姫ノ神

:DAI

山に誘われて

 今も昔も、山は人を魅了する。


 なぜこうも魅了されるのか。気づけば、俺はいつも山にいた。といっても、俺の場合は専ら雪山ばかりなのだが。


 雪山に登るようになったきっかけは、大学一回生の時に遡る。当時、特にやりたい事があるわけでもない俺は、漫然と大学生活を送っていたものの、情熱を注げる何かに出会いたいとは、ぼんやりと考えていた。


 しかし都合よくそんな出会いがあるわけもなく、あっという間に冬を迎えた。そんな時にふと目についたのが、スノーボードサークルのチラシだ。


 物は試しと、軽い気持ちで加入したが、これが正解だった。あれよあれよと、俺はスノーボードにハマり、ゲレンデでナンパに精を出す仲間をよそに滑り続け、シーズンが終わる頃にはサークル内で1番スノーボードが上手い男になっていた。


 それからというもの、俺はスノーボード中心の生活を送るために、夏はバイトに明け暮れ金を蓄え、その金で冬は毎日スノーボード三昧の生活を送るようになった。


 お陰で、大学を卒業する頃には随分と滑りも達者になり、プロに比肩するまでになった俺は、いつしか憧れの対象はバックカントリーへと移っていった。


 バックカントリーとは、人の手が一切入らない、まさしく天然の雪山を滑る事を意味する。


 国内でも数多くバックカントリーができる山は存在するが、俺がホームの山に選んだのは、姫神山だった。


 かつては、大雪崩が発生し麓の村々を襲い全滅させたこともあると云われるほど積雪量は十二分にある。まさに命がけの滑走。

 それでも、俺はどうしてもこの山を滑らずにはいられなかった。何が自分をそこまで駆り立てたのかは分からない。ただ、心の声に耳を澄ました時、ただただ滑りたい衝動に駆られたのは確かだ。


 そして、今まさに、俺はヘリコプターで山頂まで運ばれ、姫神山に降り立つ。


 バックカントリーは命がけの滑走だ。管理されたゲレンデでは味わえない極上のパウダースノーを堪能できるが、リスクも極大。


 舞い散る雪煙。


 透き通る青空。


 雲一つなく、まさに日本晴れ。


 凍てつく冷気に纏われながらも、大陽の光は暖かく、チリチリと肌を焼く。


 風は凪、美しく静謐な空間が雪山にはある。


 武者震いと鳥肌を感じながら、滑り出す。


サァー...


 耳元に静かに板が雪を撫でる音がする。


 雲の様に軽い新雪を滑り降りていく。


 この最高の瞬間。


 この最高の瞬間のために、俺は生きている。今までも生きてきたし、これからもこの瞬間のために生きていく。


 この上ない幸福感に包まれていると、突如不穏な音が響き渡った。


ドオオン


雷鳴のように音が轟く。


まさか...


音の方角へ視線を送る。


大量の雪が崩れ落ち、轟音を響かせながら迫ってくる。


 まさか、今日は雪崩の危険性は低かったはずだ。滑走前にテストもして異常は無かったはず。


 ともかく逃げねば。


 だが、明らかに雪崩の方が圧倒的に早い。逃げる間もなく、あっという間に雪崩にのまれ、猛烈な勢いで雪崩てくる雪と一緒にかき回され、上下の感覚がすぐに無くなった。


 俺は今どこを向いている?


 どれだけ流された?


 息が出来ない。


 腕が、脚が、雪の重さで動かす事も叶わない。


 窒息の苦痛を味わいながら、意識が薄れていく。


 これが...


 これが俺の最後か...


 いつかは起こるかもしれないと覚悟はしていた。覚悟はしていたのだが、ここで終わってしまうとは。


 後悔も未練も感じる間もなく、意識を失う。


 苦しみは消え、暗闇が広がる。


 だが、遠くの方にあたたかな光を感じた。

それはとても暖かく、なんだか懐かしい。


 体が動かないはずなのに、意識も無いはずなのに、俺はその光へと向かって進んでいった。







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