第30話:大志の奇跡4
「平くん、お疲れ様」
「あれ、平沢先生? 職員室には誰もいないんですか?」
「そうよ、まだ片づけ中だからね」
人がいない職員室は少し不気味だ。
「私、今日の平くんには感動したわ。あなたには本当に教師になってほしいと思ったわ」
「ありがとうございます」
教育実習最終日にして初めて平沢先生から良い評価をもらえた。
「だからこそ私は決意したわ。あの時のことを全部話そうと思って」
「あの時のこと?」
「ええ、あなたの恩師のことよ」
「!?」
長年捜し求めていた美佐子先生の情報。
あの時の平沢先生は何も知らないといっていたが、どうやらうそだったようだ。
「平沢先生、美佐子先生の行方を知っているんですか!?」
「……ええ、知っているわ、何もかも」
「……」
願ってもいない状況にあるのは自覚している
しかし俺は少し恐怖感を感じていた。
俺は今まで美佐子先生の幻影を追い続けていた。
しかしここで真実を知ってしまうと幻影が幻でなくなる。
そのとき俺は心を保つことができるのだろうか?
「平くん、無理に聞く必要はないわ。また心の準備ができてからでいいのよ」
「平沢先生……」
人には生きていれば何回かチャンスがまわってくることがある
それをうまく生かしたものが社会における成功者といわれるものなんだろう。
俺がここでチャンスを逃すわけには行かない。
現実から目を背けず前を見る、さっきの運動会でそう学んだじゃないか!
「平沢先生、聞かせてください。美佐子先生のことを」
「もう迷いはないのね?」
「はい、中途半端な気持ちで話を聞くのは失礼ですから」
心臓の鼓動が大きく鳴り始める。
「そう、わかったわ。じゃあ話させてもらいましょうか」
俺は平沢先生の対面に腰掛け、耳を澄ました。
「中学三年生の二学期の始業式の日、美佐子が突如姿を消したのは知ってるわよね?」
「はい、忘れるはずがありません」
始業式前日の午前中も美佐子先生に英語を教えてもらっていた。
そのときにも変わった様子がなかったことは鮮明に覚えている。
「じゃあ教頭先生が退職したことは覚えているかしら?」
「はい、そのとき平沢先生に突っかかってしまいました。教頭先生の退職の理由は明らかになっているのに、美佐子先生にはなぜ触れないかと」
「そうね。それは私もよく覚えているわ」
そう疑問を持っていたのは俺だけではないだろう。
どう考えても美佐子先生に触れないのは不自然である。
「本当は教頭先生の退職の理由は定年ではないのよ」
「へー、知らなかったです」
あまり重要と思えない情報に適当に返事をした。
「教頭先生、交通事故を起こしたらしくてね。事実上のクビみたいなものよ」
「あの人、そんなに悪い人だったんですね」
もともと教頭先生の評判はあまりよくなかった。
理不尽だし、生徒によって扱い方がぜんぜん違うし人気がなかった。
だから教頭先生が辞めたとき、生徒たちはみんな喜んでいた。
「それが夏休み最終日、午後の出来事だったのよ」
「夏休み最終日の……午後」
嫌な予感が脳裏をよぎる。
ほぼ百パーセントの可能性でないとは思うが否定することはできなかった。
「まさか、教頭先生が轢いた相手って……」
「……」
その沈黙が俺の質問に対する肯定だろう。
つまり、俺に英語を教えてくれた帰り、美佐子先生は教頭先生の車に轢かれたのだ!
「そんな!? じゃあどうして学校は俺たちにそのことを言ってくれなかったんですか!?」
こみ上げてくる怒りを我慢できず、平沢先生に問いつめた
「……学校は恐れたのよ。不祥事によって学校の評判が下がり、廃校の危機に陥ることをね」
「そんな……」
つまり美佐子先生が教頭先生に轢かれたという事件は学校によって隠蔽されたということだ。
俺はまだ聞けてない重要な質問をした。
「美佐子先生は……どこにいるんですか?」
「……隣町にある病院よ。そこに美佐子はいるわ」
「……よかった!」
俺は激しく安堵した。
なぜなら最悪の事態を考えていたからである。
「でも平くん、美佐子はあの日から目を覚ましていないのよ」
「え……」
あれからすでに三年が経過している。
三年という月日は決して短いものではないはずだ。
「続きはまた病院で聞いてきなさい。すべてがわかると思うから」
「平沢先生……」
平沢先生の目がまっすぐ俺を見据えている。
俺も教師になったときにこんなにも生徒のために尽くしてあげられるのだろうか?
「先生、ありがとうございました。本当に教育実習、平沢先生に担当してもらえてよかったです」
「ふふ、いいのよ。それよりはやく美佐子のところに行ってあげて」
「はい、本当にありがとうございました!」
俺は大きく頭を下げて職員室を去った。
目指すは隣町の病院、そこに美佐子先生がいるんだ!
俺は学校では廊下を走ってはいけないという規則を破り、全力でその廊下を駆け抜け、隣町へと向かったのであった。
「ここか……」
隣町に一軒だけある病院にたどり着いた。
病院にもかかわらず、わかりにくい場所にあり不気味さが漂っていた。
「まあとりあえず中に入るか」
俺は自動ドアを潜り抜け、病院の中に入った。
入ると受付には女の人が一人座っていた。
「こんばんは、どういったご用件ですか?」
「あの……」
そこで俺は重要なミスに気づいた。
よく考えたら俺は英語を教えてもらっていたにもかかわらず、美佐子先生の苗字を知らない。
苗字を知らないのに患者さんの部屋番号はわかるものなのだろうか?
「美佐子さんのお見舞いに来たんですけど……」
「あら、美佐子さんのお見舞いに二人も来るなんて珍しい」
「今誰かきてるんですか?」
「はい、まあでも気にしなくても大丈夫ですよ。二〇八号室です、どうぞ」
「ありがとうございます」
俺は二階ということもあって階段で部屋に向かった。
だが少し気になる、すでに誰かがお見舞いに来ているという事実を。
「……ここか」
俺は部屋の前のドアまでたどり着いた。
この先に俺がずっと探していた美佐子先生がいるはずだ。
「……ずいぶん久しぶりに会うな」
大志を抱いたあの日から今日再会するまで本当にいろいろなことがあった。
そこで培ってきたことを胸に俺はドアを開けた。
「……美佐子先生!」
そこには昔見たときよりも痩せた美佐子先生の姿があった。
呼吸もしているし、心電図もきちんと反応しているが目は開いていなかった。
「美佐子先生、久しぶりです……」
おそらく俺の声は聞こえていないだろう。
それでも俺は美佐子先生に語りかけた。
「俺、もう少しで教師になれそうです。これも夏休みに英語を教えてくれ、そして大志を抱かせてくれた美佐子先生のおかげです。ありがとうございました!」
俺はその場で涙を流した。
自分自身でも覚えてないくらい久しぶりに涙を流している。
「美佐子先生、約束するよ。また教師になったらここに戻ってくるって」
俺が滞在した時間はほんのわずかだったかもしれない。
でも今の俺にはそれでいいように思えた。
「バイバイ、先生」
俺は病室の扉を開けた。
しかし、その扉の先にいたのは意外な人物だった。
「なぜ、お前がここにいるんだ?」
「……教也、ついに来たのね……」
そこには花瓶を手にした咲花の姿があった。
咲花は俺と違う中学校なので美佐子先生とは面識がないはずである。
「……教也、まだ私が誰かわからないの……」
「え、誰って……咲花……だよな?」
咲花以外の可能性なんて皆無である。
「……病室のネームプレートを見て……」
「ネームプレート?」
俺は美佐子先生のネームプレートを確認する。
そこにはこう書かれていた。
「……春風美佐子……だって!?」
春風という苗字には心当たりがある。
そう、まさに俺の目の前にいるのだ。
「教也、私はそこにいる春風美佐子の娘よ」
「美佐子先生の娘……」
確かに美佐子先生の年齢的に子供がいてもおかしくはない。
しかしそれが咲花だなんて思いもよらなかった。
「まさか平沢先生が言ってた続きを聞く相手って、咲花なのか……」
そういわれてみれば合点がつく。
おそらく咲花は毎日病室を訪ねているのだろう。
だから咲花が今日もここにいることを知っていた。
そして咲花はすべてを知っているということなんだろう。
「咲花、美佐子先生は交通事故にあったのか?」
「……そのとおり……」
平沢先生の発言にうそはないことが証明された。
ほかに俺が聞くことは正直ないように思える。
「……なぜ私が教也を嫌っているのか知っている……?」
「普通に性格が合わないとか……?」
いやでもその答えは明らかに矛盾しているじゃないか!
なぜなら咲花は転校初日、俺と話す前から嫌っていたじゃないか!
「……本来お母さんは交通事故にあうはずではなかったのよ……」
「……確かに、教頭先生のせいだもんな」
「……違うの……」
「違う? 何が違うんだ?」
病院の中に風が吹き込む。
それは俺たちを包んでいるようだった。
「……お母さんは、女の子を助けるために巻き込まれたのよ……」
「……身代わりに轢かれたってことか!?」
俺は美佐子先生が優しい人なのは知っていた。
しかしまさか自分の命まで顧みないとは思っていなかった。
「女の子はお母さんのおかげで死ぬことはなかった、でも足に後遺症を残し、車いす生活になったのよ」
「足に後遺症、車いす……」
今俺は数々の偶然を味わってきた。
なので次に言われる言葉はある程度予想がついていた。
「もしかして、助けた相手って言うのは俺の妹、紗枝のことなのか……」
「ええ、そうよ! そのせいでお母さんはこんな目にあっているのよ!」
咲花が感情を爆発させた。
俺はなんとなく嫌われていた理由がわかってしまった。
おそらく咲花は助けてもらった恩も知らずに悠々と生きている俺たちに我慢できなかったのだろう。
それもそのはず、損をしたのは結局美佐子先生だけみたいな形になっているからだ。
「私はあなたを許そうと思った。でもあなたはこの間なんていったか覚えている!?」
「俺が言ったこと……」
教育実習の前日に集まったとき、俺たちは自分らの大志を言った。
そして俺は咲花に教師を目指している理由を聞かれたとき、こう答えたんだ。
突如姿を消した先生みたいになりたくないからと。
「……最低だな、俺は」
これこそ恩をあだで返すようなものだろう。
咲花は一生懸命がんばっているのに俺はそのことを知らず日々をすごしている。
嫌われて当然のことをしている。
「私は許せなかった! だからまた嫌いになろうと思ったわ!」
「……」
「でもできなかった! 私は教也への想いを抑えることができなかったのよ!」
咲花はその場で泣き崩れた。
俺は初めてそんな咲花を見た。
そして決意した、そんな咲花をこれからも守って生きたいと。
「咲花、聞いてくれ」
俺はしゃがみ、咲花と目線を合わせた。
「咲花、俺は人生とは出会いと別れがあるように失うことの連続だと思っている。でも、それに耐えて前に進むことがここにいる俺たちの使命なんだ! 何か重要なことを失ったからってその歩みを止めてはいけないんだ!」
「教也……」
「俺はそんな咲花が歩みを止めないようにこれからもそばで一緒に歩いていきたい。それじゃだめか?」
「……それじゃ、だめ」
咲花は立ち上がり、俺の手をとった。
「私は一緒に歩くんじゃなく、走っていきたい! この人生という限られた時間、歩くんじゃなく走っていろいろなことを教也と経験していきたいの!」
咲花は不意打ちで俺のほほにキスをした。
初めての俺はほほを過剰なまでに赤くしてしまった。
「ふふ、ずいぶんと赤くなって、かわいい」
「咲花、お前もだろ」
俺たちは病院だというのにその場で笑いあった。
そして、再び病室の中に戻り、美佐子先生の前に座った。
「美佐子先生、聞こえてますか?」
俺は美佐子先生の手を握り、語りかける。
「俺は美佐子先生のおかげで大きなものをたくさん得ることができました。そして数々の出来事を経験して思ったんです、協力することの大切さを」
「……」
咲花は黙って俺の言葉を聞いていた。
「そして俺は美佐子先生の娘、咲花に出会った。そして俺は思ったんだ、一生この人と大志を抱き、ともに前へ進んでいこうと」
咲花は声こそ荒げていないが横で泣いていた。
それでも取り乱さないところに彼女の強さを感じた。
「だから娘さんを俺に預けてください。必ず幸せに……します!」
俺は迷いなくきっぱりと断言した。
そしてその言葉を発し、握られていた先生の手に俺の涙が落ちたとき、奇跡が起こった。
「……平くん、あなたの大志をきちんと受け止めたわ」
「美佐子先生……!」
「お母さん……!」
それは病院で起こったひとつの奇跡。
三年間目を覚ましていなかった美佐子先生が今日この場面で目を覚ました。
奇跡という言葉を信じない人はたくさんいるのかもしれない。
それは奇跡というのは起こらないから奇跡と呼ばれているからだろう。
でも俺は奇跡が起こらないとは思っていない。
奇跡という言葉は誰も信じられないようなことが本当におきたから奇跡という言葉が存在するんだ。
俺たちは涙ながらに抱き合った。
そしてまたここに新たな大志が芽を出したのであった……。
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