20.命を燃やすこと

 生きるってすごく難しい。

 生きている状態であるのは体が勝手にやっていることだから別に難しいこともない。それと同時に体は常に死に続けていて、その中で「生きる」のはすごく難しいことだ。私はそれを怠けてしまったから今こんなところにいるのかもしれない。

 自分が今生きているって感じることがほぼない。その感じってたぶんアドレナリンがドバドバ出ている状態なんじゃないかな、と素人心に思う。なぜそう思うかというと、自分が以前「ああ、私生きてる」って感じたのが覚えている限り10年以上前、遠方の趣味友たちと初めて集まって趣味カラオケで夜を明かしたときだからです。メールやチャットでしか語れなかった趣味(当時ジャニオタでした)について、初めて思う存分話せて歌えて盛り上がって、それを寝ずに一晩続ける体力もあった。人によっては小さくてくだらない、なんだそんなこと? と思われるようなことかもしれないけれど、私には生を実感するに余りある出来事だった。明らかにアドレナリンまみれの脳みそになっていた。

 でも自分が今生きていると実感している人ってどのくらいいるのだろう。普段意識もしないんじゃないだろうか。

 私は命を燃やしたかったんです。たぶん小さい頃からずっと。何かひとつのことに人生を、命を捧げたかった。そんなふうに生きたかった。けれどだめだった。そこまで心燃やせるものには出会わなかったし、たぶん燃料を足す作業を怠ったんじゃないかと思うんです。気がついたときにはすっかり頭がおかしくなっていたし、というのは言い訳かもしれないけれども。

 私はたぶん、現実と空想の境界線が見えていません。

 命を燃やしたかったというけれど、実際にこの現実にそのようなことがあり得るのか、それさえ私はわからないんです。フィクションはそれに溢れているけれど、現実にはあるのだろうか。そこら辺に転がっているとはさすがに思わなくても、ありかなしかはわからない。

 何のために生きているのかわからない。体が勝手に生きている。それをやめさせる勇気がまだない。だから生きてる。生の実感はない。いつも私は私の頭の中にいる。時々それが息ができないほど苦しい。だって本当は私だって人生というものに乗って進んでいきたかったから。できることなら何かに情熱を傾けて。

 今、なにもないところにいます。実年齢より幼い私が夜な夜な泣いています。もしああだったら、こうだったら、とどうしようもないことを言いながら。

 体だけでなく心も生きたかったなあ。心で命で生きたかった。もう手遅れでしょう。延命治療がこれからもただ続いていくだけ。

 つまりは、愛されるよりも愛したい派なのです。

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