突然やってくる
俺はずっとこの街に住んでいるが、家はあるものの、一年ほど戻って来ない事があった。
大学を卒業してみんなが就職していく中で、俺はそれを拒絶した。就職活動を始める前の仲間は、社会に対する不満を各々述べていたが、それがいざ就職活動となると、社会に融合していったのである。
俺は、俺たちの世代になれば社会が俺たちに合わせて変わると信じていた。しかしそうではなかった。変わったのは社会ではなく、俺以外の俺たちであった。俺以外の俺たちが変わってしまったと言う事は、俺は一人になってしまったと言う事である。シンヤに言われた事がある。そんな甘い考えでは世の中渡って行けないぞ、と。しかし、俺はその世の中を拒絶したのである。
さすがに俺も就職活動は行ったが、面接で自分を良く見せようとか、面接官のどうでもいいような質問とか、まあ面接官はどうでもいい質問とは思っておらず、きっと必要な質問をしたつもりでいるのだろうが、そういったものに嫌気がさした。そして社会というところは、こういう事が出来ない人間を受け入れる余地を持ち合わせていないようである。
俺は取り残された。社会からドロップアウトしたのである。俺の拠り所は、当時組んでいたバンドだけとなった。
自分が出演しない日も毎日ライブハウスに行き、仲間とも言えないような奴らと朝まで酒を飲み、時には違法なものを持ち込む奴までおり、とても生きているとは言えないような毎日を送っていた。
ある日、ライブハウスに知った顔があった。シノブだった。
シノブは最初俺には気づかなかったようで、俺が声をかけて初めて俺だと気づいたのである。それくらい俺は酷い状態だったのであろう。そんな俺を見て、シノブは飲みに誘ってくれた。そして事情を飲み込んだのか、シノブの彼氏が勤務する会社の取引先で求人があると教えられた。あの小さな広告代理店である。金も無くなっていた俺は、とにかく面接に行った。でも本当は金の問題ではなく、シノブの気持ちが嬉しかったから面接に出かけたのかもしれない。そして呆気なく面接に合格、働く事になったのである。
そんな最低な約一年を除けば、俺はずっとこの街にいる。
俺は頻繁に彼女に連絡をするようになっていた。主に会うのは夜であり、二人でよく飲みに行った。俺はもう彼女の支えになるという当初の目的は忘れていた。むしろ彼女の存在が俺の支えになっていた。
彼女も夫の話はあまりしなくなっていた。すでに、問題は俺たちの将来、という事に変わってきていた。
終わりは突然やってくるものなのか。ゆっくりとやってきてくれたら心の準備が出来たのにな、と思う。突然引き裂かれるのは辛いものである。
俺は彼女と会う時には、電車で何駅か行った場所で会うなど、誰にも見られないようにしていたのであるが、たまたま入った居酒屋で、妻の友人に見られていたのである。翌日、妻は俺に離婚届を差し出した。いくらなんでも早すぎる対応ではないか、と思ったが、妻の性格を考えれば、一刻も早く不潔な男に出て行って貰いたいのだろう。
俺は離婚届を受け取り、すぐに彼女に連絡を取った。
「今話せる?」
「ごめん、今大変なの」
「どうした、大丈夫か?」
「うん。落ち着いたら電話するから」こう言って、彼女は電話を切った。何があったのだろうか、俺も、いや俺たちも大変な状況になってしまったのだが。
彼女からの電話が鳴ったのは、夜遅くなってからだ。
「もう寝てたよね。ごめんね、遅い時間に」
「起きてたよ。何があったの?」
「夫が帰って来た」
「え?」そこで言葉が止まってしまった。
「私、混乱してる。なんでこのタイミングでなのかな。どうしたらいいか分からない」
「今から会える?」
「うん」
「駅で待ってる」
「分かった」
俺は電話を切り、駅に向かった。彼女もすぐにやって来た。
「なんで急に帰って来たの?」
「分からない。でもとにかく帰って来た」
「俺は今日、離婚届を渡されたよ」
「え、どういう事。私たちの事、知られちゃったの?」
「昨日行った居酒屋に、カミさんの友達がいたみたい」
「私たち、どうなるんだろう」
「決まってる。俺たちは結ばれるんだよ」
「でもどうやって」
「このまま二人で何処かに行こう」
「何処に。私、何も持ってきてないよ」
「大丈夫、とりあえずどうにかなる場所を知ってる。まずはそこに落ち着いて、それから考えよう」
俺たちは電車に乗り、俺が最低な一年を過ごした街に向かった。
昔の馴染みのライブハウスは、未だにあり、マネージャーは今でも頑張っているらしい事は聞いていた。
ライブハウスのマネージャーは、不動産をたくさん持っており、趣味でライブハウスやスタジオを経営していた。所有している不動産の中に、古いアパートがあって、売れないバンドなどに使わせていた。無論、家賃はタダである。この古いアパートにたまに泊まらせてくれる事があった。今でもバンドが居着いているらしく、もしかしたらそこに行けば、とりあえずは二人で話す時間が持てるんじゃないかと思ったのである。
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