第126話 妖精の愛10
どうして自分がこんなことをしなければならないのだろうか? 脱出のヒントが書かれているかもしれない便箋を見せながらそんなことを思っていた。
自分が――奴らの脱出の手伝いをしてやる義理などどこにもない。そもそも、つばさは別段ここから出たいと思っているわけでもないのだ。つばさに必要なのは脱出ではない。可愛くて愛しい小夢である。
しかし――
一応、建前として協力しようと言っているわけだから、黙っているわけにもいかない。奴らの協力するのは不服であるが、フリだけでも見せておかなければならないだろう。協力するフリだけをしておいて、小夢と二人だけの世界を作るのだ。
「その便箋、なんて書いてあるんですか?」
そう言ったのは『魔女』だ。そこには人間らしさの欠片もない。『魔女』は別段この状況に関してなんとも思っていないのは明らかである。それがたまらなく不愉快だ。
「まだ見てないわ。みんなと一緒に見たほうがいいと思って」
フリだけとはいえ、こいつらに対してそんなへりくだったことを言うのは心底屈辱であった。
だが――小夢との理想郷を作るにはその屈辱にも耐えなければ。邪魔なこいつらを排除できればそれでいいのだ。
ふとそこで――こちらに向けている視線に気づいた。つばさに視線を向けていたのは薫子である。
薫子の視線には――こちらを訝るようなものが感じられた。どうやら、なにか疑いをかけられているらしい。
「……じゃ、開くわよ」
つばさは一度薫子に視線を向けたのち糊づけされていない便箋を開く。
便箋に入っていたのはなんの変哲もないワープロ用紙。
そこには――
ここから脱出したい者たちへ
その場所はある目的のために作られた空間だ
その目的とは分離である
分離が完了すれば、脱出できるはずだ
検討を祈る
「……なにこれ」
思わずそんな言葉が出た。
分離というのは一体なんだ? なにをどうやって分離をするのか? 肝心なことはなに一つ書かれていない。クソ、なんだこれは。悪戯にしては性質が悪すぎる。
他の面々もつばさと同じように黙り込んでいた。きっと、自分と同じようにこの便箋の意味がわからなかったに違いない。
つばさは三人の様子をそっと窺った。
薫子は明らかにうなだれているようだ。せっかく脱出のヒントがあると思ったのに、書かれているのが意味不明なことだったからに違いない。
『魔女』は――どういうわけか頷いている、ように見えた。
……本当に人ならざる娘は一体なんなのだろう。どこからどこまでも不気味だ。本当にこいつ、人間なのだろうか?
小夢は――『魔女』に対してなにか意味深な視線を向けていた。彼女も自分と同じように、あいつに対して不快感を抱いているのだろうか?
いや――違う。
小夢は『魔女』に対してなにか観察するような視線を向けている。なにか、値踏みをしているようにも思えた。どうして、小夢が『魔女』にそんな視線を向けているのかまるでわからない。
「……もう一枚あるわ」
そこで、もう一枚便箋が入っていることに気づいた。それを言うと、薫子は再び期待の目を向ける。
脱出したければ妖精を殺せ
二枚目の便箋に書かれているのはそれだけだった。一枚目と同じく、なんの変哲もないワープロ用紙になんの変哲もない文字がタイプされているだけだ。そこから、書かれていること以上の情報は読み取れない。
「やっぱり、脱出するには妖精を見つける必要があるんだわ」
こちらに書かれていることは明白だ。脱出するためには妖精を見つけて殺せばいい。
「妖精を、殺せ……ねえ」
『魔女』が抑揚のない声で言う。
「あんた、さっきからなんなの?」
つばさは『魔女』の態度に堪えきれなくなって、威嚇するような口調になって言った。
「別に。あなたたちには関係ないことだから気にしなくていいと思うわ」
「はあ? どういうことよ」
つばさは『魔女』に詰め寄って胸倉をつかみ上げた。その身体は、体格からは考えられないほど軽くて不気味だ。
「どういうことって……そのままの意味だけど」
「だからそれがなんだって言ってんだろうが!」
顔を近づけて怒鳴り声を出しても、『魔女』はなにも揺らいでいない。本当にそこにいるのか疑問になってくるほどだ。
「……怒鳴られても困るんだけど」
「あんたがわけわかんないこと言うからでしょう」
つばさは『魔女』を思い切り突き飛ばした。『魔女』はそのまま尻もちをついたものの、突き飛ばされたことを気にしている様子はない。
「あと、一つだけ訊きたいんですけど」
尻もちをついた姿勢のまま『魔女』は言った。
「どうして、私たちに時間の流れがおかしいことを黙っていたんですか?」
「……っ」
その言葉を聞いて、つばさの心臓は跳ね上がった。
「それがなによ?」
「私はどうでもいいんですけど、こっちの彼女が気にしているみたいなので」
『魔女』はそう言って薫子のことを指し示した。薫子はそんなこと言われると思っていなかったのか、実に頭の悪そうな驚いた顔を見せている。
「ま、あなたたちにとってはたいした情報でもないからどうでもいいんですけどね、せっかくみんなで協力しようってときに、黙っているのはよくないと思うんですよ」
『魔女』の口調は白々しいことこのうえない。このまま顔面を蹴り飛ばしてやろうかと思った。
だが、その衝動をなんとか押し留めて「もうないわよ」とつばさは言う。
「そうですか。ならいいんですけど」
尻もちをついたままだった『魔女』はそう言って立ち上がった。
「どこ行くのよ?」
「用務室でも行こうかと思いまして。暗くなるとなにも見えなくなるので、常備してあるライトでも借りてこようかと。あなたたちが持ってるんだから、あるんだと思って」
「…………」
「私のことは気にしてなくて大丈夫ですよ」
「勝手にしろ」
正直なところ、あの『魔女』が自分の視界に入っているのも不愉快だった。
「それと先輩、最後に一つだけ」
「……なによ」
「あまり入れ込むのはよくないと思いますよ。もう手遅れかもしれませんが」
「はあ?」
『魔女』がなにを言っているのか、まるでわからなかった。
「それでは。なにかあったらまた遠慮なく呼んでください」
軽い口調で『魔女』はそう言って、教室を出て行った。
教室にはつばさと薫子と小夢だけが残される。三人の間には、妙な空気が流れていた。
「いくわよ小夢」
つばさは小夢を引っ張って教室から出て行こうとする。
そのとき――
小夢が薫子に対してやけに熱い視線を向けているのが目に入って――
「小夢、どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
しかし、つばさがそう言った瞬間、小夢はもとの態度に戻っていた。
本当に――なにがどうなっているのか。せっかく自分の理想の世界が作れると思ったのに――とつばさは心の中で吐き捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます