第24話:芽生えの大志6

 「大丈夫よね、教也くん?」

 「あああんなに元気だったんだ、大丈夫に決まってる」

 「……私も教也と一緒、信じてる……」

  あれから三時間が経過した。

  西崎さんの緊急手術が行われており、俺たちは祈るだけだった。

  森野さんはひっきりなしに電話をしている。

  おそらく施設や学校、西崎さんの親戚などにも電話をしているのかもしれない。

 「私が誕生日会で無理させたのがいけなかったのかしら?」

 「そんなことないさ、ちょっと疲れがたまっていただけだよ」

  運ばれるときの西崎さんの顔が浮かび上がる。

  大丈夫だと信じている反面、その蒼白な顔が頭によぎる。

 「……教也、難しい顔している……」

 「……何でもないよ、心配させてごめん」

 「……別に大丈夫……」

  俺が弱気になってはだめだ。

  そうなれば春々と咲花にも気持ちが伝染してしまう。

  そんなことは西崎さんも望んでいないはずだ。

  俺たちは再び無言になり、そこから一時間が経過した。

 「ランプが消えたわ……!」

  手術中のランプが消えた。

  それと同時に医者と看護師、そして西崎さんが出てくる。

 「先生、西崎さんはどうですか!?」

  電話をしていた森野さんが慌てて医者に詰めかけた。

  すると医者はゆっくりとこう語りかけた。

 「西崎さんはじきに目を覚ますでしょう」

 「……よかった!」

  森野さんだけではなく、近くにいる俺たちも喜び合った。

  しかし、医者の言葉はそこで終わりではなかった。

 「早とちりしないでください。西崎さんの命は長くありません」

 「え……」

  咲花の手を取っていた春々の力が一気に抜ける。

  それくらい春々、いや、俺たちにとって信じられない言葉だった。

 「おそらくもってあと数時間というところです。悔いのないように過ごしてください」

 「そんな……!」

  春々の悲痛の叫びもむなしく、西崎さんは看護師さんに運ばれていった。

  役目を終えた医者はその場から何も告げずに去っていった。

 「桜木さん、ショックなのはわかるわ。でも、今はとりあえず病室のほうに行ってみましょう」

 「……はい」

  俺たちは森野さんと一緒に西崎さんのいる病室に向かった。

 「西崎さん、失礼します」

  森野さんはノックをし、ドアを開ける。

  そこには寝たままだが、目がぱっちりと開いている西崎さんの姿があった。

 「もうー、西崎さんー、心配したんですよー」

  森野さんはいつものように西崎さんに接する。

  それは今日で死ぬということを勘付かせないようにするための森野さんなりの配慮なんだろう。

  つくづく尊敬できる人である。

 「ああ、心配をさせてすまないな」

  西崎さんもいつもの調子で答える。

  とても体が悪いとは思えないくらいの元気さであった。

 「西崎さん、西崎さーん!」

 「どうしたんだい、桜木さん」

  春々はそんな西崎さんの姿を見て泣いていた。

  それがどういう涙なのか俺にはわからない。

 「心配をかけてすまなかったな。わしならもう大丈夫だ」

 「はい……」

  春々の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。

  ここ最近でこんなに取り乱した春々を見るのは初めてかもしれない。

 「桜木さん、顔を洗ってきなさい。森野さんなら化粧室の場所も知っているはずだ」

 「ええー、桜木さんー、案内するわー」

 「わかりました」

  春々と森野さんは化粧室へと向かった。

  部屋に残ったのは俺、西崎さん、そして咲花の三人である。

 「さて、平くん、春風さん、一つ聞いてもいいかな?」

 「……はい、なんですか?」

  まったく何を聞かれるのか予想がつかない。

  しかし、この状況ではある意味必然といえる質問が発せられた。

 「……わしは、いつ死ぬんじゃ?」

 「それは……」

  俺は何と答えようか悩んだ。

  しかし、言葉に詰まってしまったということは考えている証拠になる。

  ゆえに西崎さんからすれば何を言われても嘘だということが容易に想像できるのだ。

 「……もうすぐ死にます……」

 「咲花!?」

 「……嘘をついたってすぐにわかる……」

  確かにその通りかもしれない。

  それでも、西崎さんの気持ちを考えると安易に告げることはできない。

 「大丈夫だよ、平くん。春風さん、教えてくれてありがとう」

  西崎さんは取り乱す様子はない。

 「わしの体はわしが一番よくわかっておる。そんな気はしていたんだ」

 「で、でも、西崎さん! 怖くないんですか!」

  失礼だとわかっていながら俺はその質問をした。

  なぜ死を目の前にしてここまで冷静でいられるのかと。

 「……わしの役目はもうとうに果たしておる。あとは若い世代に託しているんだ」

 「若い世代……」

  親から子へとバトンがつながれていくように、西崎さんもそのバトンをすでにつないでいたのかもしれない。

 「ああ、そうだ。わしの大志はもう終わった。あとはお前さんたちが大志を抱く番だ」

 「……はい、必ず……」

  俺たちのように生まれてくる大志があるように、当然消えゆく大志もある。

  わかっていたはずなのになぜか涙があふれてきた。

 「平くん、男がそう簡単に泣いてはいかんよ。男が泣くのは愛する人を亡くした時だ」

 「……西崎さん」

  西崎さんはとんでもなく強い。

  俺が今西崎さんの立場なら到底相手のことなんて考えられないだろう。

 「わしが死んだ後、カバンの中にある手紙を桜木さんに渡してくれんか?」

 「手紙……」

  この状況の手紙が意味するものは一つしかないだろう。

 「はい、必ず」

 「もうそろそろ二人とも帰ってくるからな、今のことは内密にな」

 「……はい」

  本当にこれでいいのだろうか?

  頭でそのことを考えているといつの間にか二人とも帰ってきた。

「ただいま帰りましたー」

 「桜木さん、もう大丈夫かい?」

 「はい、心配かけてすみませんでした」

  春々の顔色は先ほどまでと比べるとずいぶんよくなっていた。

  それはきっと現実を受け入れたからではない。

  現実を受け入れなかったからではないかと思う。

 「せっかくわしの誕生日なんだ。もっと笑顔でな」

 「はい!」

  それから俺たちはたわいのない話をした。

  学校での出来事、介護体験実習での出来事、そして自分たちの大志などを。

 「いや、君たちと話していると時間があっという間に過ぎて行ってしまうよ」

 「春々たちもそう思っていますよ」

  俺たちは次第に笑顔になっていった。

  その大きな理由は、もしかしたら医者の誤診でないかと思い始めているからだ。

  どう考えても今日中に死ぬ人には見えない。 

  何の確証もないが俺たちはそう強く思い込んでいる。

 「わしは、もう思い残すことなどないよ」

 「……何を言っているんですか、まだまだ長生きできますよ」

  春々が精いっぱいの笑顔でそう答える。

  春々は西崎さんに心配をさせないためそう自分を偽っているのだ。

 「自分の体は自分が一番わかる。わしはもう数分で死ぬ」

 「西崎さん……」

  本人の言動からはそのようなことは感じられない。

  しかし、先ほどから考えるとしゃべり方がだんだんとゆっくりになってきたようにも思える。

 「森野さん、施設のことは頼んだ」

 「はい、安心してください」

  いつにもなく森野さんが真面目に答える。

  この人はずっと前からこうなることを予想していたのかもしれない。

 「春風さん、あなたは心の中で熱いものを持っている。君の仲間はきっと熱い人ばかりのはずだ。ともに大志を成し遂げてくれ」 

 「……約束します……」

  咲花は深々と頭を下げる。

 「平くん、君はどんなところでも中心となれる器を持っている。これからも一人だけでなく、みんなで協力するという気持ちを忘れないようにな」

 「はい、一生忘れません」

  俺は咲花を見習ったわけではないが反射的に深々と頭を下げていた。

 「桜木さん、あなたはとても優しい心を持っている。優しい心は必ず周りを救うはずだ。これからも自分におごることのないように精進してくれ」

 「西崎さん……」

  春々の目から大量の涙がこぼれる。

  きっと現実を見つめることができたのだろう。

 「最後の別れなんだ、笑顔で見送ってくれよ」

 「最後……」

  この場面で笑えということはかなり難しい。

  それはどんな人だって思うはずだ。

 「西崎さん、また来世で会いましょう」

 「ああ、先に待っているよ」

  春々は涙声だった。

  しかし、その顔はきちんと笑っていた。

 「医者を呼んでくるわ」

 「森野さん、ありがとうございます」

  西崎さんの目が再び開かれることはなかった。

  俺たちはこの目で生命の儚さをきちんと見届けた。

 「西崎さん……!」

  春々はダムが崩壊したかのように涙があふれだした。

  本当なら慰めなければならないのかもしれない。

  しかし今この瞬間は何もするべきではない、俺はそう思った。

 「西崎さんの容体はどうだね?」

  医者が入室してきた。

  西崎さんの様子を見て、脈をはかった医者はこう答えた。

 「……ご臨終です」

 「……」

  俺は西崎さんに向かってこう叫んだ。


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