第26話:不穏な大志の行方
「さて、では乾杯を音頭は僕がとってあげるよ」
「……うざい……」
「咲花ちゃーん……」
介護体験実習から数日経過し、明日からいよいよ教育実習だ。
教育実習は自分の母校に三週間行き、教師として生徒に接する実習である。
ここで初めて俺たちは教育現場の忙しさを痛感することになるだろう。
「じゃあ私が間を取ってやるわ」
「……春々なら安心……」
カイトが音頭を取ろうとしていたところを、春々が代わりに音頭を取るらしい。
ちなみにこれは明日から教育実習頑張ろう会と称して俺の家でパーティーをしている。
「ではみなさん、グラスを手に持ってください」
春々、俺、咲花、カイト、星海、そして紗枝の六人がグラスを手にする。
ちなみに紗枝は教育実習とは関係ないが、ここに住んでいるので参加している。
「明日から教育実習です。たくさんの喜びもあるでしょうし、たくさんの困難もあるでしょう。それでも常に大志を忘れずに日々を過ごしてください」
「はい!」
「それでは春々たちの健闘を祈って、乾杯!」
「乾杯!」
グラスの当たる音が響き渡る。
ちなみに未成年なので、中身はジュースである。
「このオレンジジュース、おいしいですね!」
「いや、星海よ。これは全然その辺に売っているオレンジジュースだぞ」
「……すみません、調子に乗りました」
「いや、全然そういう意味で言ったんじゃないぞ」
飲む場所であったり空気感によって味が違って感じたりする。
つまり星海はいまそういう状態なのだろう。
「教也くん、なに星海ちゃんをいじめてるのよー。森野さんに言いつけるわよ」
「……それだけは勘弁してくれ」
「そんなに怖いお母さんじゃないと思うんですけど……」
後から聞いた情報だが、星海は介護体験実習に森野さんがいることを知っていたのに、あえて言わなかったらしい。
謎のサプライズである。
「今更だけど平、星海ちゃんのお母さんはきれいだったのかい?」
「お前、熟女でもいけるんだな」
「最低です……」
「いやいや、それはさすがに誤解だよ!」
ちなみに森野さんは俺から見てもとてもきれいな人だった。
性格こそ星海とは違うけど、顔立ちはそっくりだった。
「……とかいって教也さんも鼻の下伸びてませんか?」
「き、気のせいだぜ!」
危ない危ない、余計なことは考えないでおこう。
「教也くん、ピザを一切れいかがかしら?」
「おお、春々、ありがとうな」
春々の告白を断って以降、きっと今まで通りにはならないと思っていたが春々は今まで通りにふるまってくれている。
わざわざ俺と紗枝のために引き続きご飯を作りに来てくれているし本当に最高に尊敬できる幼馴染である。
変わったところは、ボディータッチが減った気がするところと……
「春々さんは本当に髪の毛が短くなりましたね!」
「きっと人生で一番短いと思うわ。紗枝ちゃんも短く切る?」
春々の髪の毛はずいぶんと短くなった。
幼稚園からずっとロングだったのでさすがの俺もかなり驚いた。
きっと春々なりの決別の決意なんだろう。
「もしかしてお兄ちゃんってショートのほうが好きなの?」
「なんでこの流れで俺なんだよ」
「だって……ねえ」
紗枝は星海のほうに合図を送る。
星海はよくわかっていなかったがとりあえず笑顔で会釈をしていた。
「……金岡、ジュースおかわり……」
「なんで咲花ちゃん、ちょっと怒ってるんだい?」
「……いいから早く持ってくる……!」
「……はい」
向こうでもどうやらバトルが勃発しているようだ。
でもあの咲花がこんなにも仲良く接していることに俺は喜びを覚えた。
「春々さん、お兄ちゃんが咲花さんのほうばかり見てますよ!」
「あらあらー、意外と隅に置けないわね」
「ほっとけ」
俺たちは一通り会話を楽しんだ後、今回のメインイベントへと移行した。
「さて、ではみんな、事前に考えてくれてるかしら?」
春々が小さな紙とペンを配る。
その紙にはこの教育実習での大志とはと書かれている。
ちなみに紗枝は将来の目標はという質問になっている。
「さて、では書くかな」
俺がペンを持って紙に書こうとしたとき、すでに全員が紙に向かって書き始めていた。
きちんと全員が確固たる大志を抱いていることに感動した。
しばらくして、全員が書き終わったからか、春々が再び司会をしてくれた。
「さて、じゃあ一人ずつ大志を発表してもらいたいんだけど、誰からいきたい?」
「春々ちゃん、ナンバーワンといえば僕からしかないよね」
「じゃあカイトくんからお願いしようかしら」
カイトはその場で立ち、裏返していた紙を表に向けた。
「僕の教育実習での大志は、片思いさ」
「片思い?」
それはよく恋愛であるやつだろうか?
「片思いっていうのは、生徒のことを常に思い続けるってことさ」
「……それなら両想いのほうがいい……」
確かに咲花の言うとおりだ。
恋愛でも好き好んで両想いより片思いを選ぶやつはいないだろう。
「確かにその通りだけど、思春期の生徒ってあんまり先生のこと好きじゃないだろ?」
「確かにその通りですね……」
教師は基本的に社会に出ても生きていけるように指導するので、必然と厳しく接してしまうところがある。
なかなか厳しい人を好きになるのは難しいものだ。
「相手が僕のことを嫌いだからと言って、片思いをやめてしまうと教育ではなくなってしまうね。だからどんなに嫌われようと片思いし続けるのさ」
「教師って大変なお仕事なんですね」
「まあ教師を目指す人間はやりがいを求めている人が多いからね。紗枝ちゃんもよければ教師目指してみてはいかがかな?」
「遠慮しときますね」
相手のことを思っているからこそ教師というのは生徒から嫌われる……か。
改めて考えてみると大変な仕事だなと実感した。
「あと、教育を三年で終わりと思わないことも重要だと思うよ」
「三年って中学三年間のことかしら?」
「そうさ」
俺たちは基本的に中学校の教師を目指している。
だから教育は三年間で終わりのような気もするが……。
「三年間指導をしたからって、全員が改善するわけではないよね。卒業してからも彼らの人生は続いているんだから教師はいつだって彼らを思い続けなければならないのさ」
「……これが片思い……」
「ああ、ぼくの大志さ」
きちんとカイトなりに考えた大志。
それを否定できる人間なんてこの世にはいないのだ。
「片思いね……」
春々は俺のほうを見ながらつぶやいてくる。
正直コメントに困ってしまうからやめてほしい。
「僕はいつだって春々ちゃんに片思いだけどね」
「ありがと。じゃあ次はだれの番かしら?」
「……」
春々は衝撃的なくらいカイトをスルーした。
というか正直スルー以外の選択肢はなかったように思える。
「じゃあ、私いきます」
「お、星海ちゃん、よろしく頼むわ」
あの奥手だった星海が自分から積極的に名乗りを上げた。
たったそれだけのことだが、成長を感じる場面だ。
「ちょっと恥ずかしいですね……」
「星海さん、頑張ってください!」
「ありがとうございます、紗枝ちゃん」
星海は立ち上がり、その紙を表に向けた。
「私の大志は、協働です」
「協働……、素敵ね」
これは俺も春々に説明したことのある言葉だ。
正直俺もこれを書こうか一瞬考えたからかぶらなくてよかった。
「やっぱり私は模擬授業の時にいろいろ助けてもらいました。絶対に一人ではやり遂げることができなかったと思います。でもみなさんのおかげで成功することができました」
星海は俺たち一人一人ときちんと目を合わせてくる。
その目は力強く、いきいきとしていた。
「だからこそ私は実体験をもとに伝えたいんです。1+1は2ではなく、もっと大きな数字になることを」
その力強さには、森野さんの娘であることがとても強く感じられた。
「俺たち、1だったんだな」
「教也さん、そういう意味じゃないんですよー」
「うそうそ、ちゃんとわかってるよ」
そう、そのことは星海だけでなくここにいる全員が思っているのだ。
「……教也くんは相変わらずいろいろな女の子と仲がいいわね」
「とりあえずごめんなさい」
普通に話していただけ気もするがとりあえず謝っておいた。
「星海ちゃんの大志はしかと受け止めたわ。次は私がいこうかしら」
そろそろ立候補しようと思っていたのだが、そんなことをいうタイミングもなかった。
「では、発表しますー!」
春々は飛び上がって紙を表にした。
やはり春々はこうでなくてはな。
「私の大志は、褒めることよ」
「僕、あんまり春々ちゃんに褒められたことないけどね」
「同級生はノーカウントよ」
生徒を褒めることは俺も大事だと思う。
まあその理由は今から春々が言ってくれるのだろう。
「子供の可能性を伸ばすには兎にも角にも褒めることだと思うの。やっぱり自分がやったことを褒められるとやる気になるし、叱られるとやる気なくなるしね」
きっとそれは誰だって経験したことがあるだろう。
他人にとってはどうでもいいのかもしれないけど、自分にとっては大事なことはある。
それを否定されたらもうその人とは信頼関係を築くことはできないだろう。
教師がやったらはっきり言って終わりレベルである。
「でも私、なんだかなめられそうで怖いです……」
「……失礼ですけど星海さんはなめられそうな気がします」
「紗枝ちゃんもそう思いますよね……」
確かに子供たちは褒められるとやる気を出すが、調子に乗る可能性はある。
生徒からなめられると最終的には学級崩壊という可能性もあるのだ。
「もちろん、やったらダメなことにはきちんと叱るわ。でも、生徒が自分で考えて、行動したことは褒めてあげたいなと思うの」
「……さすが……」
相変わらずしっかりしている子だ。
教師の道はあきらめたといっていたが、それでも教師になってほしいと俺は切に思う。
「はい、私の番終わり! 教也くんは最後だから次は咲花ちゃんね」
「俺一言も最後がいいなんて言ってないんだけどな」
まあといっても咲花を最後にするのは少し気が引ける。
ここは春々に言われるがままにしておこう。
「……じゃあ私のを発表する……」
咲花はゆっくりと立ち上がり、紙をひっくり返した。
書かれていた字はめちゃくちゃ小さかった。
「……私の目標は大志を抱かせないこと……」
「大志を抱かせないこと……か」
模擬授業の準備の時、誰にも聞こえないような声で大志なんて大嫌いと言っていたのは聞き間違えではなかったのだろう。
まあだからこそそんなに驚かずにすんだのだが。
「咲花ちゃん、どういうことかしら?」
俺はなぜ咲花がそんなにも大志を嫌っているのかはわからない。
なのでこの回答は俺も随分と気になった。
「…言葉通りの意味……」
まあ人間言いたくないことの一つや二つあるだろう。
大志で人生を生きてきた俺からすらば不服だが、ここは我慢した。
「そう、じゃあ次は教也くんの番ね!」
場の空気が悪くなる前にすかさず俺に振ってきた。
司会者としての技量も一級品である。
「ああ、任せろ」
俺はみんなにならってその場で立ち上がり、紙をひっくり返した。
「俺の大志は、大志を抱かせることだ」
「教也くんらしいわね」
「はい、教也さんらしいです」
「まあ平ならそういうと思っていたよ」
「お兄ちゃん、予想通りだね」
「……」
やはりこれは譲れなかった。
大志は人を変えることができる。
俺もそうやって人生を変えた男だからこそその素晴らしさを知ってほしかった。
「俺は昔恩師の先生からつないでもらった大志のたすきを次世代の子供たちにつないでいきたいんだ。これをできるのは教師くらいしかできない素晴らしい仕事だ」
「……大志……」
この気持ちはだれにも負けない自信がある。
「教也くん、その大志を抱かせるっていう目標、すでにかなっている気もするわよ」
「へ?」
まだ俺は教育実習に行っていない。
なのに大志を抱かせたという目標がかなっているとはどういうことなのだろうか?
「だって春々もカイトくんも星海ちゃんも教也くんのおかげで大志を抱くことができたのだから、すでに大志を抱かせるプロフェッショナルだと思うわ」
「大志のプロフェッショナルか……」
みんなの顔がキラキラしている。
欲を言えば、咲花にも大志を抱かせてあげて、彼らの仲間入りさせたいところではあるが。
「ありがとうな。絶対に教師になって大志を日本中に広めるよ」
「ええ、楽しみにしてるわ」
俺たちはメインイベントを終え、片付けようとしたとき……
「あのー、私のこと忘れてませんか?」
「あ、紗枝ちゃん!」
紗枝がほっぺたを膨らませて春々のほうをにらむ。
決してシスコンというわけではないが、その姿はリスのようでかわいかった。
「ごめんごめん、すっかり忘れてたわ、最後お願いできるかしら?」
「はい、任せてください」
紗枝は車いすで立ち上がることはできない。
したがってその場で紙を手に持ち俺たちに決意を述べた。
「私の将来の目標は医者になることです」
「医者か……」
俺も紗枝から将来の夢を聞くのは初めてだ。
「私自身、障がい者だから彼らの気持ちがわかります。なのでそんな彼らの気持ちを理解して、治して上げれるような医者になりたいです。
「紗枝ちゃん、素敵ね。応援しているわ」
「ありがとうございます、春々さん」
今度こそ全員が大志を言い終わり、メインイベントが終了した。
そして最後に会話を楽しんだ後、明日から教育実習で朝も早いということでお開きにした。
「さて、紗枝、春々、後片付けをするか」
「そうね」
カイト、星海、咲花が帰った後、俺たちはテーブルをきれいに掃除した。
そしてしばらくした後、インターホンが鳴った。
「誰だろ?」
俺は少し駆け足でインターホンをのぞいた。
するとそこに映っていたのは咲花だった。
「忘れ物でもしたのかな?」
俺はインターホンを取らずにそのまま玄関に向かいドアを開けた。
「咲花、どうしたんだ?」
「……教也、なんで教師になろうとしてるの……?」
「教師になろうとした理由?」
咲花はこくりと頭を縦に振る。
わざわざそんなことを聞くために戻ってきたのだろうか?
「俺の場合は、憧れと反面かな」
「……反面……?」
咲花が意外そうな顔をする。
この理由をちゃんと話したことはなかったのだがせっかくだから話しておこう。
「ああ、大志を抱かせてくれた先生に俺は憧れたんだ。これが一つ目の理由だ」
「……」
咲花が黙って俺の発言を聞く。
ちゃんと聞いていると判断した俺は続けて話すことにした。
「そしてその先生はある日俺のもとから黙って姿を消したんだ。その時に俺は尊敬していたのに少し絶望した。そのときに思ったんだ、そんな先生にはなりたくないと」
「……」
「だから俺が教師になりたい理由は、その人のようになりたく、そしてその人のようになりたくないからだ」
「……なるほど……」
いまだに俺は思う。
なぜ俺のもとから何も言わずに突如消えたのだろうかと。
「教也、、やはり私はあなたが嫌い」
「なんでだよ」
俺は今咲花に嫌われるようなことは言ってないはずだ。
正直断言できるはずである。
「少しは見直してきたのに、残念」
「だからその理由を教えてくれよ」
「しゃべりかけないで、うざいから」
咲花はそう言うと背を向けそのまま帰ってしまった。
「なんなんだ、いったい」
その原因が全く分からず、そしてこのまま考え続けてもわからないだろう。
「春々と紗枝にも相談してみようかな」
俺はリビングに戻り、二人に先ほどの経緯を説明した。
しかし、答えが見つかることはなかったのであった……
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