはこれまで、ずっと1位だったんです! 小学校3年生のときからずっと、どの試験でも1番をとり続けてきたのです。1番じゃなきゃいけなかったのです。なのに、あなたはこのわたくしを2位にしたのです。その重大さを、責任の重さを、分かっているのですか!? 分かっているのですか!?」

「ごご、ごめんなさい! ごめんなさい!」


 ぶんぶんと胸ぐらを振られて、胡桃は目が回りそうになる。

 ふん、と鼻を鳴らして、英梨華が手を離した。すこしだけ冷静な口調で、


「いいですか。受験というのはいかに多く点数が取れるかが大事なのです。学力があっても試験で点が取れなければ不合格ですし、たまたまでも点が取れさえしたら合格です。だから、次の中間試験でどちらがより多く点を取る技術を持っているのか、勝負をして欲しいのです」


 嫌とは言わせない、と言わんばかりの強い視線。


「でも、私なんかが……」

「佐倉さん」


 英梨華が胡桃の肩に手を置いた。


「たまたまだろうと、なんだろうと、あなたは1位なのです。わたくしは、あなたに負けたことが悔しいのです。ほんっとうに、はらわたがひっくり返りそうになるくらい、悔しいのです。お願いです。勝負してください」


 英梨華の整った顔が、すぐそこにある。食べられてしまうのではないかと思うくらい大きな目に、自分の驚いたような顔が映り込んでいる。


 そう、胡桃は今、驚いていた。

 胡桃の記憶の中の米園英梨華は、こんなふうに感情を表したりしない。少なくとも、教室の中では聖母マリアのような微笑みを絶やしたことはないはずだ。机の中に大量のラブレターが入っていたときも動じなかったし、クラスメイトの弁当がなくなるという事件が起きたとき冷静沈着な態度を貫いていた。全校生徒の前で生徒会長として話をするときだって、堂々とした余裕のある振る舞いをしていた。


 そんな人が、自分に対してこんなにも感情をあらわにしている。

 勝負に負けて、悔しいと言ってくれている。

 なんの取り柄もないこんな自分に、熱く、話をしてくれているのだ。


「分かりました。勝負します」


 胡桃は答えた。そして付け加えるようにして、「絶対に負けません」と力強い口調で言った。


 英梨華が満足そうに頷いた。


「決まりですね。では、ごきげんよう」


 くるりと踵を返して、英梨華が飯塚と共に昇降口から出て行く。英梨華の長い金髪が、夕日に照らされてキラキラ光っている。二人が校門を出て、姿が見えなくなっても、胡桃は英梨華が去っていった方向をしばらく見ていた。静まり返る昇降口。どこからか聞こえてくるテニスボールを打つ音と吹奏楽の管楽器の音色。


 ふふ。


「勝って兜の緒を締めよ、か」


 胡桃は上履きに再び足を入れた。つま先でトントンとスノコを鳴らし、校舎二階の自習室へと向かう。口元には、小さな笑みが浮かんでいた。

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