第135話 命の戦い2
また――変な映像を見ていた、気がする。
少し前に『選別現象』というものに襲われて以来、たびたび起こるこれにはいつになっても慣れることはない。なにしろ、自分が見ているはずのものが、別の誰かが見ているものになってしまうのだ。そんなものに――慣れようと思っても、慣れるものではないだろう。
それにしても――
毎回毎回どうしてこうよくわからない映像が流れるのだろう? もうちょっとわかりやすくしてもいいのにと、思う。
「どうしたの命?」
隣で手を繋いで歩いていた夏穂ちゃんがわたしの方を向いて首を傾げている。肩ぐらいまでの長さで色が薄い髪の毛がとても印象的だ。
「…………」
わたしは――なにか言おうとしたけれどやっぱり声が出ず、夏穂ちゃんの手を取って、彼女の掌に文字を書いていく。
「『変な映像を見た』ねえ……。ま、よくあることだからそんなに気にしなくていいわ。あんまり気にしすぎると疲れるわよ」
夏穂ちゃんは感情があまり感じられない平坦な声で優しく言った。わたしは『そんなに、気にしているつもりはないけれど』と返す。
だけど――
今回は――何故か、嫌な予感がした。
それはなにか、と問われると厳密には答えられない。きっと、わたし自身も何故嫌な予感があるのか理解できていないのだろう。しかし、嫌な予感がするときなんて大抵そんなものではないかと思うが――
「ま、なにかあったら私――はアテにならないから、京子さんにでも相談しなさい。あの人、あんたには甘いから」
行くよ、と夏穂ちゃんは言って、わたしの手を引いていく。彼女から伝わってくるのは生きた人のものとは思えないほど冷たい体温。だけど、その冷たさはいまの命にとって慣れ親しんだもので、不愉快なものではない。
手を引かれながら、命は夏穂の顔に目を向けた。
相変わらず病的なまでに綺麗な顔をしている。その綺麗さにはどこか人間離れしたものがあるように思えた。夏穂ちゃんにそんなことを言うと「私、人間じゃないし」なんて冗談めかして言うだろう。
それは間違っていない――とは思う。
だけど――わたしは夏穂ちゃんには人間でいて欲しいと思う。
当然、わたしも夏穂ちゃんが『自分は人間ではない』という理由について、それなりに理解しているつもりだ。
だって――
それは、わたしだって同じことだから。
わたしと夏穂ちゃんを襲った『選別現象』――あれを浴びて生き残ってしまったものは、人間とは言えなくなる。なにもかも否定された結果、完全に変質してしまうのだ。たびたび入ってくるよくわからない映像も、その後遺症の一つである。
たぶん、わたしも夏穂ちゃんも、多くの人たちから見れば同じ人間には見えていないだろう。誰かの記憶と混線するなんてこと、普通ならあり得ないのだから。
それでも――
わたしは夏穂ちゃんに人間でいて欲しい。
身体のどこまでもが人間でなくなっているのだとしても――『自分は人間である』と思っていて欲しい。
幼い頃に『選別現象』を浴びて、そのすべてを否定された夏穂ちゃんが、人でなくなるしか自分を保てなかったというのは知っている。知っているけれど――『自分は人間だ』という精神性までは捨てないでほしかった。
そうすれば――人として最後の誇りだけは捨てないで済むはずだから。
夏穂ちゃんを見るたびに、そんなことを思っている。
「どうしたの?」
わたしの手を引く夏穂ちゃんは足を止めて、不思議そうに首を傾げて顔をして質問する。しかし、わたしは『なんでもない』と返した。
わたしが思っていることを夏穂ちゃんに押しつけるわけにはいかない。夏穂ちゃんだって、望んでああなったわけではないのだ。彼女だって、人でいられたのなら――人でなくなる以外の選択肢があったのなら、それを選んでいたはずだ。わたしにだってそれくらいはわかる。だから、わたしはなにも言わないし、言えなかった。
でも――
最近の夏穂ちゃんは変わってきた、と思う。
一番はじめのときより――人間らしくなった気がする。それが、わたしがいたからなどと言うつもりはないけれど――もし、わたしがいてそうなったのなら、それはとても嬉しい。
わたしは――夏穂ちゃんの手を強く握った。夏穂ちゃんが、人であるという精神性を取り戻せるようにと願いを込めて。
それから――
わたしたちは無言のまま、少しだけ騒がしい昼休みの廊下を進んでいく。夏穂ちゃんとなら、ずっと無言の時間が続いても困ることはない。無言の時間でさえ、どことなく心地よさを感じるくらいだ。恐らくそれは、わたしと夏穂ちゃんとで共有できるものがあるからだと思う。
午後の授業はなんだったっけ――手を繋いで歩きながらそんなことを考えていると――
目の前で女子生徒が一人、こちらに視線を向けていることに気づいた。
「…………」
その娘が向けている視線は――どこか奇妙だった。なんといえばいいのかわからないのだけど――人から外れたわたしたちが不快な存在だからではないように思える。
これは――一体何だろう?
そんなことを思いながら彼女の横を通り抜けようとしたそのとき――
「――――」
その娘がなにか言ったのが聞こえて――そちらを振り向くと――
つい数瞬前までわたしの手から感じられていた夏穂ちゃんの体温が消失していることに気づいた。それを自覚したとき――どっと嫌な汗がにじみ出る。夏穂ちゃんがいたほうに振り向くと――
先ほどまでいたはずの夏穂ちゃんの姿が、どこにも見えなくなっていた。
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