第128話 妖精の愛12
意味不明な便箋を見つけてから――どれだけの時間が経ったのだろうか? ここは、すぐに暗くなって明るくなるから、時間の感覚がどんどんおかしくなってくる。もう何回、昼と夜を繰り返したのか、数えるのも面倒になってしまった。
たまに――外はどうなっているのだろう、と思うことがある。外にいるはずの友人たちがどうなっているのか気になるけれど――ここから出てしまえば、また人間の嫌な本質と向き合わなければならない。そう思うと――戻りたいという気が失せてしまう。
それに――
いま、つばさは満たされている。
ここで出会った小夢という年下の娘から愛されているおかげで――
人が嫌になったつばさにとって、この人の気配が絶えたこの場所はそれほど嫌な場所ではない。そもそも――人を見るのが嫌だったからこの場所に来てしまったのだ。自分は、自分で望んでこの場所にいる。不満はない。
しかし――
それにも言いようのない翳りがある、ように思える。
あの日――何回前の夜のことだったかわからなくなってしまったけど――小夢が夜、ひそかに出歩いていることを知ってから、その不安と翳りは大きくなるばかりだ。
自分が寝ている間に、彼女はなにをやっているのだろう?
それが気になって仕方がない。
何度もそれについて訊いてみたけれど――小夢は「散歩をしてるだけ」と言うだけだ。
こんななにもない場所で――散歩などするのだろうか? 小夢のことを疑いたくないとは思っているのに、どうしても疑いの目を向けてしまう自分が嫌だった。
どうすればいいだろう? 何度も行った自問を今夜も繰り返す。
今日は――小夢はつばさの隣で眠っていた。自分とは違う、甘い匂いをふりまいて、可愛らしく寝息を立てている。その姿はとても愛おしい。どうしてこれほど魅力的なのだろうかと自分でも疑問になるほどだ。
それだけ――ここに来る前の自分は追い詰められていたのだろうか?
追い詰められていたのは間違いない。受験も本格的になったこの時期に、あんな混乱が起こって――無意味に暴力を振るわれてしまったら、そうなるのも無理はないだろう。
その心の傷を――彼女は癒してくれたのだ。心から、救われたと思う。
寝ている小夢を見ていると、彼女を欲望のまま襲ってしまいそうなほど情欲が掻き立てられる。
いくら自分たちは愛し合っているからといって、そんな強姦魔のようなことをするのは許せなかった。
少し、気持ちを落ち着かせよう。そう思って、つばさはライトを手に取り、電源にスイッチを入れて立ち上がって歩き出した。扉を開けて、教室を出る。
廊下は――明るいとき以上に禍々しい。こんな弱々しい明かり一つでは、この異界が持つ禍々しさを打ち消すことは不可能だ。
ここには自分たち以外誰もいない――そんなことわかり切っているのに、人の気配が絶えた場所を歩く恐ろしさは消えてくれない。
でも――そんな禍々しさと恐ろしさのおかげで、先ほどまで自分の中で高まり切っていた情欲が急速に落ち着いてくる。
一歩一歩、人の気配と明かりの絶えた異界の校舎を進むたびに、底知れない闇の中に自分が落ちているのではないかという錯覚を覚えた。
早く――小夢と二人きりになりたい。
二人きりになれば――こんな風に思い悩む必要もなくなる。今日のように欲情してしまっても、欲望の思うままに行動できるはずだ。
なのに――
どうして『妖精』は――自分たち二人だけにしてくれなかったのだろう? 『魔女』も愚鈍な薫子も、つばさにとってはなに一つとして必要のない存在なのに――どうしてここに招き入れたのか? まったくもって理解に苦しむ。
それに――
あの便箋は一体なんだったのだろう?
結局、あれに書かれていたことの意味はわかっていないし、『妖精』も見つかっていない。
つばさはここから出たいとは思っていないが、邪魔者二人はここから出たいと思っているに違いない。なんとかして、この場所から奴らを排除しなければ。でなければ、つばさは小夢と思う存分愛を育むことはできないのである。
だいぶ気持ちも落ち着いてきた。そろそろ戻ろう、そう思った瞬間。
自分の持っていたライトの明かりが消えて――
すべてが暗黒に包まれた。
「え……なに?」
ライトの電池はこのまえ取り替えたばかりだ。だから電池切れだとは思えない。いや、これは――
「ひっ……」
なにか――黒い『なにか』が自分を侵食してきている。その感触は、この世のものとは思えないくらい醜悪で――
音もなく、痛みもなく、自分の身体が食われている――そんな実感だけがあった。
これはなんだ?
なにもないこの場所に、なにか――
腰が抜けて、尻もちをつくと同時に、消えていたはずの明かりは灯り、自分の身体にまとわりついていた暗闇は綺麗さっぱりなくなっていた。
「大丈夫ですか?」
そんな声が聞こえて、背後を振り向くと――
そこにいたのはあの『魔女』だった。
『魔女』は相変わらず病人みたいに不健康な顔色をしている。『魔女』は尻もちをついていたつばさに手を伸ばしていたけれど――触りたくもなかったので差し出していた手を振り払った。やっぱりその手は、生きている人間とは思えないほど冷たい。
「大丈夫よ。触らないで」
「そうですか。ならいいんですけど」
『魔女』は自分の手を思い切り払われたことをまったく気にしていない様子だった。つばさは、手を振り払った手前、なんとか自分の足を奮い立たせて立ち上がる。
「あんた……なにしたの?」
「いや、別になにかしたかったわけではないんですけど――」
平板な口調で『魔女』はお茶を濁すようなことを言う。
「でも、迷惑をかけてしまったようですね。ごめんなさい。このへんなら大丈夫だと思ったんですけど――」
「ふん。別に謝んなくてもいいわよ」
そんなことを吐き捨てて、つばさは『魔女』から離れていく。
『魔女』の姿が見えなくなるところまで歩いたところで、つばさは立ち止まった。
早く、なんとかしなければならない。
とりあえず、あの『魔女』だけでもなんとか排除できないだろうか?
やはり――
殺してしまうべきだろうか?
少しだけ悩んで――
「小夢に相談してみよう」
そう結論づけて、つばさは自分たちが寝ている教室へと戻っていく。
教室に戻ると――
「あれ?」
先ほどまで寝ていたはずの小夢の姿が消えていた。
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